イトウソノミの雑感

愚作のことや、上映情報、たわいもない話など

2020年1月27日 (月)

새해가 밝았습니다!올해도 열심히 하겠습니다.

韓国ではお正月といえば旧正月の方が一般的だと思います。今年は先週25日が元旦で、前後数日間がお正月休みだったようです。ですからタイトルの言葉は新年の言葉として「新年があけました。今年も一生懸命頑張ります」と書きました。

さて今年は被爆後75年という区切りの年です。75年間で核兵器は年を追うごとに増加し、2019年現在で世界中に約1万3865個という数が保有されていると推計されています。たった1発の原爆でヒロシマとナガサキはその年に21万人以上が死亡し、不負傷者や入市被爆などで被ばくし、原爆後障害により死ぬまで苦しんでいることを世界の核保有国の指導者は知っているのでしょうか。原爆の被害とはどういうものなのか。まずヒロシマ、ナガサキに来て被爆の実相を知ってほしいと切に願います。被爆者の話を聞いてほしいと望みます。

 

被爆者は二度と自分と同じ被爆者をつくってはいけないと、辛い気持ちをこらえて証言しつづけてきました。しかし近年、証言される方は少なくなってきているのが現状です。このような中、嬉しいことに若い方による被爆体験が引き継がれ、新しいアプローチで被爆の実相が発信されています。高校生が描く原爆の絵や原爆投下前の町のバーチャルリアリティー化、廣島のあの日をデジタル化しインターネット配信しているヒロシマアーカイブ、市内のバーやカフェで行われる被爆証言など今までにない方法であの日を伝えようとしているのです。被爆者ではない方による継承はかなり難しい作業ですが、それをぽんとやってしまう若い方の活動をニュースで知るたびに頼もしいなあと思います。今年は私も頑張って、私なりの方法で記録を残していきたいと思います。本年もどうぞよろしくお願いします。

 

 

 

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2019年12月27日 (金)

来年は日韓関係が回復しますように

今年は日韓関係が最悪の年になったと言われています。実際に身近なところでは広島―ソウル便が今月で運休しました。飛行機まで運休になるほど関係がこじれてしまうのは異常事態というほかありません。今後どうなってしまうのでしょうか。ご存知のようにこのような関係は両国にとっていいことなど1つもありません。そして政治で解決するしか方法はありません。

 

 

では私たち個人は政治家の動向を黙って見ているだけでいいのでしょうか。一人の日本人としてできることがあります。それは朝鮮半島と日本との歴史を知ることです。私は日本と朝鮮半島がいかに深い関係性を持って共に歴史を刻んできたのかを知りました。そして現在の日本社会の礎が朝鮮半島の方たちの力によって築かれてきたことを知りました。両国の関係が良い時代も悪い時代もありました。相手のことを知ること。それは私たち一人一人ができる良好な日韓関係を作るための試みです。日本人である私たち個人が知ることではじめて朝鮮半島の方と同じ土俵に立って話ができ、対等につきあえるのではないかと思います。

 

今年は後半になって再びフィールドワークを始めました。何度かブログに書きましたが、あらためて現場に行ってみると、十数年前に行った時とは違った感情が沸きます。最初に行った時は付いて行くのに必死でしたが、今は現場で働いていた人、そこで生きていた人たちの様子が手に取るように伝わってくるのです。一歩一歩足を進めていると、70年以上前に確かにそこにいた人たちの姿が浮かんでくるのです。フィールドワークに参加された在日コリアンの方が「日本人がこうして色々と調べてくれてありがたい」と皆の前で話されました。その言葉を聞いたある方が「(被害者からの)ありがとうという言葉に舞い上がってしまう日本人は何なのか」と問いかけていました。そしてこうした言葉に舞い上がってしまう日本人でいる限り、朝鮮半島の人との和解は難しいとも話されていました。私はどこに立っているのか。来年は自分の立ち位置を確認しながら、進んでいきたいと思います。今年も残すところあと僅かとなりました。どうかよいお年をお迎えください。

 

 

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2018年12月14日 (金)

2018年を振り返って

 平成の年号が最後となった今年は色々なことが起こりました。最も強く残っているのが日本国内各地で発生した自然災害と、朝鮮半島での南北首脳会談でした。西日本豪雨災害では先日福塩線の一部が再開し、5カ月ぶりにようやく福山―三次間全線が開通するというニュースが流れていましたが、災害の傷跡はまだまだ残っている状況です。また朝鮮半島の南北首脳会談は本年中には終戦宣言かと思いましたが、やはりそう簡単ではなかったようです。戦争が続いている状態が日本のすぐ隣で起こっている状況では、日本は平和だとは残念ながら言いきれません。しかし南北の首脳が何度も会談しているということは終戦への道のりに少しずつですが近づいている気がします。

 前ブログでも書きましたが、今年の韓国の大法院での元徴用工裁判における日本企業の敗訴判決は先の戦争がきちんと終わっていないことをつきつけられた気がします。戦後73年経ったというのに日本政府は何をしているのでしょうか。日本政府をはじめ私たち日本人が日韓併合時代についてきちんと考えてきていれば、加害の歴史に向き合っていれば、戦後70年近く経ってから裁判が起こされるようなことはなかったと思います。日韓併合時代、日本は朝鮮半島の方たちに対しては加害者です。日本から朝鮮半島に行き、朝鮮半島の資源を奪っていったことは間違いのない事実です。植民地時代の歴史は日本の歴史でもあります。植民地にされた方々がどういう思いだったのか。日本人は何をしてきたのか。日本人の全てが悪人で、やったこと全てが悪だったとは思いませんが、朝鮮半島の方々が日本の何に対して『恨(はん)』というしこりを残しているのか。それを知れば先の戦争のけじめをつけられるのではないでしょうか。元徴用工の方たちの裁判内容を知ると、日本政府が、日本人が何をすればいいのか理解できるかもしれません。

 先月末、また悲しい別れがありました。広島の在日コリアンの被爆者が亡くなったのです。出会いは十年近く前だったと思います。在米コリアンの被爆者の方と共に食事をしました。おしゃれでお話がじょうずでいつも笑顔の可愛らしい方でした。今年、数カ月かけて原爆症認定申請のお手伝いを行い、7月に提出した矢先のことでした。体調がいいとは決していえる状態ではありませんでした。10月頃に入院し、1ヶ月ほどであっという間に亡くなられたそうです。ご家族の方もまさかこんなに早く亡くなるとは思わなかったそうです。原爆症の認定は申請後、1年近くかかると言われました。申請者はみな被爆者で、重病を抱えているのです。もっと早く認定審査をしていただければ、気持ちが安らかになる被爆者が大勢いらっしゃると思います。審査期間の短縮を切望します。

 私自身は長年抱えている広島の在日コリアンの被爆者1世2世の映像を今年中にまとめることはできませんでした。とはいえ新たに取材させていただき、さらに深いお話を聞くことができました。来年こそ完成を目指して、頑張ります。

 

 いつもこの小さなブログに起こし頂き、ありがとうございます。

 来年も引き続き、よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2018年1月29日 (月)

ヒロシマの記憶を伝えるということ

私が広島に来て最初に感じたことは「なんて美しい街だろう」ということでした。川がいくつも流れる広島の街は大都市なのに緑も豊かで原爆が落ちたイメージからはかけ離れていました。そして人々も親切でした。電車に乗れば運賃の払い方も教えてくれますし席を譲ってくれます。道が分からなければ教えてくれます。住みやすい街だと思いました。しかしよく見ると被爆の痕跡はあちこちに残っており、被爆時の写真が置かれ、原爆の悲惨さが人々の記憶から忘れないようになっていました。それらは決して大げさな物ではないため、写真に気が付いた私にはむしろ心に突き刺さってきました。被爆建物や被爆樹もそこかしこにあります。こうしたものをみるたびに過去の戦争を感じ、自分の中で戦争についての関心が高くなっていきました。

しばらくすると私は広島の過去が持つ別の顔を知りました。広島が軍都だったということです。明治時代、廣島には大本営があり、海外出兵の前進基地となっていました。調べると広島市内はもとより県内各地に軍事施設が数多く残されていました。その中の一つが愚作の一作目に登場した地下壕(地下防空壕)でした。地下壕など軍事施設をみていくうちにそこに関わっていた、それらを作っていたのが朝鮮半島の方たちであることを知りました。被爆者の中に朝鮮半島出身者が何万人といることも知り驚きました。

私は軍都廣島そして朝鮮半島と広島との関わりを調べていくうちにさらに驚きました。本はそこそこ出版されているのですが、映像作品として一般人が見られるものは殆どなかったからです。戦争そしてヒロシマと言えば原爆関連の本や映像は数えきれないほどあるのですが、そこに朝鮮半島、朝鮮人というワードを加えると急に少なくなるのです。

そもそもなぜ記録が残っていないのかということです。敗戦時、日本軍は自分たちが行ってきたことの記録や建設物など焼却し破壊し、記録として残さないようにしていました。ですから私が広島に来てから知った地下壕も記録がなかったのです。植民地となった朝鮮半島の人々は広島で何をしていたのかを知ることが私の活動の出発点となりました。

戦争は負であると誰もが知っています。しかし戦争が私たち国民にどんなことを強いるのか、どんなことが身にふりかかってくるのか、自分が殺されるだけではなく、人を殺めてしまう状況にまで追い込まれてしまう場合もあることなど、具体的なことを知る機会はそう多くはないため、なぜいけないのかを答えられる人はそう多くはないと思います。戦争の実相を知ることでなぜ負なのかが理解できるのです。戦争の記録を残すということは国や歴史の批判、否定につながるのではなく、将来、戦争という選択を国民が問われた場合の大きな道しるべになります。具体的に私たちの身の回りに起こることを知った上で私たちが選択することと、何も知らされない知らない状況で選択を迫られる場合とどちらがいいのかは明白です。先人たちの記憶が私たち一人ひとりの未来につながるのです。私は日本でも韓国でも被爆者の方々とお会いして、戦中戦後の生き方をお聞きしています。今の広島の街が美しいから結果よいのではないかと私は決して言うことはできません。

 

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2017年12月27日 (水)

2017年を振り返って

ゆっくりと歩んだ年でした。昨年は1月から10月までびっしりと取材と原稿書きが続き、気が付くと年末でした。そのため今年は少しゆっくりめにと思っていましたが、考えていた以上にゆったりしてしまいました。

今年こそは映像編集をしようと、何年も前から撮影し溜めていた映像を見直したり、少しづつまとめたりしていました。以前、撮影したものを見直すと、すでにお亡くなりになった方々が元気な姿で映っており、貴重なお話をしてくださっていました。あらためて、きちんと作品としてまとめ上げなければいけないと気を引き締めて作業を続けています。

よかったのは、ようやく韓国に行けたことです。昨年は行けなかったので気になっていました。ハルモニやハラボジに久しぶりに会えましたし、陜川の状況を知ることができました。しかし今年もう一度行こうと思っていましたが叶いませんでした。被爆者健康手帳申請のお手伝いで行く予定だったのですが、書類を書くことができなかったのです。調べれば調べるほど時間の壁が大きく立ちはだかってきます。支援者それぞれが様々な方面から調べているのですが、すぐに行き詰まってしまうのです。私がお手伝いさせていただいている方はお母様が韓国原爆被害者協会に入っている方です。しかしすでにお母様は亡くなり本人は幼児被爆のため記憶がありません。書類で日本にいたという証拠がないためどうにもならないのです。具体的に言うと広島に住んでいたという記録がありません。無くても当然というか、おかしくはない状況が当時、朝鮮半島の方にはありました。詳しくは書きませんが、証拠がなくてもいた可能性が高いのです。特に韓国原爆被害者協会に入っていたということは被爆者である可能性がかなり高いと私は考えます。なぜなら協会の会員になってもほとんど意味のない時期に入会しているからです。この方を引き続き支援していくかどうか、来年早々に判断が下されると思います。

また個人的に大きな出来事は日本の被爆二世が裁判を起こしたことです。この裁判はニュースとしては全国的には大きくなかったかもしれません。しかし日本各地にいる被爆二世が声をあげたことは、被爆二世としての思いを抱えながら生きている方々にとって影響が大きかったと思います。自分と同じように悩んでいる人がいる、一人ではないことを知ることは、被爆一世が亡くなっている今だからこそ大事なことだと思います。

資料や本は新しいものではなく、むしろかなり前に出版された本などを読む機会に恵まれました。そしてそれらの中に基本を見ることができたことはとても重要でした。

本年もこの小さなブログにお越しくださり、誠にありがとうございました。

多少なりとも皆様のお役に立つことができましたら幸いです。

皆様にとって来年も良い年になりますよう心からお祈り申し上げます。

      イトウソノミ

 

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2017年12月12日 (火)

サーロー節子さんの演説

広島市南区出身のサーロー節子さんが12月10日、ノーベル平和賞の授賞式で演説を行いました。ノーベル平和賞を受賞したICANと共に活動し、被爆体験を証言してきたサーロー節子さんの演説は聞いていた方々に感動を与えました。演説の途中で何度も拍手があり、中には涙を流している方もいました。終わったあとはスタンディングオベーションを受けました。私は英語がわからないのですが、サーロー節子さんの言葉は迫力があり胸を打ちました。被爆者の願いがそこにありました。72年間の思いが詰まっていました。国や民族を超えて共有できるものでした。

私自身はネットで演説を見ていましたが、できれば地上波もしくはBSででもノーベル平和賞授賞式の様子や演説の全てをテレビ中継してほしかったと思いました。被爆の惨劇の様子、どうやって生き残ってきたのか、家族や友人など大切な人々がどのように死んでいったのか、被爆者がどんな思いで72年もの長い間生きてきたのかを、世界中の人々にどう訴えたのか日本人は知るべきだと思いました。

被爆者がこのように世界に向かって被爆体験を話す機会というのは恐らく初めてではないかと思います。もちろんサーロー節子さんを始め、外国に住む被爆者の方々はその国で被爆証言を行ってきました。しかしノーベル賞の授賞式といえば世界中に映像が配信されます。世界の人々が原爆の非人道性を被害者から直接、知ることになるのです。特別なことだと思います。サーロー節子さんの言葉はどれも珠玉ですが中でも「その後の数週間、数カ月間、数年間にわたって、放射線の後遺症により予測もつかないような不可解な形で何千もの人々が亡くなりました。今日に至ってもなお、放射線は人々の命を奪っています。(東京新聞TOKYOWebより)」と被爆の影響が今なお続いていることを伝えたことは大きな意味があると思います。

サーロー節子さんの演説全文はネットにもあがっていますし、新聞にも全文が掲載されています。とても素晴らしい内容ですので、ぜひぜひご覧になっていただきたいと思います。

 

 

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2017年11月30日 (木)

科学技術と社会倫理の関係を考える~科学技術社会論学会に行きました。

福岡の九州大学で開催された科学技術社会論学会の研究大会に1126日に行ってきました。科学技術社会論とは科学技術の専門家と一般市民の仲立ちをするための専門家の研究です。科学技術の非専門家である一般市民を社会としているため社会という言葉がついています。「科学技術社会論学会」はあるメーリングリストで知りました。なぜ私が関心を持ったのかというと、被爆二世裁判で争われている「科学的」という意味をどのように考えたらいいのかを知るためでした。学問自体に対し何も分からない私がどこまで理解できたかは不安ですが、私なりに感じたことを書き留めてみます。理解の仕方に間違いがあれば教えていただければと思います。

科学技術の専門家と一般市民の仲立ちをするための研究とは具体的にどのようなものなのでしょうか。私が参加したセッションは主に放射線関連のテーマでしたので、発表された内容からご紹介します。ある発表では高レベル放射性廃棄物処分問題に関して、シンポジウムを開催し推進派と否定派両方の議論を提示し両方が共有できる「事実」を整理していました。このグループが行っているシンポジウムは福島第一原発事故前から行われているもので事故の年は開催されませんでしたが、翌年からは再開されています。もちろん一般市民の参加も可能です。現在は両議論の見解を併記した資料の作成を行っています。

また科学技術を知らない一般市民が公表された科学技術に対してどう捉えたらいいいのかという発表もありました。公害や被曝といった問題に対し、公表された科学に問題点がないか構造的な部分から研究していくというものです。具体的には研究の不正や、企業といった特定の立場に有利になるような操作など「科学のねじ曲げ」があることを考えなければいけないということです。これまで日本では水俣病やソリブジン事件(臨床実験段階から問題視されていたにも関わらず発売され死亡事故が起きた薬害事件)などが度々起きていました。こうした事件の原因が「科学のねじ曲げ」にあるというのです。

201112月に本学会が開催された際、発表では科学批判の必要性、科学技術社会論学教育の必要性が話されていたようです。科学技術社会論学の教育がどこまで普及しているのかは分かりませんが、私自身このたびの学会の発表を聞かせていただき、論理的な科学批判の目を持つことの必要性と重要性を実感しました。直接、命に結びつくことだからです。とはいっても私たち一般人は科学を批判的に見たくてもその術を持つことは容易いことではありません。科学技術と一般人を仲介する科学技術社会論学がもっと注目を浴びてもいいのではないかと感じましたし、もっと本学問が一般社会に浸透してほしいと思いました。

 

 

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2017年10月 6日 (金)

憲法を知ること

先日、ある集会で日本国憲法について話をお聞きしました。考えてみると私自身、日本国憲法を学校で習った憶えがありません。全文を読んだのも大人になってからですし、もっと言えば自分の生活に引き寄せた具体的な権利まで考えたこともありませんでした。先日の集会では第3章「国民の権利及び義務」の「幸福の追求権」や「精神的自由」などについて丁寧に教えていただきました。

幸福の追求権は

 

第3章第13条「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」

 

によっています。この中には肖像権や氏名権、プライバシー権、自己決定権などがあるそうです。氏名権というのは、自分の名前にたいする権利です。勝手に使用できないということです。自己決定権は髪型や服装、尊厳死、安楽死といった死に関する権利、避妊や中絶といった権利があるようです。髪型や服装までと思うかもしれませんが、戦時中は派手な服装を禁じられたり、モンペなどが推奨されたりしています。現在では国によって宗教的に女性の服装の規定があります。それを考えるとこれらの自由がいかに大事なものであるかが分かります。

精神的自由は

 

第19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」

 

によっています。思想や良心を持つことの強要の禁止、禁止の禁止などです。さらに

 

第20条「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」

 

も精神の自由です。宗教を信じるのも、信じないのも自由だということです。宗教的行為に参加しない自由があるのです。例えば政治的な思想を強要したり、拒否することへの禁止をすることはできません。神社や教会に行くのも自由ですし、拒否することも自由なのです。この精神的な自由の権利は何物にも代えがたいものです。自分の信じるものを自由に選択できることは、様々な可能性を持つことですし、時には命につながることになるかもしれません。思想や宗教は生きる糧となる場合があるからです。

こうして日本国憲法を見ていくと、私たちが持っている義務を含めた権利が今の日本の暮らしの根底にあると考えさせられます。もっと憲法を知る機会があるといいと思いました。また学齢の早い段階から学校で日本国憲法を学習する機会を設ける必要があるのではないかと感じました。

 

 

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2017年8月31日 (木)

この頃、感じること。

 最近、なぜと感じることがありました。まず7月に開催されたノーモア南京展に日本のマスコミの取材がほとんど来なかったということです。広島市内の被爆建物で7月14日から23日までという長い展示期間で開催され、中国から南京大虐殺幸存者の娘さんや南京抗日戦争博物館館長らが来広し、被爆二世や南京戦に参戦した兵士の息子さんの貴重なお話しがあったのにもかかわらず、取材がなかったというのです。中国のマスコミはネットで生配信を行ったり、国営テレビの放送も行われました。日本のマスコミには事前に記者会見までしたようなのですが関心が薄かったようです。結局、最終日過ぎても新聞などで記事として目にすることはありませんでした。中国のマスコミとの差はどこで生まれたのでしょうか。広島の南京展の入場者は約1000人来たといいますから、一般の方の関心も決して低くはなかったと思うのですが・・・。ちなみに中国のネットニュースは何万人もの視聴があったようです。

 2つ目はある団体の韓国旅行の企画が中止になったということです。どういうことかというと、韓国旅行企画の中で慰安婦ハルモニに会う時間を設けたために、旅行会社が取り扱いを辞退したというのです。当初の辞退理由は「政治的中立が保てない」というものでした。この団体は日韓で歴史の教材を作成し、毎年のように韓国に学習に行っていました。韓国旅行は当然、政治的な意図はなく、あくまで学習の一環です。このハルモニに会う時間がなければ旅行会社の辞退はなかったようです。なぜハルモニに会うと政治的になるのでしょうか。

歴史を知るには当事者に会うのが一番ですが、一般人が当事者に会うことは簡単ではありません。ましてや72年以上前の戦争時を生きた方の証言を聞く機会はこれからますます少なくなってきます。南京展にしても韓国旅行にしても、市民団体が長い時間をかけて当事者たちと交流し、人間関係を作り上げたうえで企画したものです。今を逃すとできない内容です。歴史を知る企画が政治的だと感じるのはどういうことなのか不思議でなりません。歴史の真実や事実を見極めるのは、とても難しいことです。だからこそ現地で感じたり、当事者の方と会い話をお聞きしその時の思いを知ることが重要です。見ると聞くとでは大違いだったということは、自分自身の実感としてあるのです。歴史を知る機会が私たちの知らないところで失われていたなどということがないように、私たちは気を配らなければいけないと思います。

 

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2017年7月11日 (火)

核兵器禁止条約案採択のニュースを見て

 今月7日、ニューヨークの国連本部で行われていた核兵器禁止条約制定交渉会議で「核兵器禁止条約案」が採択されました。国連加盟国中120ヵ国以上の参加で賛成122という圧倒的な数での採択となりました。これでようやく世界的な非核への足掛かりができました。広島近圏で最大発効部数を誇る中国新聞では連日大きく紙面を割いて報道し、被爆者と広島の思いを伝えていました。広島でいかに本条約が期待されていたかが分かります。特に9日は核兵器禁止条約の全文が掲載されていました。前文から世界中の人々の思いが込められているものでした。

 まず前文で印象に残ったのが被爆者への理解と共感でした。「核兵器の使用による被害者(ヒバクシャ)ならびに核兵器の実験によって影響を受けた人々に引き起こされる受け入れ難い苦痛と危害に留意。」の文言は、被爆者の方々の長い長い反核運動の成果といっても過言ではないでしょう。被爆者の苦しみが世界中の人々に伝わっている証だと感じました。記事には抱き合って喜ぶ被爆者の写真がありました。また前文には核兵器実験の被害者への言及、さらに先住民への被害にも触れている部分があり、製造から始まる核兵器の残酷さをあらためて確認することになりました。核がもたらす甚大な被害を提唱することで核兵器使用は人道に反する罪だと世界が認めたのです。

 本文では核兵器の開発、製造、実験、保有などの禁止は当然のこと、支援や勧誘、要請の禁止なども含まれていました。核兵器を持たず持たせずなのです。加えて被害者支援には心身の医療ケアのほかに社会的、経済的なケアの提供、そして核兵器を使用した地域の環境改善も入っていました。これらは核兵器を持つこと自体で大きな負担がかかることを意味します。核兵器被害が人的、環境的に長期間にわたって影響することが世界中の共通認識として捉えられているのです。核を持つことで自国の損失が高まるという、核兵器を互いに持つことで抑止につながることとは正反対の発想です。本条約の期間は無期限で、脱退希望国が紛争に関わっている場合は武力紛争が終結するまで脱退できないようになっています。戦争で使わせないようにしているのです。

 条約は920日から各国で署名が始まり、50ヵ国が批准すれば90日後に発効されるということです。皆さんご存知のように広島、長崎に核兵器を落とされた日本の政府は交渉の場にさえ参加しませんでした。議場外で条約に署名しないという方針を示しました。核を持つ国と持たざる国という国同士の問題ではなく、地球規模で核兵器がもたらす影響を考えることが今回採択された「核兵器禁止条約」が持つ意味だと思います。核兵器の被害国である日本が「核兵器禁止条約」に批准した場合の他国への影響は計り知れないと思います。なぜなら核兵器の恐ろしさを強烈に伝えることになるからです。核兵器を使われても持たない強い勇気を持つ国だと知らしめることになるからです。両者が手に武器を持っている時、相手より先に武器を離すのは勇気がいることだと思います。今回の条約はその勇気を後押ししてくれるものになるはずです。核保有国を含めた世界中の国が批准し、本条約が発効されることを願っています。

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