イトウソノミの雑感

愚作のことや、上映情報、たわいもない話など

2017年12月12日 (火)

サーロー節子さんの演説

広島市南区出身のサーロー節子さんが12月10日、ノーベル平和賞の授賞式で演説を行いました。ノーベル平和賞を受賞したICANと共に活動し、被爆体験を証言してきたサーロー節子さんの演説は聞いていた方々に感動を与えました。演説の途中で何度も拍手があり、中には涙を流している方もいました。終わったあとはスタンディングオベーションを受けました。私は英語がわからないのですが、サーロー節子さんの言葉は迫力があり胸を打ちました。被爆者の願いがそこにありました。72年間の思いが詰まっていました。国や民族を超えて共有できるものでした。

私自身はネットで演説を見ていましたが、できれば地上波もしくはBSででもノーベル平和賞授賞式の様子や演説の全てをテレビ中継してほしかったと思いました。被爆の惨劇の様子、どうやって生き残ってきたのか、家族や友人など大切な人々がどのように死んでいったのか、被爆者がどんな思いで72年もの長い間生きてきたのかを、世界中の人々にどう訴えたのか日本人は知るべきだと思いました。

被爆者がこのように世界に向かって被爆体験を話す機会というのは恐らく初めてではないかと思います。もちろんサーロー節子さんを始め、外国に住む被爆者の方々はその国で被爆証言を行ってきました。しかしノーベル賞の授賞式といえば世界中に映像が配信されます。世界の人々が原爆の非人道性を被害者から直接、知ることになるのです。特別なことだと思います。サーロー節子さんの言葉はどれも珠玉ですが中でも「その後の数週間、数カ月間、数年間にわたって、放射線の後遺症により予測もつかないような不可解な形で何千もの人々が亡くなりました。今日に至ってもなお、放射線は人々の命を奪っています。(東京新聞TOKYOWebより)」と被爆の影響が今なお続いていることを伝えたことは大きな意味があると思います。

サーロー節子さんの演説全文はネットにもあがっていますし、新聞にも全文が掲載されています。とても素晴らしい内容ですので、ぜひぜひご覧になっていただきたいと思います。

 

 

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2017年11月30日 (木)

科学技術と社会倫理の関係を考える~科学技術社会論学会に行きました。

福岡の九州大学で開催された科学技術社会論学会の研究大会に1126日に行ってきました。科学技術社会論とは科学技術の専門家と一般市民の仲立ちをするための専門家の研究です。科学技術の非専門家である一般市民を社会としているため社会という言葉がついています。「科学技術社会論学会」はあるメーリングリストで知りました。なぜ私が関心を持ったのかというと、被爆二世裁判で争われている「科学的」という意味をどのように考えたらいいのかを知るためでした。学問自体に対し何も分からない私がどこまで理解できたかは不安ですが、私なりに感じたことを書き留めてみます。理解の仕方に間違いがあれば教えていただければと思います。

科学技術の専門家と一般市民の仲立ちをするための研究とは具体的にどのようなものなのでしょうか。私が参加したセッションは主に放射線関連のテーマでしたので、発表された内容からご紹介します。ある発表では高レベル放射性廃棄物処分問題に関して、シンポジウムを開催し推進派と否定派両方の議論を提示し両方が共有できる「事実」を整理していました。このグループが行っているシンポジウムは福島第一原発事故前から行われているもので事故の年は開催されませんでしたが、翌年からは再開されています。もちろん一般市民の参加も可能です。現在は両議論の見解を併記した資料の作成を行っています。

また科学技術を知らない一般市民が公表された科学技術に対してどう捉えたらいいいのかという発表もありました。公害や被曝といった問題に対し、公表された科学に問題点がないか構造的な部分から研究していくというものです。具体的には研究の不正や、企業といった特定の立場に有利になるような操作など「科学のねじ曲げ」があることを考えなければいけないということです。これまで日本では水俣病やソリブジン事件(臨床実験段階から問題視されていたにも関わらず発売され死亡事故が起きた薬害事件)などが度々起きていました。こうした事件の原因が「科学のねじ曲げ」にあるというのです。

201112月に本学会が開催された際、発表では科学批判の必要性、科学技術社会論学教育の必要性が話されていたようです。科学技術社会論学の教育がどこまで普及しているのかは分かりませんが、私自身このたびの学会の発表を聞かせていただき、論理的な科学批判の目を持つことの必要性と重要性を実感しました。直接、命に結びつくことだからです。とはいっても私たち一般人は科学を批判的に見たくてもその術を持つことは容易いことではありません。科学技術と一般人を仲介する科学技術社会論学がもっと注目を浴びてもいいのではないかと感じましたし、もっと本学問が一般社会に浸透してほしいと思いました。

 

 

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2017年10月 6日 (金)

憲法を知ること

先日、ある集会で日本国憲法について話をお聞きしました。考えてみると私自身、日本国憲法を学校で習った憶えがありません。全文を読んだのも大人になってからですし、もっと言えば自分の生活に引き寄せた具体的な権利まで考えたこともありませんでした。先日の集会では第3章「国民の権利及び義務」の「幸福の追求権」や「精神的自由」などについて丁寧に教えていただきました。

幸福の追求権は

 

第3章第13条「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」

 

によっています。この中には肖像権や氏名権、プライバシー権、自己決定権などがあるそうです。氏名権というのは、自分の名前にたいする権利です。勝手に使用できないということです。自己決定権は髪型や服装、尊厳死、安楽死といった死に関する権利、避妊や中絶といった権利があるようです。髪型や服装までと思うかもしれませんが、戦時中は派手な服装を禁じられたり、モンペなどが推奨されたりしています。現在では国によって宗教的に女性の服装の規定があります。それを考えるとこれらの自由がいかに大事なものであるかが分かります。

精神的自由は

 

第19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」

 

によっています。思想や良心を持つことの強要の禁止、禁止の禁止などです。さらに

 

第20条「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」

 

も精神の自由です。宗教を信じるのも、信じないのも自由だということです。宗教的行為に参加しない自由があるのです。例えば政治的な思想を強要したり、拒否することへの禁止をすることはできません。神社や教会に行くのも自由ですし、拒否することも自由なのです。この精神的な自由の権利は何物にも代えがたいものです。自分の信じるものを自由に選択できることは、様々な可能性を持つことですし、時には命につながることになるかもしれません。思想や宗教は生きる糧となる場合があるからです。

こうして日本国憲法を見ていくと、私たちが持っている義務を含めた権利が今の日本の暮らしの根底にあると考えさせられます。もっと憲法を知る機会があるといいと思いました。また学齢の早い段階から学校で日本国憲法を学習する機会を設ける必要があるのではないかと感じました。

 

 

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2017年8月31日 (木)

この頃、感じること。

 最近、なぜと感じることがありました。まず7月に開催されたノーモア南京展に日本のマスコミの取材がほとんど来なかったということです。広島市内の被爆建物で7月14日から23日までという長い展示期間で開催され、中国から南京大虐殺幸存者の娘さんや南京抗日戦争博物館館長らが来広し、被爆二世や南京戦に参戦した兵士の息子さんの貴重なお話しがあったのにもかかわらず、取材がなかったというのです。中国のマスコミはネットで生配信を行ったり、国営テレビの放送も行われました。日本のマスコミには事前に記者会見までしたようなのですが関心が薄かったようです。結局、最終日過ぎても新聞などで記事として目にすることはありませんでした。中国のマスコミとの差はどこで生まれたのでしょうか。広島の南京展の入場者は約1000人来たといいますから、一般の方の関心も決して低くはなかったと思うのですが・・・。ちなみに中国のネットニュースは何万人もの視聴があったようです。

 2つ目はある団体の韓国旅行の企画が中止になったということです。どういうことかというと、韓国旅行企画の中で慰安婦ハルモニに会う時間を設けたために、旅行会社が取り扱いを辞退したというのです。当初の辞退理由は「政治的中立が保てない」というものでした。この団体は日韓で歴史の教材を作成し、毎年のように韓国に学習に行っていました。韓国旅行は当然、政治的な意図はなく、あくまで学習の一環です。このハルモニに会う時間がなければ旅行会社の辞退はなかったようです。なぜハルモニに会うと政治的になるのでしょうか。

歴史を知るには当事者に会うのが一番ですが、一般人が当事者に会うことは簡単ではありません。ましてや72年以上前の戦争時を生きた方の証言を聞く機会はこれからますます少なくなってきます。南京展にしても韓国旅行にしても、市民団体が長い時間をかけて当事者たちと交流し、人間関係を作り上げたうえで企画したものです。今を逃すとできない内容です。歴史を知る企画が政治的だと感じるのはどういうことなのか不思議でなりません。歴史の真実や事実を見極めるのは、とても難しいことです。だからこそ現地で感じたり、当事者の方と会い話をお聞きしその時の思いを知ることが重要です。見ると聞くとでは大違いだったということは、自分自身の実感としてあるのです。歴史を知る機会が私たちの知らないところで失われていたなどということがないように、私たちは気を配らなければいけないと思います。

 

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2017年7月11日 (火)

核兵器禁止条約案採択のニュースを見て

 今月7日、ニューヨークの国連本部で行われていた核兵器禁止条約制定交渉会議で「核兵器禁止条約案」が採択されました。国連加盟国中120ヵ国以上の参加で賛成122という圧倒的な数での採択となりました。これでようやく世界的な非核への足掛かりができました。広島近圏で最大発効部数を誇る中国新聞では連日大きく紙面を割いて報道し、被爆者と広島の思いを伝えていました。広島でいかに本条約が期待されていたかが分かります。特に9日は核兵器禁止条約の全文が掲載されていました。前文から世界中の人々の思いが込められているものでした。

 まず前文で印象に残ったのが被爆者への理解と共感でした。「核兵器の使用による被害者(ヒバクシャ)ならびに核兵器の実験によって影響を受けた人々に引き起こされる受け入れ難い苦痛と危害に留意。」の文言は、被爆者の方々の長い長い反核運動の成果といっても過言ではないでしょう。被爆者の苦しみが世界中の人々に伝わっている証だと感じました。記事には抱き合って喜ぶ被爆者の写真がありました。また前文には核兵器実験の被害者への言及、さらに先住民への被害にも触れている部分があり、製造から始まる核兵器の残酷さをあらためて確認することになりました。核がもたらす甚大な被害を提唱することで核兵器使用は人道に反する罪だと世界が認めたのです。

 本文では核兵器の開発、製造、実験、保有などの禁止は当然のこと、支援や勧誘、要請の禁止なども含まれていました。核兵器を持たず持たせずなのです。加えて被害者支援には心身の医療ケアのほかに社会的、経済的なケアの提供、そして核兵器を使用した地域の環境改善も入っていました。これらは核兵器を持つこと自体で大きな負担がかかることを意味します。核兵器被害が人的、環境的に長期間にわたって影響することが世界中の共通認識として捉えられているのです。核を持つことで自国の損失が高まるという、核兵器を互いに持つことで抑止につながることとは正反対の発想です。本条約の期間は無期限で、脱退希望国が紛争に関わっている場合は武力紛争が終結するまで脱退できないようになっています。戦争で使わせないようにしているのです。

 条約は920日から各国で署名が始まり、50ヵ国が批准すれば90日後に発効されるということです。皆さんご存知のように広島、長崎に核兵器を落とされた日本の政府は交渉の場にさえ参加しませんでした。議場外で条約に署名しないという方針を示しました。核を持つ国と持たざる国という国同士の問題ではなく、地球規模で核兵器がもたらす影響を考えることが今回採択された「核兵器禁止条約」が持つ意味だと思います。核兵器の被害国である日本が「核兵器禁止条約」に批准した場合の他国への影響は計り知れないと思います。なぜなら核兵器の恐ろしさを強烈に伝えることになるからです。核兵器を使われても持たない強い勇気を持つ国だと知らしめることになるからです。両者が手に武器を持っている時、相手より先に武器を離すのは勇気がいることだと思います。今回の条約はその勇気を後押ししてくれるものになるはずです。核保有国を含めた世界中の国が批准し、本条約が発効されることを願っています。

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2017年6月29日 (木)

在韓被爆者支援から得たもの

在韓被爆者支援をすることで、他を思うこと、自分と違う思考を想像するようになり、「勉強になる」という言葉では足りないほど様々なことを得ています。私が在韓被爆者支援を続けている理由はそこにあります。

 

まず在韓被爆者は歴史の1ページを見せてくれました。戦中、戦後の証言はもちろんのこと、被爆者の闘いの歴史を見せてくれたのです。在韓被爆者は日本にいないせいもあり、①情報が入りにくい②情報を受ける手段がない③連絡する先がわからないといった状況にある方々が数多くおり、日本政府からの支援が届かない時期が長くありました。本来であれば日本政府が支援対象者に自身の権利を知らせていなければいけなかったと思うのですが、それができていなかったのです。そして権利があるのを知った在韓被爆者がいざ支援を受けようと思っても受けることができませんでした。そこで在韓被爆者の方たちは日本からの支援を受けるために裁判で勝ちとってきたのです。その闘いの歴史をリアルタイムで見ることができたことは、言葉には言い表せない感慨がありました。支援を受けることができなかった、またできていない被爆者の方々を思うと心苦しくなるのですが、裁判支援をされてきた日本人や在日コリアンの方々から勇気を頂くことができました。

 

 また私は在韓被爆者支援のお手伝いをすることで考え始めたことがあります。それは「自分は在韓被爆者と何が違うのか」ということです。在韓被爆者と私の違いは生まれた時代が違う国籍が違う住んでいる国が違う被爆者ではないことなどがあげられます。しかしこれらはいずれも自ら選んだことではありません。私も同様の立場になっていたかもしれないのです。自らが選んでその状況ではないというのは在韓被爆者だけではありません。民族や性的などのマイノリティー、身障者の方々なども同様です。在韓被爆者の方々と関わることによって様々な立場の方を思うようになりました。在韓被爆者の方々と関わることで多くの「気づき」があり、私の世界を広めてくれたのです。在韓被爆者との出会いが私の世界を変えてくれたといっても過言ではありません。 そして知れば知るほどわからないことが出てきて、常に新しいことを教えてもらえるのです。

 

 

 

 

 

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2017年5月29日 (月)

核兵器禁止条約制定交渉会議の記事を読んで

今月27日の中国新聞で「「被爆国と言えるのか」核禁交渉不参加 ヒロシマ落胆と怒り」という見出しの記事がありました。日本政府が核兵器禁止条約の制定交渉会議に不参加を明言したことに対し、被爆者が憤りを感じているという内容です。

 

核兵器禁止条約制定交渉会議は核兵器の使用禁止と廃絶を目指す国際条約で、国連に提出されていますが発効はまだされていません。今月22日、ジュネーブで開かれた交渉参加国の会合で条約草案の前文に「核兵器使用の犠牲者(ヒバクシャ)の苦難を心に留める」という表現が盛り込まれることが公表されました。被爆者の積年の悲願が認められた流れになっていましたが、被爆国である日本が条約の制定交渉会議に参加しないことが26日にわかったのです。

 

27日の中国新聞の記事では「被爆者と日本政府の思いは違う。」「『被爆者』と記された条約草案を見てなお核保有国の立場に立つというのか」と被爆者は日本政府への怒りをあらわにしていました。日本被団協は1956年の結成時から核兵器の廃絶を世界に訴え続けています。被爆者が背負った苦痛を少しでも軽くするのは、未来に同じ悲劇を繰り返さないという約束です。被爆国である日本が世界に訴えることで、核兵器を持つ国、持とうとしている国への説得力が強まるのではないでしょうか。

 

29日の朝、北朝鮮が弾道ミサイルを発射したニュースが流れました。北朝鮮は核開発の疑いもあり、核兵器の脅威がまた一つ増えました。今こそ核兵器を廃絶すべき時期なのではないでしょうか。条約草案の前文の記述「ヒバクシャ」は、日本語の被爆者です。どのような意味を込めて条約参加国が日本語を使ったのかを日本政府は考える必要があるのではないでしょうか。核兵器禁止条約の採択はこれからです。日本を含め核保有国、そしてより多くの国が核兵器禁止条約制定交渉会議に参加することを世界の片隅から望みます。

 

 

 

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2016年12月26日 (月)

良いお年をお迎えください

先日、私がお世話になっている韓国の原爆被害者を救援する市民の会の「送年会」がありました。韓国では忘年会にあたる年末の飲み会を「送年会」というそうです。市民の会の送年会は昼間なのでお酒はありませんが、沢山食べておしゃべりを楽しみました。一年を感謝と笑顔で送り、新しい年を迎えるという送年会はいいネーミングだと思います。

皆さんの今年はどんな年だったでしょうか。私は在韓被爆者の歴史について振り返り、あらためて在韓被爆者について考えた1年でした。調べていく過程で在韓被爆者支援を始めた方々の熱い思いに触れました。また何十年もの間、日本各地にいる支援者が在韓被爆者運動を支えてきたことを知り、日本人の良心に触れた気がしました。

私のような新参者は活動の本来の意義や目的などを十分わからずやみくもに活動しているだけですから、このたびの振り返りはとても大切なものとなりました。

本年も当ブログにおつきあいいただきありがとうございました。お世話になった皆様、ありがとうございました。どうかよいお年をおむかえください。

韓国語の年越しと新年のご挨拶です。

 

새해  많이 받으세요!

新年 福を たくさん 受け取ってください。

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2016年12月 1日 (木)

被爆71年目の本年は韓国の被爆者にとっては大きな節目の年になりました

  今年も残りあと1月となりました。私は昨年に引き続き、韓国に行くことができませんでした。8月、12月と行く機会はあったのですが、いずれも同行者がおり、その方々が行けないということで、機会を逃してしまいました。

 

今年の韓国は被爆者の支援法案が成立したり、韓国原爆被害者協会の本部が陜川に移ったり、被爆二世のための居住施設が陜川に建設されたりと、大きな動きがありました。さらにオバマ米大統領の広島訪問の際、大統領声明から朝鮮半島の被爆者の存在が世界に知られることとなりました。被爆71年目にして在韓被爆者にとってはようやく自分たちの活動の成果が目に見える形となって表れてきたのかもしれません。陜川では原爆の資料館が建設予定ということですので、来年はさらに韓国国内で被爆者に注目が集まることになるかもしれません。

 

 今年の私と在韓被爆者との関係はというと、民団広島県地方本部の韓国原爆被害者対策特別委員会の被爆70年の記念誌を編集させていただきました。また、まだ発行されていませんが日本からの在韓被爆者支援について原稿を書かせていただきました。在韓被爆者の歴史を文献でしっかり勉強させていただき、日本人の支援者と在韓被爆者はまさに二人三脚で数十年もの間、共に活動してきたことを知り、敬服しました。

 

来年こそは訪韓したいと思っています。そしてたっぷりと今年の出来事について、これからのことについて聞きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

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2016年10月27日 (木)

読書の秋。故人の本をだれがどう引き継ぐ?

最近、色々な場面において個人で収集されていた書籍や資料の行き先が話題になります。私が知る故人になられた方々のものは、ある場合は大学に寄贈され、ある場合は仲間に分けられ、ある場合は一部廃棄というかたちをとっています。在韓被爆者支援や戦後補償問題に関わられてこられた方はみな活動歴が数十年と長く、専門的な書籍や集会でしか購入できないもの、また印刷部数が限られ元々が手に入りにくいものが数多くあります。さらに個人情報ではあるけれど歴史的に見て貴重なもの、裁判資料もあり、極めてレアな資料があります。関心のないご家族にとってはゴミの山にしか見えないかもしれませんが、知りたいひとからすれば宝の山なのです。悲しいかなお宝は前述のような状況で残される場合はそう多くありませんし、散失してしまいます。そして残念ながら、こうした資料を引き受け、まとめて保管する場所も広島にはないのです。

 

以前といっても10年以上前になりますが、この問題について話し合ったことがありました。広島市や広島県といった公共施設での管理がいいのではないかという話もでましたがそう簡単に引き受けるとも思えず、個人がお金を出し合いあるビルの一室を借りることになりました。しかしそれも管理されていた方が亡くなり、そこも解散となりました。

 

 今、ある原稿を抱えていて、市民団体の会報や出版物を探していましたが、関係資料を探すのが大変でした。大学が管理されている場合も著作権がありコピーも自由ではありませんし、そもそもコピーできない場合があります。東京のある原爆関係の図書館にも行きましたが、そこの方が言うには「公立の図書館では、小説は小説、児童書は児童書、写真集は写真とバラバラになってしまい、原爆という枠組みでコーナーを設けてくれない。だから私たちはこの図書館を作ったのです」と話していました。確かにこのようにまとまっていると探す方はとても便利ですし、意外な発見もあります。

 

 運動関係の方々が持っている資料はとてもとても貴重なものです。悲しく残酷な歴史ではありますが、それも今を生きる方々に伝え、つなげていかなければなりません。個人ではどうしようもないことなので、広島でどこか検討してもらえないかなあと願っています。

 

 

 

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