広島から

広島での集会、イベント、広島で起こった出来事など広島から見たこと

2022年9月 7日 (水)

コロナ禍の広島2022②平和記念式典

翌6日の平和記念式典は今年も招待された参列者のみしか式典に参加できませんでした。私のような一般人や遺族であっても招待されていない人々は周辺にいるしかなく、残念な式典となりました。

式典が開催される原爆慰霊碑周辺はロープでとり囲まれ、市役所職員が人の鎖のように立ちはだかっていました。8月6日の慰霊をしたいという人々が全国各地から集まってきています。観光客と思われる人がロープに近づき写真をとろうとした際に、上司と思われる人が職員に向かって「近づかせるな」と怒鳴っている姿をみた時には、失望を禁じえませんでした。そこから慰霊祭の舞台まで簡単に見える距離ではなかったからです。安倍元首相の銃撃事件のあとですから厳重なのは仕方ないとしても、観光客を威嚇するような部下への叱責はいかがなものかと思いました。招待客以外は絶対に中には入れないという高圧的な感じです。そうであれば公園内総ての地域を立ち入り禁止にすればよかったのです。こうした緊迫感のある状況で平和記念式典が開催されたのです。

午前8時前に私は原爆ドーム前にいました。ドーム前ではいくつもの団体が集会を行っているからです。宗教団体や平和団体などが一塊になってそれぞれの集会を開いています。その中の一つに参加しました。そこでは815分に「ダイイン」が行われます。黙とうの代わりに1分間、地べたに寝ころび死者に思いをはせるものです。最初に見た時はとても衝撃でした。まるでそこで亡くなったかのように人々が思い思いの姿で倒れています。実際、原爆が投下された時は、ここにいる何百倍もの人々が横たわっていたのだと思うと、恐ろしさが募ってきます。核実験後のドーム前での座り込み行動と同じく静かな抵抗と激しい怒りを訴える行動です。

同じ時刻、式典では黙とう・平和の鐘に引き続き、広島市長による平和宣言、放鳩、子供たちによる平和への誓いが行われます。今年の松井市長は、日本政府に対して核兵器禁止条約の締約国会議への参加と、一刻も早い締約を促しました。こうした核兵器廃絶に向けた具体的な強い姿勢を広島市長がとることは今までにないことではなかったかと思います。これは松井市長が被爆二世であることや平和首長会議の広島開催などが考えられますが、平均年齢が84歳を超え、いまだに心身や生活に苦しみが続く被爆者を市長が身近に感じているからに他ならないと思うのです。77年間、被爆のトラウマを心に抱え、体に放射線のダメージを受け続けている被爆者を広島の人々は見ています。生活状況を知っています。多くの死を経験しています。ロシアによるウクライナ侵攻で、核兵器の使用をにおわすような戦争に広島は立ち上がったのだと思うのです。

コロナ禍の広島は今年も人々の平和への強い希求であふれていました。二度と核兵器を使わせない、戦争反対という広島の願いは、様々な形で世界に向けて発信されていきました。

 

 

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コロナ禍の広島2022①韓国人原爆犠牲者慰霊祭

今年もコロナ禍のため、広島の平和記念式典は入場者を規制しての開催となり、前5日に行われた韓国人原爆犠牲者慰霊祭は例年通りに開催されました。2つの慰霊祭について、ご報告します。

 

 8月5日に開催された在日本大韓民国民団広島県地方本部主催の「第53回韓国人原爆犠牲者慰霊祭」は午前10時から平和記念公園内にある韓国人原爆犠牲者慰霊碑前で行われました。国歌斉唱などの国民儀礼の後、死没者の名簿が慰霊碑に奉納されました。今年は16名が新たに加わり2,802名の被爆者の名前が納められました。在日本大韓民国民団広島県地方本部団長は追悼辞で「併合と戦争の歴史の中で不幸にも大切な命を奪われた韓国人原爆犠牲者の御霊に哀悼の意をささげます。英霊たちの犠牲と先輩方の努力が無駄にならぬよう、世界平和のために努力していくことを改めて約束します」と誓い、平和と命の尊さを次世代に伝えることが使命だと述べました。式典には被爆者の遺族や民団関係者、関係団体など約130人が参列し、韓国人の原爆犠牲者への哀悼の意を捧げていました。

 

今年の死没者名簿の中には在日コリアンの被爆証言者であった李鐘根さんが含まれていました。慰霊祭目前の730日、盲腸癌のため93歳で急逝されたのです。

李鐘根さんは韓国原爆被害者対策特別委員会委員長として国内外でご活躍されていた方でした。亡くなる数日前まで慰霊祭に参加されることや被爆証言などの打ち合わせをされていたようです。突然のことでご家族はもちろんですが民団関係者始め鐘根さんを知る方々は相当驚いたようです。慰霊祭には鐘根さんの娘さんお二人が来席されていました。献花では娘さんが鐘根さんの遺影を胸に大きな花束を慰霊碑に捧げていました。ご存命であればそれは鐘根さんが務める予定でした。

 追悼辞では在日本大韓民国民団広島県地方本部団長や在日本大韓民国民団中央本部団長、駐広島大韓民国総領事のすべての方が鐘根さんの逝去について触れていました。司会の方が鐘根さんの名前を呼ぶ際、涙ぐむといったこともありました。式典終了後には娘さんたちの周りを取り囲むように、マスコミを含め多くの方が挨拶にいき、鐘根さんがどれほど慕われていたのか、改めて実感しました。

私は逝去のニュースをネットで見つけ、すぐ知り合いに電話し詳細をお聞きしました。鐘根さんが盲腸癌であったことや奥様を今年初めに亡くされていたことなどをお聞きしながら、なぜもっと早くに連絡をとり鐘根さんから話をお聞きしておかなかったのかと後悔の念にかられました。いつもお元気で会えていたため、それがずっと続くとどこか安心していたのです。鐘根さん不在の慰霊祭で本当に鐘根さんはこの世にいないのだと感じ、カメラで撮影しながら悲しくなっていた時、娘さんに抱かれた遺影の中でお洒落な鐘根さんが笑っていました。私の知る鐘根さんの笑顔でした。私は生前の鐘根さんを撮影していました。鐘根さんは「イトウさんあとは頼むよ」と言われたような気がしました。悲しみと継承への思いを強くする被爆77年目の慰霊祭となりました。

 

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2021年9月 9日 (木)

コロナ禍の86ヒロシマ その③

まだまだ収束のゴールが見えないコロナ禍ですが、世界的規模での環境の変化がコロナ感染症の要因の一つにもなっているということを知りました。85日、広島市内で開催された「8・6ヒロシマ平和へのつどい2021」では、生物多様性と脱軍備というテーマで講演会が開かれ、そこで「感染症」についての関連性が指摘されました。

 

2010年名古屋で「生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)」が開催され、国際条約である「愛知目標」が合意されました。これは国際社会が協力して生物多様性の損失を止めるため2020年までに達成しようと掲げた目標です。この目標達成に従い2030年、2050年へとつなげていく予定でした。しかしコロナウイルス感染症の世界的な流行により202010月に中国で開催予定だった締結国会議は延期。今年以降も延期が続き世界的に重要な戦略計画が停滞しているのです。

 

そもそもなぜ国際的な生物多様性条約が必要なのかというと、生物資源が人間社会にとって必要不可欠なものだからです。ご存じのように近年の生態系の破壊や気候温暖化等により生物の大幅な減少が世界的な規模で深刻化しています。生物資源や遺伝資源は食品や医療品などのバイオテクノロジーやバイオ産業の発展のためになくてはならないため国際的な取り組みが議論されたのです。そして包括的な保全と持続可能な生物資源利用のため1992年に「リオ地球サミット」で国際条約である「生物多様性条約」が採択されました。その後の2010年には日本の名古屋で会議が行われ20項目の愛知目標が定められたのです。

 

2020年9月、報告書「地球規模生物多様性概況」が発表されました。残念ながら日本は愛知目標20項目のうち完全に達成されたものは一つもありませんでした。部分的には達成されたものもありましたがわずか6項目のみでした。その6項目のうちの1つは「少なくとも陸域及び内陸水域の17%、また沿岸域及び海域の10%の保護地域などにより保全」で、部分的での達成となっています。もし辺野古や上関の海が埋め立て工事などせずに自然のままの姿で保存されれば、日本における沿岸域や海域の保全の範囲が大きく広がるのではないかと予想されています。愛知目標が達成されるかもしれないのです。辺野古や上関の海にはそこにしかいない生物が生息しています。もしこのまま埋め立て工事をすれば、まさに種の絶滅にもつながりかねず、生物多様性が保全されるどころか失われてしまいかねないのです。愛知目標の次の目標では「少なくとも陸域海域の30%を保護区にする」という草案が出されています。現在よりさらに厳しい基準です。脱軍備、脱原発は生物多様性の観点からも重要な意味を持つのです。

 

2019年の「地球規模生物多様性概況 政策決定者向け要約」には生物多様性の低下が感染症の危機を広げコロナ禍のような事態が起きることへの懸念が記述されていたといいます。人間が行う開墾や生息地の分断、抗生物質の過剰投与が野生動物や家畜、植物に影響を与え、感染症が増える可能性があるというのです。

またIPBES(生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学-政策プラットフォーム)の専門家は20204月の論文で「これはほんの始まりにすぎない。将来のパンデミックの可能性は非常に大きい。人に感染することが知られているタイプの未確認のウイルス 170 万種が、哺乳類や水鳥にまだ存在していると考えられている。これらのいずれかが次の「疾患 X」になる可能性があり、それらは、COVID-19 よりもさらに破壊的で致命的な可能性がある」と書き、生物多様性の減少が、COVID19 とは異なるウイルス感染の確率を高めている可能性があると指摘しているのです。

 

講師の方は「2020年に当面の生物多様性の減少を食い止める方策を決めようとしていた重要な年にコロナ事態が発生した事実は重い。生物多様性を減少させ続ける人類文明の在りようを根本的に見直すことが必要だ。社会システム全体を根本的に再編成する必要がある」と強く訴えていました。生物多様性の減少の視点から脱軍備、脱原発を考えていくことは戦争だけではない人類の危機を食い止めることにつながるかもしれません。

 

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2021年8月28日 (土)

コロナ禍の86ヒロシマ その②

8月6日はテレビ中継される平和公園だけで慰霊祭が行われているわけではありません。広島市内にある数多くの慰霊碑の前で関係者が集い慰霊祭を行っています。平和公園内にある韓国人原爆犠牲者慰霊碑の前では例年前日に慰霊祭が行われます。今年の韓国人原爆犠牲者慰霊祭も8月5日に開催されました。慰霊祭は1970年に本川橋の西詰に韓国人原爆犠牲者慰霊碑が建立された時から開催され、1999年に平和公園内に移設後も継続して行われてきました。今年で52回目となりました。

 

慰霊祭は在日本大韓民国民団広島県地方本部による主催のもと粛々と行われ、今年はあらたに13名が加わった2786名の死没者名簿が慰霊碑に奉納されました。コロナ禍の影響で昨年と同じように規模は縮小されましたが、招待客を招き一般も参列できました。報道によると180人ほどが集まったようです。

 

李英俊団長は追悼の辞で「原爆によって多くの韓国人が犠牲にあったという事実に心の痛みは耐えられません。犠牲者のみなさま、どうか安らかにお眠りください」と哀悼の意を表しました。この言葉は在日コリアンの方々にとって心からの思いです。朝鮮半島出身の被爆者が大勢いる事実は徐々に知られてはきましたが、近年までほとんどの日本人は知らなかったからです。

 

韓国人原爆犠牲者慰霊碑の建立のきっかけは、朝鮮半島の人々の原爆犠牲者が大勢いるにもかかわらず、韓国人の慰霊碑がないのはおかしいという一人の在日コリアンの男性の思いが発端でした。その男性の息子さんは原爆の犠牲となりましたが、息子さんの名前はある慰霊碑に日本の名前つまり本名ではなく通名で記されていたのです。日本に植民地支配され、日本名の使用を半ば強要され、亡くなってからも本名を名乗れずにいる息子を悲しく思うのは当然のことです。一人の男性の思いを受け、民族を超えて様々な人々が力を結集させ、韓国人原爆犠牲者慰霊碑が建立されました。韓国人原爆犠牲者慰霊碑の中におさめられた本名での被爆者の死没者名簿は韓国人として生きて亡くなった証となっているのです。8月5日に慰霊祭が行われるのは韓国では故人が生きていた日の夜に祭祀(チェサ)が行われることが由来だと言われています。6日が被爆した日なので本来は前日の5日の夜に行うのですが、それができないため午前中に行うことになったようです。

 

韓国人原爆犠牲者慰霊碑は亀のような形をした台座に龍の彫刻が彫られた螭首という装飾が施されている独特の形をしています。日本ではあまりみない形状に老若男女問わず訪れた人々は立ち寄り慰霊碑を眺め説明板を読みます。そしてその場を去る時、再度、慰霊碑を眺めていきます。碑は何も語りませんが、朝鮮半島の人々に起こった悲劇を人々に伝えているのです。原爆によって多くの韓国人が犠牲にあったという事実を日本人が知ることは、日韓の歴史を知ること、日本人が朝鮮半島の人々に何をしたのかを知ることです。朝鮮半島の人々に被爆の悲劇をもたらしてしまった日本の責任を知ることなのです。

 

 

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2021年8月26日 (木)

コロナ禍の86ヒロシマ その①

2021年コロナ禍の平和記念式典は昨年同様に入場規制の中で行われました。一般席は設けず招待者のみの参列となりました。式典の前後は公園内へ入ることができませんので式典中は規制外で黙とうを行ったり、スマホで式典の様子などを見ている方々が大勢いました。今年は心なしか去年より規制外にいる方が多いような気がしました。昨年来広できなかった方が来られていたのかもしれません。本来であれば全国各地はもとより世界中から集まるのですから、やはり今年も寂しい86となりました。

平和記念式典は市民代表による市内各地から集められた水の献水、原爆死没者名簿の奉納、広島市長や遺族代表の式辞など従来の流れで進められたようです。しかし今年の松井・広島市長の平和宣言はいつも通りではありませんでした。日本政府への強い要望が込められていたのです。詳細はぜひ広島市のホームページでご覧いただければと思いますが、少し抜粋してご紹介します。

 

平和宣言で松井市長は「被爆後に女の子を生んだ被爆者は、「原爆の恐ろしさが分かってくると、その影響を思い、我が身よりも子どもへの思いがいっぱいで、悩み、心の苦しみへと変わっていく。娘の将来のことを考えると、一層苦しみが増し、夜も眠れない日が続いた。」と語ります。」と生涯続く原爆の影響を訴えました。原爆は過去のことではなく、76年経った現在まで続く苦しみであることを最初に語ったのです。

そしてコロナ禍の世界状況から「今、新型コロナウイルスが世界中に蔓延し、人類への脅威となっており、世界各国は、それを早期に終息させる方向で一致し、対策を講じています。その世界各国が、戦争に勝利するために開発され、人類に凄惨(せいさん)な結末をもたらす脅威となってしまった核兵器を、一致協力して廃絶できないはずはありません。」と核兵器廃絶は現実のこととして可能であることを語りました。

さらに「日本政府には、被爆者の思いを誠実に受け止めて、一刻も早く核兵器禁止条約の締約国となるとともに、これから開催される第1回締約国会議に参加し、各国の信頼回復と核兵器に頼らない安全保障への道筋を描ける環境を生み出すなど、核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかりと果たしていただきたい。」と核兵器禁止条約の締約国となることを日本政府に強く求めたのです。

 

現在未来まで続く被爆の障害、為政者がその気になればできる核廃絶、そして日本政府がすぐしなければいけない核兵器禁止条約の締約国と、宣言の内容は説得力があり力強いものでした。8月6日に被爆地である広島市長が世界に訴える意味は決して小さくありません。一つ希望を言わせてもらえるならば、松井市長ご自身が被爆2世であることを宣言の中に加えていただきたかった。被爆2世の言葉として世界中の人たちはさらに深く感じ取ったのではないかと思います。被爆者の平均年齢は83歳になりました。被爆当時は7歳くらいです。人生のほぼすべての時間、原爆を背負って生きてきました。被爆者が存命していることを、どのような思いで生きてきたのかを私たちは知る必要があると思います。

 

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2021年1月26日 (火)

核兵器禁止条約が発効されました。시작이 반이다(始まりは半分)!

 2021年1月22日に核兵器禁止条約が発効されました。世界はいよいよ本格的な核兵器廃絶への道を歩み始めました。翌23日、地元紙である中国新聞では1面トップ記事で扱い、2面から4面までと、24面、28面、29面と大きな段組で関連記事が掲載されました。コロナ禍で集会などが中止になっているさなかですが、市内では条約発効の喜びにわく被爆者や市民団体の姿がありました。記念パレードや平和の集い、キャンドル集会、被爆者の映画公開など、コロナウイルス感染症に配慮しながらも広島の人々は思いを分かち合いました。また広島市長や広島県知事もメッセージを寄せ、広島の思いを訴えたのです。22日の各局のテレビ番組でも特集が組まれていました。被爆者はまさか自分が生きている間にこのような日が来るとは思わなかったと話していました。被爆から76年、広島にとって大きな喜びに満ちた日となったのです。

 中国新聞には条約の全文が掲載されていました。前文は特に読みごたえがありました。世界で運動してきた被爆者たちの役割がいかに大きかったかが伝わるものでした。被爆者の苦しみや、被爆者が長年にわたって核兵器廃絶に向けて闘ってきた成果が盛り込まれたのです。条約により被爆者はヒバクシャとなり、世界の共通語となりました。被爆者の思いが世界中に広がり、そしてこれからも広がるのだと感じました。その部分を一部抜粋します。

 

「核兵器廃絶への呼び掛けでも明らかなように、人道の原則を推進する市民の良心が果たす役割を強調する。国連や国際赤十字・赤新月運動、その他の国際・地域の機構、非政府組織、宗教指導者、国会議員、学会ならびにヒバクシャによる目標達成への努力を認識する。」

 

 条約発効でも世界中から核兵器を失くすには長く困難な道のりが待っているでしょう。しかし韓国には「시작이 반이다(始まりは半分)」という諺があります。「何かを始めたらそれは半分成し遂げたと同じこと」という意味です。核兵器禁止条約の発効はまさに核兵器廃絶の道筋をつけました。今はまだまだ細い道ですが、いつか王道になる日が来ると信じています。現在、批准した国は51の国と地域です。日本政府はこの条約に批准し、世界の国々、特に核保有国に対して核兵器は二度と使わせないという強い意志を表すことが始まりだと思います。核兵器は国民が持つものではありません。私たち国民は国が核兵器をもたないよう、核の傘に守られるという矛盾がないよう、これからも政府に働きかけなければなりません。

 

 

 

 

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2020年10月29日 (木)

NHK「1945ひろしまタイムライン」その後~日本人の課題として残りました

1945ひろしまタイムライン」はその後、私が知る限りですが次のような動きがありました。時系列でご紹介します。

 

923日~在日本大韓民国民団(民団)中央本部人権擁護委員会などが広島法務局に人権救済を申し立てる。「投稿は民族差別を扇動する」としてNHK広島放送局への勧告を求める。

102日~NHK広島放送局は8月までのツイッター投稿を削除し「1945ひろしまタイムライン」ホームページにまとめて投稿を移設。以前のツイートはそのまま掲載。

104日~広島市内で「ひろしまタイムラインと広島の民族差別の現在」というテーマで集会が開催される。オンラインも含め約120人が参加。

105日~「NHKひろしまタイムラインと広島の民族差別の現在」実行委員会メンバーらがNHK広島放送局に抗議文と、連名者名簿、コメント集を手渡す。

10月9日~「1945ひろしまタイムライン」HP上のブログ「原爆は国籍や民族の区別なくあらゆる人々を襲った」の中において在日コリアンの被爆者の話が掲載される。

  • NHKの対応

1945ひろしまタイムラインのホームページ(https://www.nhk.or.jp/hiroshima/hibaku75/timeline/index.html)」・ひろしまタイムラインブログ内「舞台裏話」で、6月16日、820日のツイート自体の削除なし。ツイートに注を追加。「原爆は国籍や民族の区別なくあらゆる人々を襲った」の項目が新設され、朝鮮半島にルーツをもつ被爆者(李鐘根さん、朴南珠さん)、東南アジア留学生マレーシア・米国兵捕虜の被爆者の話が掲載される。

以上のような動きがありました。結果からいうと、ツイートの炎上、社会問題化したにも関わらず、在日コリアンへの謝罪や掲載経緯などの説明がなく、ネット上での削除はしなかったということになります。ツイートのまとめをHPへ移設しましたが新聞記事によるとツイートを読みやすくするために元から予定していたものということでした。さらに「まとめツイート」に追加された注は資料を基に書いたことやリアリティを感じてほしかった旨のことが書かれていますが、説明は簡単すぎるほど簡単で、当時からあった朝鮮半島出身者への民族差別に関しては触れていません。またHP上で追加された「原爆は国籍や民族の区別なくあらゆる人々を襲った」に掲載された朝鮮半島にルーツを持つ被爆者の話は問題が大きくなってからの掲載のためアリバイ工作のように感じてしまいました。シュンさんのツイートはNHKの中で問題の本質への追及が行われなかったという、とても残念な結果になってしまいました。

戦争を考える企画で私たち日本人の中にある差別意識と向き合ってこなかった実態が浮き彫りになってしまいました。戦時中の朝鮮人差別が75年経った現在まで続いていたことが明確になったのです。シュンさんのツイート問題はNHKだけに突きつけられた課題ではありません。日本人自身がこのシュンさんのツイートについて考えなければいけないのですが、今だにあのツイートがなぜ問題なのかという声があります。私たち日本人は朝鮮半島にルーツを持つ人々に対して何をしてきたのか。今一度、歴史を振り返る必要があります。

 

 

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2020年10月28日 (水)

核兵器禁止条約3カ月後に発効!被爆者の75年間の行動が世界を動かしました。

すでに大きなニュースになっているのでご存じだとは思いますが、やはり嬉しくてブログに綴ることにしました。1024日、核兵器禁止条約の批准が50カ国・地域に達し、条約発効が決まりました。90日後の2021年1月から核なき世界への新たな道が開かれます。

26日の中国新聞は条約発効を一面で大きく紹介し、関連記事は5ページにもわたりました。条約発効までの過程、意義やポイント、広島市長や広島県知事、被爆者の喜びの声、そしていかに核兵器廃絶までの道のりが険しいかも論じていました。在韓被爆者の声がなかったのは残念でしたが、ブラジルの森田隆さんや渡部淳子さんといった在外被爆者のコメントがあり、お元気そうな様子に嬉しくなりました。

被爆者は喜びと共にこの条約に日本が批准していないことに対し憤りも隠していません。広島市中心部でのアピールや「ヒバクシャ国際署名」の延長など積極的な行動で日本政府に条約批准を求めています。長年にわたる被爆者の証言活動や平和運動が条約発効につながったのは確かだと思います。しかし被爆者の声が自国である日本政府に届いていないことは被爆者にとって悲しみに近いのかもしれません。条約に対しての「わが国のアプローチと異なる」という日本政府の言葉は条約に批准した国々に対する否定であり非難だと感じました。原子爆弾を2発も受けて国民が大虐殺され、75年経ったいまもなお被害が続いているという状況をどうとらえたら非核化に反対する立場になるのでしょうか。国家と国民は違うのだということをまざまざと思い知らされた言葉でした。

国家は国民がいないと成り立ちません。私たち国民は戦争をしたくなければ、核兵器を自分たちの上に三度も落としてほしくなければ、日本政府の核兵器禁止条約への批准を求めるべきだと思います。核兵器禁止条約は今の日本に関係のないものではありません。核兵器は1度でも使用されると被害が継続されていくのです。136000人以上いる被爆者は今も苦しんでいるのです。数十万人いる二世や三世は被爆者の苦しみを背負い自身も問題を抱えているのです。唯一の戦争被爆国の国民として傍観してはいけないのです。

 

 

 

 

 

 

 

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2020年8月17日 (月)

コロナ禍でもヒロシマは世界に訴えました

節目の86を広島は静かに迎えました。コロナウイルス感染防止のため今年は平和記念式典の縮小、オンライン集会など広島に人が集まらず、8月6日当日も平和公園は規制制限で入場することはできませんでした。しかし被爆者や平和運動の方々は世界に訴えました。広島の松井市長は平和宣言で核兵器禁止条約への批准を日本政府に要求しました。ヒロシマは核のない平和な世界を望む願いを呼びかけることをやめはしませんでした。

 

前日の5日は午前10時から平和公園で民団広島県地方本部主催の韓国人原爆犠牲者慰霊祭が行われました。参加者は例年よりはかなり小規模でしたが中満国際連合事務次長や平岡前広島市長、国会議員などが参列し、160人ほどが集まりました。毎年、韓国から在韓被爆者や韓国の大学生などが来ているのですが姿はありませんでした。慰霊碑には今年新たに13人が加わり75年前の犠牲者の名前が積み重ねられました。広島県地方本部団長は「今年は節目の年なので、どんなに小さくても慰霊祭はやろうと思っていた。縮小ではなくむしろ大きくやったほうがいいのではないかという意見もでた」と慰霊祭の重要性を話していました。例年と違いコロナ対策のため国歌を流すだけにし、婦人部による歌もないといった進行で少し寂しい気もしましたが、民団中央本部団長の「悲惨な広島の歴史と在日同胞の歴史を記憶し、次の世代に継承していきます」という決意を聞き、自分自身の気持ちも新たにしました。

 

式典当日の6日は朝5時から9時まで公園内に入れなかったため、9時過ぎに行きました。途中、式典警護から戻る大勢の警察官とすれ違いました。式典に参加する方々より多くの警察官がいたのではないかと思うくらい今年は目立ちました。平和公園に入りすぐ山口の2世の会が主催する「8・6広島青空式典」が行われる原爆ドームに向かいました。すると原爆ドームの周りを原水禁の方たちが囲み、人間の鎖を作っていました。今年の原水禁はユーチューブでネット配信し、原水協もオンライン会議などで大会を運営するなど直接、広島で行う行事をしていないと思っていたので驚きました。このような静かな運動は、座り込みに通じる運動と同じで時にはいいなと思いました。

 

「8・6広島青空式典」では基調報告や団体報告などが行われました。被爆二世を日本政府は1度も調査しておらず、実態すらわかっていない現状や二世の集団訴訟など被爆二世が置かれている現状を訴えました。また先月、アメリカのトリニティ・サイトで開かれた核実験75年の記念式典でトランプ大統領が発言した核実験に対する称賛に抗議と撤回を求めました。例年集会場所には必ず被爆のパネルが設置され、通行する人たちが気軽にみられるようになっています。今年も通る人は少ないながらも、パネルにしっかり見入っていました。1985年から続いているこの集会は、被爆二世だけではなく、学生や労働者、障碍者、反原発、反基地といった人々が集まっています。韓国の団体とも連携もしており毎年来日していますが、今年は日韓同時開催として同じ時間帯に韓国でも集会を行うといった試みがなされていました。ちなみにコロナ対策としてソーシャルディタンスは当然のこと、マイクに使い捨てカバーを一人ひとりに使用してもらうといった工夫がされていました。35年という長きにわたって続けられているこの集会は粘り強い努力と信念がなければできません。私は広島でこうした方々とお会いできて、本当によかったと思っています。今の日本はどうなっているのか、自分の立つ位置はどういうところなのか、教えてもらえるからです。

 

75年間、草木も生えないと言われた廣島。

緑豊かな平和都市となったヒロシマは今年も世界に訴えました。

「戦争反対」「核兵器はいらない」「核と人類は共存できない」と。

 

 

 

 

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2020年6月14日 (日)

コロナ禍で被爆75周年の平和記念式典が変わるようです

昨年12月から新型コロナウイルス感染症は世界中で猛威をふるい、今だ収束のめどがたっていません。日本でも4月に緊急事態宣言があり自粛要請がありました。このコロナ禍で様々な行事が中止や延期になっていますが、被爆75周年を迎える今年8月6日の式典も様変わりしそうです。広島では8月6日当日、市内各地で様々な団体による慰霊祭が開催されていますが、縮小や中止などの決断が余儀なくされているようです。そして世界から参列する「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」も大きく形を変えることが分かりました。

 

広島市のHPによると式次第や所要時間は例年と変わらず8時から850分の予定のようですが、会場の様子が大きく変わります。ソーシャルディスタンスを守る形にするため一般席を設けず、公園内への入場規制もあるようです。式典参列者の席は例年の1割ほどの最大880席で、公園内の混雑した光景もなくなります。これがどういう感じになるのか想像しにくいというのが正直な思いです。

招待客は内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長、外務大臣、 厚生労働大臣で、海外からは国際連合事務総長、駐日大使などが候補に挙がっています。被爆者や被爆者遺族は被爆者 6 団体から推薦された方や被爆者代表、遺族代表、都道府県遺族代表などが挙げられています。去る6月5日には国連のグレテス事務総長が参列する意向を示し、訪問ができない場合もビデオメッセージを送るということが広島市から発表されました。他の国の来賓の方々はまだ分かっていません。このまま新型コロナ感染症が収束しなければ、他国の来賓者の参列は難しいと思います。ビデオメッセージに意味がないとはいいませんし、やむを得ないかもしれませんが、被爆地に来て放つ言葉の重み、献花はやはり特別な意味を持つと思います。

 

また平和宣言の内容も変わるかもしれません。平和宣言の文案を検討する懇談会委員の間でコロナ禍についての言及があったようです。6月6日の中国新聞によると、懇談会委員から「新型コロナウイルスは自然の脅威だが、核兵器は人間の作った脅威で自らの意志で除けると訴えるべき」「感染拡大で自国第一主義が広がっていることへの警鐘が必要」といった意見が出たといいます。コロナ禍という世界が直面している脅威と核兵器廃絶は命を救うために各国が協力しあわなければいけないものです。懇談会委員の方の言う通り、核兵器は人間が自らの意志で排除できます。今は新型コロナウイルスですが、新たなウイルスが出てくる可能性も予想されています。人類は核兵器という無駄なものに時間もお金も労力も費やす暇はないのです。コロナ禍は核兵器社会にとって一つの分岐点になるかもしれません。

 

平和記念式典は海外の来賓にとっては非核平和の意思表示であり、被爆者や遺族にとってはお葬式の意味を持っています。一般の参加者は被爆地に来て核兵器のおぞましさを体感できる機会となります。今年は新型コロナウイルス感染拡大予防のため仕方ありませんが、参列者の限定はとても残念です。平和宣言は世界の核兵器廃絶が大前提です。それを踏まえて、その時々の世界情勢下で平和の真の意味を唱えることが未来の来るべき惨禍に対して重要なメッセージとなるはずです。世界中の人々の価値観が変わりつつあるコロナ禍において、松井市長には反戦を謳い核兵器廃絶が一刻も早く行われなければいけないことを、具体的に力強い言葉で世界に訴えていただけるよう願っています。

 

 

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