多文化

広島の在日コリアンや多文化共生のことなど

2020年9月 9日 (水)

NHK広島放送局「1945ひろしまタイムライン」のツイートについて

もし75年前にSNSがあったらという企画で行われているNHK「1945ひろしまタイムライン」が問題になっています。これは実在する人物の日記をもとに広島ゆかりの市民が短文を創作し、ツイッターで発信するというものです。

企画趣旨は「被爆体験の継承」で、方法は『75年前の日記本文にもとづき、現代の人たちが「日記を書いた人が当時何を見て、何を聞き、何を感じたのか?」を想像し伝える』というやりかたです。

“新聞記者の一郎さん”“主婦のやすこさん”“中学校1年生のシュンちゃん”の3人がツイートの発信者です。本文は広島ゆかりの市民11人がそれぞれ分かれて、取材や聞き取りをしながら考えているようで内容は創作です。ツイッターというSNSを使い、被爆前から被爆当日、被爆後の様子をまるでリアルタイムに起こっているかのようにツイートするこの企画は、当初から話題となりました。フォロワー数はそれぞれ12万人以上おり、中でも一番多いフォロワー数14万人をもつのがシュンさんです。このシュンさんの6月16日と8月20日のツイートに朝鮮人についての記述があり、これが差別の助長であると問題になっているのです。                                                                              

『朝鮮人の奴らは「この戦争はすぐに終わるヨ」「日本は負けるヨ」と平気で言い放つ。

思わずかっとなり、怒りに任せて言い返そうとしたが、多勢に無勢。しかも相手が朝鮮人では返す言葉が見つからない。奥歯を噛みしめた。6月15日』

『「俺たちは戦勝国民だ!敗戦国は出て行け!」圧倒的な威力と迫力。怒鳴りながら超満員の列車の窓という窓を叩き割っていくそして、なんと座っていた先客を放り出し、割れた窓から仲間の全員がなだれ込んできた!8月20日』

『あまりのやるせなさに、涙が止まらない。負けた復員兵は同じ日本人を突き飛ばし、戦勝国民の一団は乗客を窓から放り投げた 誰も抵抗出来ない。悔しい…!8月20日』

すでに多くの方々が新聞やネットでこの問題について語っておられますが、私も当ブログで取り上げることにしました。なぜなら在韓被爆者や在日コリアンの方々と関わりを持つ者の一人として、日本人の一人として看過できないと思ったからです。いうまでもなく差別の問題は差別する側にあり、これは日本人の問題だからです。シュンさんのこのツイートを読む限りヘイトスピーチに近いと感じました。

日本で2016年5月に成立した「ヘイトスピーチ解消法」では

 

「専ら本邦の域外にある国若しくは地域の出身である者又はその子孫であって適法に居住するもの(以下この条において「本邦外出身者」という。)に対する差別的意識を助長し又は誘発する目的で公然とその生命,身体,自由,名誉若しくは財産に危害を加える旨を告知し又は本邦外出身者を著しく侮蔑するなど,本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として,本邦外出身者を地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動」

(法務省HP http://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken04_00108.html

 

と定義されています。

問題になったシュンさんのツイートは、本邦外出身者つまり朝鮮半島出身者およびルーツを持つ人を地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動に近いのではないかと思います。ツイートを考えた人たちは「在日コリアンの人たちを地域社会から排除するなんて思っていない。まして煽動しようとも考えていない」と思っているかもしれません。しかし以下の理由から差別的な行動、煽動を誘発する可能性があると思えます。

1・ツイッターという公共の場で発表することから起こること

SNSの一つであるツイッターは多様な意見を持つ人々が不特定多数の人に向けて自分の思いや意見などを発信し共有するインターネットにおける一つの社会です。ご存じのようにSNSにもルールがあり、ツイッター社の規定では【Twitterのポリシー:暴言や脅迫、差別的言動: 人種、民族、出身地、社会的地位、性的指向、性別、性同一性、信仰している宗教、年齢、障碍、深刻な疾患を理由とした他者への暴力行為、直接的な攻撃行為、脅迫行為を助長する投稿を禁じます。】とあります。

当時の気持ちになったとしてもツイッターという手段を使うのですから、SNSを利用するにあたって現代のルールは当てはまります。「シュンさんならこう思ったのではないかと想像して書きました」「実際に話を聞いて書きました」というだけでは済まされないと思います。

シュンさんのツイート内容が民族を理由とした他者への脅迫行為を助長する投稿だと思うのは、シュンさん(実質は現代の人ですが)のツイートの文章は朝鮮人に対して良い感情で書いているとは思えず、むしろ嫌な存在という印象を与えるからです。なぜ朝鮮人と書いたのでしょうか。朝鮮人という言葉を広島県人と置き換えて読んでみてください。どう感じるでしょうか。もし同じ日本人ならわざわざ広島県人と書くでしょうか。朝鮮人と区別する言い方をする必要があったのでしょうか。このツイートで「当時の朝鮮人は暴力的だった」という印象を与えてしまうのではないでしょうか。

このツイートによって日頃から在日コリアンを攻撃している人たちの在日コリアンへの憎悪の増幅、助長につながり、実際に在日コリアンに危険行為が及んでしまう恐れをはらんでくると思います。さらに拡散により朝鮮人に対してネガティブなイメージが付き、社会的な偏見や差別意識の助長につながっていく可能性を否定することは難しいと思います。

シュンさんのツイートには多いもので3100もの「いいね」がついており、数多くのリツイートつまり拡散がされています。今もシュンさんのフォロワー14万人がシュンさんの言葉を目にします。実際にツイートのコメント欄には朝鮮人差別と思われる内容のものも散見します。これは在日コリアンへの偏見、差別的な行動、煽動を誘発する可能性が広がり、継続している状況といえます。拡散している人も「いいね」を押した人も偏見や差別の助長をしているという意識がなく行っていたとしても、民族を理由とした他者への脅迫行為を助長する投稿と同じになってしまいます。

 

2・NHKの企画から起こること

NHK広島放送局のひろしまタイムラインのHPでは「1945ひろしまタイムライン」のツイートはすべて、NHK広島放送局の責任で行っています。」(ひろしまタイムラインブログ「6月16日・8月20日のツイートについて」20200824()よりhttps://www.nhk.or.jp/hiroshima/hibaku75/timeline/index.html)と書かれていたため、NHKの公式ツイートと言ってもいいと思います。NHKという立場でのツイートです。NHKはマスコミとしての影響力が強く、広く一般に浸透します。シュンさんのツイートもNHKの発信として強い影響力を持って広がっていく可能性があるのです。

このシュンさんの問題ツイートは新聞やインターネットなどで取り上げられ、実際に抗議を受けながらもNHK広島放送局は検証も説明もせず、9月9日現在もシュンさんのツイートは削除されていません。こうした対応は在日コリアンを攻撃している人たちの正当性の根拠になりかねません。私は想像で書かれた創作のツイートに対して、正当性の根拠になる可能性があることに危惧を感じます。

 これまで可能性という表現を多用しましたが、可能性が高くなるだけでも在日コリアンの人々が日常生活の中で不安や苦痛を感じることになるのではないかと思っています。『ヘイト・スピーチとは何か』(師岡康子著)の本文には65年にカナダの連邦議会で設置した「ヘイト・プロパガンダに関する特別委員会」がまとめた報告書の文章が載っていました。そこには「報告書は、ヘイト・プロパガンダ(ヘイト・スピーチと同義)が、現時点で大きな影響がないからといって、人々に偏見が助長される潜在的可能性を無視することは誤りであり、鈍感な多数者や標的にされた敏感なマイノリティ集団の双人に与える心理的・社会的ダメージは測り知れないと指摘した。(114頁)」と書かれています。今回のツイートで在日コリアンの人々に対して心理的・社会的ダメージを与えるかもしれないことが問題だと私は考えるのです。しゅんさんのツイートのコメントにも差別を助長するものではないかという声が多数あがっています。NHKはこれらの声をどうとらえているのでしょうか。

9月2日のしゅんさんの固定されたツイートでは「616日と820日のツイートは、1945年当時の中学生が見聞きしたことに基づいていますが、現代においてどう受け止められるかについての配慮が不十分でした。発信の再開にあたって、今後は必要に応じて時代背景の注釈をつけるなどの対応を取り、差別を助長していると受け取られないよう努めます。」と書かれていますが、なぜこの内容が偏見や差別の助長につながらないのかその説明はみられず、注釈も追加されていませんでした。

このシュンさんのツイート問題はNHKの番組「これでわかった!世界のいま」の公式ツイッターでの67日投稿の抗議デモと全く同じです。攻撃的な黒人をイメージさせていたことと同じで攻撃的な朝鮮人のイメージを想起させているのです。「これでわかった!世界のいま」の公式ツイッターではNHKは謝罪をし、掲載をとりやめたようです。同じことが起こっているシュンさんのツイッターではなぜ謝罪も削除もないのでしょうか。

以上のことから、NHK広島放送局は日常生活への不安をもたらしかねない在日コリアンの人々への謝罪と、問題のツイートを掲載することになった経緯を分析して公開説明し、問題のツイートの削除をすべきだと私も思います。

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2020年2月25日 (火)

今、在日コリアンの子供たちは何を思っているのか。在日朝鮮学生美術展を見てきました。

旧日銀広島支店で開催されている「在日朝鮮学生美術展」(~2月29日金曜日まで)に行ってきました。絵画や造形物、写真など小学生から高校生まで、全国の朝鮮学校の生徒の作品が展示されていました。48回を重ねるこの美術展は東京、名古屋、大阪、福岡、札幌など全国各地をまわる巡回展で、広島は2月22日から開催されています。美術展のHPを見ると「ウリハッキョでは今、在日3世、4世たちが取り巻く環境を諸共せずたくましく学んでいます。在日朝鮮学生美術展は、そのような民族学校の場で学ぶ子供たちの大事な表現発表の場として毎年定期的に行われてきました。ウリハッキョにおいては、マニアル化された表現技法や技術取得に囚われることなく、感じたモノを素直に等身大で表出する事に大きな比重を置き幼稚園から高級部まで一貫した美術教育が実践されています。」と書かれています。私は今回、初めて拝見しましたが、今の日本に生きている在日コリアンの子供たちが何を思っているのか垣間見ることができた気がしました。

 

実はSNSである学生さんの作品のことは知っていました。「Café:Freedom of expression」というインスタレーションのような作品で、箱のような空間の中に作者がいて見に来た客と直接対話するというものです。この箱のような囲いの外側には在日コリアンに対してのヘイトクライムの言葉が張り出されています。読むに堪えられない言葉が羅列されていますが、それは恐らく作者自身が書いたものと思われます。どんな思いでこの言葉を書き写したのかと想像するだけで、なんて残酷なのだろうと胸が痛みます。しかし作者はヘイトクライムを芸術作品に仕上げ、見る者私たち日本人に強烈なメッセージを伝えます。今回、この作品は写真のみの展示でしたが、それでも見ていて胸が潰されそうでした。作者の勇気と表現力は素晴らしいものでした。

「고마워ありがとう」という作品も写真のみでしたが印象的な作品でした。亡くなったお爺様が着ていたであろう衣服が何着も展示されていました。ラフなものからオシャレなものまで、日本で生きてこられた生前の御爺様がそこにはおられました。生で作品を見たら、私は泣いてしまうかもしれないと思いました。

北朝鮮に行った時のことを表現した絵もありました。「混ざり溶けあう」というタイトルの作品は太極の赤と青が細い線で混ざり合っているもので、真っ白なキャンバスに描かれた大作です。その明るさと美しい色合いでひと際目を惹かれました。説明文には、初めて行った祖国で懐かしさと暖かさを感じたこと、板門店で韓国との分断を実感したことが書かれていました。そして「統一と平和を願い、人々が踊り混ざり合い、1つの大きなものとなる様子を表現してみました。」と作品に込めた思いを綴っていました。

 

学生さんたちは在日コリアン4世、5世の方もいるかもしれません。日本で生まれ育った子供たちが日本を自分の居場所として感じられないというのは、日本人の私から見ると余りにも寂しいですし、そう感じさせているのは私たちだと思うと情けなく憤りを覚えます。在日コリアンの方々は日本人と共に生き、日本の歴史を刻んでこられたのです。そしてこれからも、日本の未来を共に作っていく方々です。日本人は在日コリアンの方々に対しどれだけ心を寄せてきたのか。「在日朝鮮学生美術展」は日本人に静かに語りかけてきます。

 

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2019年12月24日 (火)

川崎市でヘイトスピーチ条例が成立しました。全国へ広がることを願っています。

今月12日神奈川県川崎市でヘイトスピーチ条例が可決、成立しました。ヘイトスピーチに対する刑事罰を科す全国で初めての条例です。どのような経緯で成立に至ったのでしょうか。

 

日本国内で在日コリアンを対象に激しいヘイトスピーチが継続的に行われていたことを受け、2016年に国がヘイトスピーチ解消法を作りました。そのきっかけとなったのが川崎市でのヘイトスピーチでした。川崎市の在日コリアンが多く住む地域へその地区に住んでいない人が集まり言葉の暴力を行ったのです。在日コリアンや様々な国の人々と共生していた地域の人々は驚き、怒り、ヘイトスピーチを止めようとしましたが、在日コリアンへのヘイトスピーチはなくなるどころか、ネットでのヘイト書き込みなどエスカレートしていきました。ひどい人権侵害を受けたと川崎市に住む在日コリアンの方々が川崎市に申し出ました。記者会見も行い、ヘイトスピーチの酷さが全国的に知れ渡ることとなったのです。国も対策を講じました。参議院法務委員会で川崎市の在日コリアンの方に参考人陳述を行い、川崎市で実地検分もし、在日コリアンの方から話も聞き、ヘイトスピーチ解消法ができたのです。しかしこの法律は被害者となった在日コリアンの方々にとって具体的に身を守ってくれるものではありませんでした。ネットでの書き込みなど人権侵害は以前続いていたのです。

 

個人的に闘うしかないと川崎市に住む在日コリアンの方は裁判を起こすまでに至りました。こうした状況により川崎市は「命と人権を守る」宣言をし、ヘイトスピーチに対し具体的な刑事罰や罰金を科すことを加えた条例を作ることになりました。成立まで川崎市は様々な妨害にあいながらもようやく12日、条例が可決されたのです。本条例では禁止事項や市が必要な支援を行うことも盛り込まれています。具体的には「何人も人種、国籍、民族、信条、年齢、性別、性的指向、性自認、出身、障害その他の事由を理由とする不当な差別的扱いをしてはならない」「市はインターネットを利用した不当な差別その他の人権侵害による被害の救済を図るため、関係機関と連携し、相談の実施、情報の提供その他の必要な支援を行う」というものです。直接的な罰則があり、具体的な支援策があることで、ヘイトスピーチに対する抑止力になるのです。

 

裁判の原告の方は「市が市民の盾になる条例ができた。現段階ではよく考えられた仕組みになっている。これから改善もできる。川崎は大きな一歩になる。インターネットでは今も酷い状況だが、この条例が止める一歩になればと思う。他の地方も続いてくれればと思う。そして次に国にボールを投げる。国の差別禁止、撤廃の包括な条例が待たれる」と、ある集会で話されていました。

 

ネットや職場など原告への嫌がらせや書き込みは度を越した内容でした。いつ病気になってもおかしくないと思う状況です。なぜそんなことをするのか、言葉の暴力をなぜ平然と振るえるのか、私には理解できませんが、実際にする人がいるのです。一方で嬉しい話も聞きました。大学生がネットで署名運動を行い、川崎市に集めた署名を渡したというのです。ヘイトスピーチは人権侵害です。在日コリアンの方だけの話ではないのです。ヘイトスピーチは他人ごとではないという感覚を持つ方々もまた大勢いるのです。2016年の国の法律ができてから3年経ちますが、本来であれば川崎市のみならず、どこの地域でも同じような条例があってしかるべきです。一部の人により命まで脅かされるようなことがあってはならないからです。法律が人々の盾になってほしいと切に願います。

 

 

 

 

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2013年7月28日 (日)

広島にいる在日外国人たちの今~その③在日外国人の教育について考えるディスカッション

パネルディスカッションでは中国人の方、フィリピン人の方、在日コリアンの方が、それぞれ就学児童・生徒のいる立場から日本の教育について話されました。三者三様でしたが皆さん、日本に溶け込みながらも、住みづらさがあることを感じる内容でした。

中国人のTさんは、日本の平等教育について思うこととして、日本社会の安定には必要かもしれないが、世界のグローバル化に対応するには競争意識を持ったほうがいいということ。そして子どもの個性を伸ばす必要もある。自己を表現しない、自己主張しないのは日本だけなのではないか。世界に出た時、物足りないのではないかと問いかけました。「人に迷惑をかけるなもいいけれど、人の役に立つことを考えろと言いたい」という言葉が印象的でした。

フィリピン人のFさんは22年前、日本人男性と結婚し、当時はご主人しか頼る人はいませんでした。宗教がカトリックなので教会に行くとフィリピン人女性がいました。そこでグループを作りましょうとフィリピン人妻の会を作ったそうです。最近は中国人、韓国人、タイ人、インドネシア人、台湾人なども会に入っているといいます。コミュニティーセンターや公民館で、ファッションショーや料理などをしており、周囲の理解と協力を求めていました。

自分にとって日本は自分の国であり第二の祖国という在日コリアンのRさん。2世でとりたてて民族意識を持っていなかったのですが、お姉さんが朝鮮学校に入学してから、民族意識が生まれたといいます。「お互いが気持的に通じあい、理解しあうには自分たちだけの努力では無理。朝鮮学校は文化だと思うので、日本の人は来てみてほしい」と訴えていました。

 海外旅行ですら不便を感じる私にとって、外国で生きて行くことの大変さは想像を絶します。この方たちは日本に馴染もうと努力し、さらに同じ立場の方たちへのサポートもされています。すでに多くの外国籍の方々が日本を第二の故郷にしている今、災害時なども含め自治体でも対策を考えているようですが、まず隣人である私たちに必要なことは、共に暮らしていくという心構えなのではないかと思います。拒絶や排除の気持ちは「差別」という言動にもつながっていきかねないと思います。

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2013年7月23日 (火)

広島にいる在日外国人たちの今~その②在日外国人の教育について考える「基調報告」

 第二部の「在日外国人の教育について考える」では基調報告とディスカッションがありました。基調報告は広島国際学院大学の伊藤泰郎先生が「「広島市外国人市民意識調査・実態調査」の教育調査から」と題し報告をされました。そこから見えてきたものは広島に住む外国籍の方々の声なき声でした。

 

 調査対象の外国籍の方々は韓国・朝鮮、中国、フィリピン、アジア諸国、中米南米諸国、欧米系諸国とわけた分析が行われていました。「韓国・朝鮮」については、在日コリアンとそれ以外の人々、「中国」については、中国帰国者とそれ以外に分けて分析をされています。広島にも大勢の外国籍の方々がいることをあらためて思い知らされます。「子どもの教育で困っていること」は、国籍によって多少ばらつきがあるようでした。まず驚いたのは韓国・朝鮮のうち在日コリアンで困っていることの1位にあげられた「将来の就職」でした。在日コリアン以外の韓国・朝鮮の1位は「学費が高い・教材等の費用」です。これはオールドカマーとニューカマーに分けている数字ですが、オールドカマーが就職に関して今だに心配しているということにショックを受けました。差別が続いているせいなのかどうなのかは分かりませんが、この結果は重く受け止めなければいけないと感じました。同じく中国帰国者以外の中国とアジア諸国も「将来の就職」を1位にあげていました。進学と就職は深く結びついていますから、「どこの国で就職するか」「どこで生きていくか」を考えた時の戸惑いがでているような気がしました。その一方で欧米系諸国は1位「進学」2位「学費が高い」3位「勉強を手伝えない・教材等の費用」と勉強そのものへの心配があがっていました。アジア系諸国と欧米系諸国のこの差は日本に定住する外国籍の方々の将来の姿を現しているような気がしました。

 

「もしあれば利用したい制度や機会」として、韓国・朝鮮、中国、アジア諸国、中米南米諸国、欧米系諸国のいずれもが「あなたの国の言葉を子どもが学ぶところ」を上位にあげていました。フィリピンは「こどものための学校以外の学習教室」が上位でした。伊藤先生は「「困っていること」では中国帰国者の回答率が他よりもかなり高い。制度や機会についてはニューカマーの中ではフィリピンだけが「あなたの国の言葉を子どもが学ぶところ」が最上位になっていない。これは「母国の言葉や文化を学ばせたいか」という質問に対して、「どちらでもない」という回答が他より高いということと関係している。おそらく周囲(家族や親族など)が全て日本人なので、母国の言葉や文化を学ばせたいとはっきりとは言えない状況にある人が多いと考えられる」と分析されていました。

 

広島で朝鮮半島やアジア、中南米系といった国の言葉や文化を学ぶためには、場所はおろか機会すらほとんどないといっても言い過ぎではありません。滞在期間の長短に関わらず親が子どもに母国の言葉を知ってもらいたいと思うのは当然です。おじいちゃんやおばあちゃんと話せないのは切ないですし寂しいものです。そして何より親自身の存在がなくなってしまうような気になると思います。この数字は外国籍の方々の切実な願いが率直に現れていると感じました。

 

なぜこんなにも異文化を知る機会が少ないのか。そもそも日本人側の関心の度合いがどれほどなのかと考えます。外国人=よそ者扱い、もしくは「いずれいなくなる人」扱いをしているのではないでしょうか。外国人自らが機会を作ることはとても大変なことですから、同じ住民として私たちが考えていかなければならないと思います。例えば異文化理解のいい機会として、マンションや町内といった地域で率先して場所の提供を行い、住民たちを巻き込んでいけばいいのではないかと思います。せっかく異国の方がいるのですから、その文化に触れる機会をみすみす逃すのはもったいないと思うのです。異なる考えや文化に触れることで、新しい価値観や発想が生まれる可能性があります。古くから日本人は海外の文化をうまく取り入れて日本独自の文化を築き上げてきたではありませんか。「多文化共生は無理」という言葉を聞くことがあります。しかし在日コリアンの方たちが日本に暮らして長い年月が経ちます。フィリピンや中国の方々の子どもたちも大勢暮らしています。すでに日本人は多くの外国籍の方々と暮らしているのです。外国籍の方たちに関心を持つことが一歩なのだと感じました。



 



 

 

 

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2013年7月17日 (水)

広島にいる在日外国人たちの今~その①在日コリアン被爆者として生きる

先週は連休でしたが、いかがお過ごしでしたか。広島では週末といえば平和関連の集会が開かれていることが多々あります。時には集会が重なることもあり、どちらに行こうか迷うことも度々です。先月末、広島市内で「広島の「在日」を考える」集会がありました。そこで広島で暮らす外国人の調査報告や当事者の方たちから生の声を聞くことができました。内容が豊富だったので、数回に分けてご報告します。

 この「広島の「在日」を考える」集会は被爆した在日の経験を記憶し、広島に暮らす在日の声に耳を傾けることで、国際平和都市広島で共に生きることを目的に同実行委員会により2001年から年に1度、行われています。13回目の今回は第一部「在日コリアン被爆者として生きる」第二部「シンポジウム 在日外国人の教育について考える」の2部構成で開かれました。今回は第一部の被爆者証言をご紹介します。

 16歳で被爆したRさんは島根県生まれの在日コリアン2世。親は慶尚南道出身です。まだRさんが幼い頃、広島県に引っ越してきました。学校に入り、同級生からのいじめはありませんでしたが、大人が差別したといいます。鉄道の入社が決まった時のことです。学校の先生が鉄道の合格通知を見て、手紙をRさんに渡し「これをもっていけ」と言ったのだそうです。こっそり中身をみると「○○○(通称名)朝鮮人」と赤字で書かれていて、大変だと思ったRさんは書かれたものを消しゴムで消して、無事、鉄道に入社したのだそうです。差別は就職に影響を与えていたのです。以後、Rさんは在日コリアンとしてではなく、“日本人”として生きてきました。それは名前に現れています。去年、Rさんはピースボートに乗り、1年間にわたって被爆証言を行いました。それまで通名を使っていましたが、ピースボートに乗る際、初めて本名を使ったのだそうです。「ピースボートに乗ることで初めて自分の名前、自分の国に対して意識するようになった」とおっしゃいました。そしてピースボートでのRさんの証言を知ったアメリカのNGOが在日コリアンの苦労を聞きたいというので、アメリカで話をしたといいます。現在、証言活動に忙しい日々を送られているRさんにとっての契機は本名を名乗ることでした。今でこそ本名を名乗る方々も多くなってきましたが、大多数の方々は通称名です。なぜ通称名で生きてこなければならなかったのか。私たち日本人は今一度、考えてみる必要があるのではないでしょうか。

 

 

 

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2013年5月28日 (火)

広島で働く外国人を支援する方々の集まりに参加しました

 最近、広島市内で外国人の旅行客を見かけることが多くなった気がします。一時は姿を見なかった外国からのお客様が戻ってきたようです。ミシュランの広島版も出たようですし、これからさらに外国からのお客様が増えるかもしれません。一方で外国語教室や飲食店、工場などに働きに来られた、広島で生活する外国人も大勢いて、スーパーなどで買い物する姿が身近になっています。そんな中で4月に起きた江田島の牡蠣打ち場での殺傷事件は衝撃でした。犯人をそこまでかりたてたものは何だったのか、同じ地域に生きている者として気になります。

 今月19日、広島市内で「外国人技能実習生を支援する会」の定例会があり、参加してきました。同会は2年前に発足しました。直接、実習生を支援するのではなく、支援する団体や個人と連携を図り、後方活動をすることが目的です。広島や三次、呉など地域で活動されている弁護士や関心ある方々で構成されています。この日は昨年度の活動報告と実習生の方の自己紹介がありました。

 活動報告では未払い賃金やセクハラ関連の裁判について経過報告がありました。残業しても残業代が支払われない、上司によるセクハラ、閉じ込められたような状況での住まいなど、今どきそんなことがあるのかと耳を疑うような実態が伝えられました。こうした状況を聞いて参加された方の一人は「70年代、日本でも農村からきた人たちの就労問題があったのだが、話を聞いていると50年代の人権問題に戻っている」と驚きを禁じ得ない様子でした。

 江田島の事件については担当弁護士のうちのお一人が来られていました。「職場に中国人は彼一人しかいなかった。周りのほとんどが日本人で、事件の原因に孤独感があったのではないかと思う。こうした団体と接触があれば事件は防げた部分があるのではないかという印象だ」と話していました。

 集会に来られていた実習生の方々はほとんど日本語が話せないようでした。ある実習生は「仕事をしている時、毎日辛い気持だった。去年、支援者に会い支えてもらった。だから頑張ってこられた。社長たちからは酷い目にあわされたけれど、いい人に会った今はいい気持ちだ。感謝している。同じような境遇の人がいたら助けてくれることを望む」いいたい事がたくさんあって言いきれないと話していました。私たちの隣で苦しんでいる人がいる。知らなければいけないことは、まだまだ沢山あります。

 

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2013年2月13日 (水)

大事なことを忘れていました

 多文化共生シンポジウムで広島在住の外国の方が日本人にお願いしたいことを話されていました。そのことを前文でお伝えしていませんでしたので追加します。

 私の席の後ろに中国帰国者の方に日本語を教えている男性がおられました。日本語がとてもお上手だったので、最初は日本人かと思いました。その方は日本の会社で働いておられ「日本人の仕事はまじめだ」と感心されていました。そして「郷に入れば郷に従えという諺がありますが、自分たちもそのようにしたいのです。私が会う方達は何年たっても日本語が話せない人が多いのです。日本のことがわからないので、地域の皆さんから是非、声をかけてほしいのです。大きなお世話をしてほしいのです」と話されていました。

 福山市に住む台湾の方々が作りだすイベントが地域の新しい行事になっていくように、新しい方が来ることで地域に風が吹き、新たな文化が生まれると楽しいと思いませんか。またシンポジウムでは「日本人もやりづらいと思っていることを変えていかないとダメ。これからは自分たちが地域を作り上げていかなければいけない時期にきており、その流れの一つとしての多文化共生なのではないか。共に変化していくことが大事」という意見が出ていました。すでに日本には多くの外国の方が住んでいます。外国の方から学ぶことも必要な時期になってきているのではないかと思います。

 

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2013年2月12日 (火)

広島での多文化共生の実践例を聞いて

 あなたのご近所や職場に外国の方はいませんか?私の住んでいるマンションには以前は韓国、フィリピン、ブラジルなど色々な国の方が住んでいました。私は外国の方とお話しするのが大好きなのでエレベーターでお会いするのが楽しみでした。今は外国の方が少なくなり、すこしさみしい気がしています。先週の9日、広島市内で「多文化共生シンポジウム」が開かれ、県内で多文化共生を実践している地域や団体などの方々のお話がありました。

 福山市では災害時の対応に備えFMの多言語放送を行っています。災害時が目的とはいえ通常はその国の音楽を流したり、文化や地域情報などが盛り込まれている放送のようです。毎回、在住の外国人ゲストが登場するのだそうです。母国の最新曲なども紹介されているようですし、どんな話をするのか、聞きたくなりました。この放送の素晴らしいところは、このゲストが地域の外国人コミュニティの要となっているところです。例えば最近であれば台湾春節祭りといったイベントを外国人の方々自らが実施しているというのです。こうしたイベントに福山市民も大勢集まるといいます。地域のイベントとして定着しそうな感じです。

呉市の日本語教室では単に日本語を学ぶというだけではないようです。「皆の笑顔を見ると元気になる。色々な活動を通して普段、接することのない地元の人と交流することができる。住民の一人だと実感することができる。」という感想文を書くほど、広島での生活にとって欠かせない場となっているようです。  

安芸高田市は人口32000人弱のうち外国人は2%弱ですが、比率は年々増えているようです。地元の高校生が地域の外国人を調べ「日本語を教える人が少ない」「日本人で関わりを持つ人が少ない」「ボランティアとして手伝いたい」といった発見があったそうです。市では工業や商業、農業、外国籍市民で多文化共生プランを作り、議会に提案したといいます。どんな町づくりになるのかとても楽しみです。

 外国の方は生活する上で言葉の問題を始め、文化の違いなど様々な課題が出てくると思います。しかし町を歩いていて挨拶する人がいる、笑顔になる光景に出合える、心休まる風景などがあれば、どんな場所でも楽しく安心して暮らしていけるのではないでしょうか。直接、外国の方と触れ合う機会がないと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、私たち自身が楽しく暮らしていれば、外国の方も同じように安心して暮らせるのではないかと思います。そしてそれは他の地域からやってくる日本人でも同じだと思います。広島は山もあり海もあり、市内中心部でも川辺の風景が美しいいい町です。今住んでいる方もこれから住む方も一緒にいい町にしていきましょう。

 

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2012年12月19日 (水)

美味しい季節到来!広島のキムジャン。

正直、日曜日の選挙結果に驚きました。一つの党があれほどの議席を獲得するとは思いもしませんでした。そして今日は韓国の大統領選です。どういう結果になるのでしょうか。今後の日韓関係はどうなっていくのでしょう。是非、前向きな方向に進んでほしいと願っています。

話はぐっと柔らかくなりますが、この時期、ありがたいことにキムチをいただく機会が増えます。韓国ではキムジャンと言って、一年分のキムチをこの時期に漬けこむのだそうです。昔はキムジャン手当も出たといいますから、韓国の方にとってキムチは必需品だったのでしょうね。残念なことに今、都会ではキムチを作る人が少なくなっているという話を聞いたことがあります。しかし広島の在日コリアンの方々の中で、キムジャンは今でも健在。知り合いの方々はちょうど今頃、キムチを大量に漬けこみ、私にまでおこぼれが回ってくるのです。ある方は15キロ入りのキャベツの箱を7つ買ったと話しておられました。ちなみにその方は一人暮らしです。私がお伺いした時にはすでにかなりのキムチが配られた後でした。今年は3か所から4つの味のキムチが集まりました。それぞれ味が異なっていて、本当にどれも美味しいのです。

以前、私もキムチ作りに挑戦したことがあったのですが、水っぽくなってしまい、今ひとつ美味しくできませんでした。以前、韓国のハルモニ(おばあさん)の「日本の白菜は水っぽくて美味しくないし、韓国の梨がなければ美味しいキムチを作ることができない」というこだわりを聞いたことがあります。また韓国のトウガラシの種を日本で植えても辛くなってしまい、甘さがでないという話も聞いたことがあります。

しかし、そうしたある意味ハンディのある中で作る在日の方々のキムチは韓国のキムチに負けないほど美味しいと思います。キムチは家庭料理なので味が違っていて当たり前なのですが、よく韓国の方がいう「ソンマッ(手の味)」なのでしょう。その家の伝統やオモニ(母親)の愛が日本生まれの美味しいキムチを生みだしています。来年は作り方を教えていただこうかなと思っています。

 

 

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