広島から

広島での集会、イベント、広島で起こった出来事など広島から見たこと

2021年9月 9日 (木)

コロナ禍の86ヒロシマ その③

まだまだ収束のゴールが見えないコロナ禍ですが、世界的規模での環境の変化がコロナ感染症の要因の一つにもなっているということを知りました。85日、広島市内で開催された「8・6ヒロシマ平和へのつどい2021」では、生物多様性と脱軍備というテーマで講演会が開かれ、そこで「感染症」についての関連性が指摘されました。

 

2010年名古屋で「生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)」が開催され、国際条約である「愛知目標」が合意されました。これは国際社会が協力して生物多様性の損失を止めるため2020年までに達成しようと掲げた目標です。この目標達成に従い2030年、2050年へとつなげていく予定でした。しかしコロナウイルス感染症の世界的な流行により202010月に中国で開催予定だった締結国会議は延期。今年以降も延期が続き世界的に重要な戦略計画が停滞しているのです。

 

そもそもなぜ国際的な生物多様性条約が必要なのかというと、生物資源が人間社会にとって必要不可欠なものだからです。ご存じのように近年の生態系の破壊や気候温暖化等により生物の大幅な減少が世界的な規模で深刻化しています。生物資源や遺伝資源は食品や医療品などのバイオテクノロジーやバイオ産業の発展のためになくてはならないため国際的な取り組みが議論されたのです。そして包括的な保全と持続可能な生物資源利用のため1992年に「リオ地球サミット」で国際条約である「生物多様性条約」が採択されました。その後の2010年には日本の名古屋で会議が行われ20項目の愛知目標が定められたのです。

 

2020年9月、報告書「地球規模生物多様性概況」が発表されました。残念ながら日本は愛知目標20項目のうち完全に達成されたものは一つもありませんでした。部分的には達成されたものもありましたがわずか6項目のみでした。その6項目のうちの1つは「少なくとも陸域及び内陸水域の17%、また沿岸域及び海域の10%の保護地域などにより保全」で、部分的での達成となっています。もし辺野古や上関の海が埋め立て工事などせずに自然のままの姿で保存されれば、日本における沿岸域や海域の保全の範囲が大きく広がるのではないかと予想されています。愛知目標が達成されるかもしれないのです。辺野古や上関の海にはそこにしかいない生物が生息しています。もしこのまま埋め立て工事をすれば、まさに種の絶滅にもつながりかねず、生物多様性が保全されるどころか失われてしまいかねないのです。愛知目標の次の目標では「少なくとも陸域海域の30%を保護区にする」という草案が出されています。現在よりさらに厳しい基準です。脱軍備、脱原発は生物多様性の観点からも重要な意味を持つのです。

 

2019年の「地球規模生物多様性概況 政策決定者向け要約」には生物多様性の低下が感染症の危機を広げコロナ禍のような事態が起きることへの懸念が記述されていたといいます。人間が行う開墾や生息地の分断、抗生物質の過剰投与が野生動物や家畜、植物に影響を与え、感染症が増える可能性があるというのです。

またIPBES(生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学-政策プラットフォーム)の専門家は20204月の論文で「これはほんの始まりにすぎない。将来のパンデミックの可能性は非常に大きい。人に感染することが知られているタイプの未確認のウイルス 170 万種が、哺乳類や水鳥にまだ存在していると考えられている。これらのいずれかが次の「疾患 X」になる可能性があり、それらは、COVID-19 よりもさらに破壊的で致命的な可能性がある」と書き、生物多様性の減少が、COVID19 とは異なるウイルス感染の確率を高めている可能性があると指摘しているのです。

 

講師の方は「2020年に当面の生物多様性の減少を食い止める方策を決めようとしていた重要な年にコロナ事態が発生した事実は重い。生物多様性を減少させ続ける人類文明の在りようを根本的に見直すことが必要だ。社会システム全体を根本的に再編成する必要がある」と強く訴えていました。生物多様性の減少の視点から脱軍備、脱原発を考えていくことは戦争だけではない人類の危機を食い止めることにつながるかもしれません。

 

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2021年8月28日 (土)

コロナ禍の86ヒロシマ その②

8月6日はテレビ中継される平和公園だけで慰霊祭が行われているわけではありません。広島市内にある数多くの慰霊碑の前で関係者が集い慰霊祭を行っています。平和公園内にある韓国人原爆犠牲者慰霊碑の前では例年前日に慰霊祭が行われます。今年の韓国人原爆犠牲者慰霊祭も8月5日に開催されました。慰霊祭は1970年に本川橋の西詰に韓国人原爆犠牲者慰霊碑が建立された時から開催され、1999年に平和公園内に移設後も継続して行われてきました。今年で52回目となりました。

 

慰霊祭は在日本大韓民国民団広島県地方本部による主催のもと粛々と行われ、今年はあらたに13名が加わった2786名の死没者名簿が慰霊碑に奉納されました。コロナ禍の影響で昨年と同じように規模は縮小されましたが、招待客を招き一般も参列できました。報道によると180人ほどが集まったようです。

 

李英俊団長は追悼の辞で「原爆によって多くの韓国人が犠牲にあったという事実に心の痛みは耐えられません。犠牲者のみなさま、どうか安らかにお眠りください」と哀悼の意を表しました。この言葉は在日コリアンの方々にとって心からの思いです。朝鮮半島出身の被爆者が大勢いる事実は徐々に知られてはきましたが、近年までほとんどの日本人は知らなかったからです。

 

韓国人原爆犠牲者慰霊碑の建立のきっかけは、朝鮮半島の人々の原爆犠牲者が大勢いるにもかかわらず、韓国人の慰霊碑がないのはおかしいという一人の在日コリアンの男性の思いが発端でした。その男性の息子さんは原爆の犠牲となりましたが、息子さんの名前はある慰霊碑に日本の名前つまり本名ではなく通名で記されていたのです。日本に植民地支配され、日本名の使用を半ば強要され、亡くなってからも本名を名乗れずにいる息子を悲しく思うのは当然のことです。一人の男性の思いを受け、民族を超えて様々な人々が力を結集させ、韓国人原爆犠牲者慰霊碑が建立されました。韓国人原爆犠牲者慰霊碑の中におさめられた本名での被爆者の死没者名簿は韓国人として生きて亡くなった証となっているのです。8月5日に慰霊祭が行われるのは韓国では故人が生きていた日の夜に祭祀(チェサ)が行われることが由来だと言われています。6日が被爆した日なので本来は前日の5日の夜に行うのですが、それができないため午前中に行うことになったようです。

 

韓国人原爆犠牲者慰霊碑は亀のような形をした台座に龍の彫刻が彫られた螭首という装飾が施されている独特の形をしています。日本ではあまりみない形状に老若男女問わず訪れた人々は立ち寄り慰霊碑を眺め説明板を読みます。そしてその場を去る時、再度、慰霊碑を眺めていきます。碑は何も語りませんが、朝鮮半島の人々に起こった悲劇を人々に伝えているのです。原爆によって多くの韓国人が犠牲にあったという事実を日本人が知ることは、日韓の歴史を知ること、日本人が朝鮮半島の人々に何をしたのかを知ることです。朝鮮半島の人々に被爆の悲劇をもたらしてしまった日本の責任を知ることなのです。

 

 

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2021年8月26日 (木)

コロナ禍の86ヒロシマ その①

2021年コロナ禍の平和記念式典は昨年同様に入場規制の中で行われました。一般席は設けず招待者のみの参列となりました。式典の前後は公園内へ入ることができませんので式典中は規制外で黙とうを行ったり、スマホで式典の様子などを見ている方々が大勢いました。今年は心なしか去年より規制外にいる方が多いような気がしました。昨年来広できなかった方が来られていたのかもしれません。本来であれば全国各地はもとより世界中から集まるのですから、やはり今年も寂しい86となりました。

平和記念式典は市民代表による市内各地から集められた水の献水、原爆死没者名簿の奉納、広島市長や遺族代表の式辞など従来の流れで進められたようです。しかし今年の松井・広島市長の平和宣言はいつも通りではありませんでした。日本政府への強い要望が込められていたのです。詳細はぜひ広島市のホームページでご覧いただければと思いますが、少し抜粋してご紹介します。

 

平和宣言で松井市長は「被爆後に女の子を生んだ被爆者は、「原爆の恐ろしさが分かってくると、その影響を思い、我が身よりも子どもへの思いがいっぱいで、悩み、心の苦しみへと変わっていく。娘の将来のことを考えると、一層苦しみが増し、夜も眠れない日が続いた。」と語ります。」と生涯続く原爆の影響を訴えました。原爆は過去のことではなく、76年経った現在まで続く苦しみであることを最初に語ったのです。

そしてコロナ禍の世界状況から「今、新型コロナウイルスが世界中に蔓延し、人類への脅威となっており、世界各国は、それを早期に終息させる方向で一致し、対策を講じています。その世界各国が、戦争に勝利するために開発され、人類に凄惨(せいさん)な結末をもたらす脅威となってしまった核兵器を、一致協力して廃絶できないはずはありません。」と核兵器廃絶は現実のこととして可能であることを語りました。

さらに「日本政府には、被爆者の思いを誠実に受け止めて、一刻も早く核兵器禁止条約の締約国となるとともに、これから開催される第1回締約国会議に参加し、各国の信頼回復と核兵器に頼らない安全保障への道筋を描ける環境を生み出すなど、核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかりと果たしていただきたい。」と核兵器禁止条約の締約国となることを日本政府に強く求めたのです。

 

現在未来まで続く被爆の障害、為政者がその気になればできる核廃絶、そして日本政府がすぐしなければいけない核兵器禁止条約の締約国と、宣言の内容は説得力があり力強いものでした。8月6日に被爆地である広島市長が世界に訴える意味は決して小さくありません。一つ希望を言わせてもらえるならば、松井市長ご自身が被爆2世であることを宣言の中に加えていただきたかった。被爆2世の言葉として世界中の人たちはさらに深く感じ取ったのではないかと思います。被爆者の平均年齢は83歳になりました。被爆当時は7歳くらいです。人生のほぼすべての時間、原爆を背負って生きてきました。被爆者が存命していることを、どのような思いで生きてきたのかを私たちは知る必要があると思います。

 

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2021年1月26日 (火)

核兵器禁止条約が発効されました。시작이 반이다(始まりは半分)!

 2021年1月22日に核兵器禁止条約が発効されました。世界はいよいよ本格的な核兵器廃絶への道を歩み始めました。翌23日、地元紙である中国新聞では1面トップ記事で扱い、2面から4面までと、24面、28面、29面と大きな段組で関連記事が掲載されました。コロナ禍で集会などが中止になっているさなかですが、市内では条約発効の喜びにわく被爆者や市民団体の姿がありました。記念パレードや平和の集い、キャンドル集会、被爆者の映画公開など、コロナウイルス感染症に配慮しながらも広島の人々は思いを分かち合いました。また広島市長や広島県知事もメッセージを寄せ、広島の思いを訴えたのです。22日の各局のテレビ番組でも特集が組まれていました。被爆者はまさか自分が生きている間にこのような日が来るとは思わなかったと話していました。被爆から76年、広島にとって大きな喜びに満ちた日となったのです。

 中国新聞には条約の全文が掲載されていました。前文は特に読みごたえがありました。世界で運動してきた被爆者たちの役割がいかに大きかったかが伝わるものでした。被爆者の苦しみや、被爆者が長年にわたって核兵器廃絶に向けて闘ってきた成果が盛り込まれたのです。条約により被爆者はヒバクシャとなり、世界の共通語となりました。被爆者の思いが世界中に広がり、そしてこれからも広がるのだと感じました。その部分を一部抜粋します。

 

「核兵器廃絶への呼び掛けでも明らかなように、人道の原則を推進する市民の良心が果たす役割を強調する。国連や国際赤十字・赤新月運動、その他の国際・地域の機構、非政府組織、宗教指導者、国会議員、学会ならびにヒバクシャによる目標達成への努力を認識する。」

 

 条約発効でも世界中から核兵器を失くすには長く困難な道のりが待っているでしょう。しかし韓国には「시작이 반이다(始まりは半分)」という諺があります。「何かを始めたらそれは半分成し遂げたと同じこと」という意味です。核兵器禁止条約の発効はまさに核兵器廃絶の道筋をつけました。今はまだまだ細い道ですが、いつか王道になる日が来ると信じています。現在、批准した国は51の国と地域です。日本政府はこの条約に批准し、世界の国々、特に核保有国に対して核兵器は二度と使わせないという強い意志を表すことが始まりだと思います。核兵器は国民が持つものではありません。私たち国民は国が核兵器をもたないよう、核の傘に守られるという矛盾がないよう、これからも政府に働きかけなければなりません。

 

 

 

 

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2020年10月29日 (木)

NHK「1945ひろしまタイムライン」その後~日本人の課題として残りました

1945ひろしまタイムライン」はその後、私が知る限りですが次のような動きがありました。時系列でご紹介します。

 

923日~在日本大韓民国民団(民団)中央本部人権擁護委員会などが広島法務局に人権救済を申し立てる。「投稿は民族差別を扇動する」としてNHK広島放送局への勧告を求める。

102日~NHK広島放送局は8月までのツイッター投稿を削除し「1945ひろしまタイムライン」ホームページにまとめて投稿を移設。以前のツイートはそのまま掲載。

104日~広島市内で「ひろしまタイムラインと広島の民族差別の現在」というテーマで集会が開催される。オンラインも含め約120人が参加。

105日~「NHKひろしまタイムラインと広島の民族差別の現在」実行委員会メンバーらがNHK広島放送局に抗議文と、連名者名簿、コメント集を手渡す。

10月9日~「1945ひろしまタイムライン」HP上のブログ「原爆は国籍や民族の区別なくあらゆる人々を襲った」の中において在日コリアンの被爆者の話が掲載される。

  • NHKの対応

1945ひろしまタイムラインのホームページ(https://www.nhk.or.jp/hiroshima/hibaku75/timeline/index.html)」・ひろしまタイムラインブログ内「舞台裏話」で、6月16日、820日のツイート自体の削除なし。ツイートに注を追加。「原爆は国籍や民族の区別なくあらゆる人々を襲った」の項目が新設され、朝鮮半島にルーツをもつ被爆者(李鐘根さん、朴南珠さん)、東南アジア留学生マレーシア・米国兵捕虜の被爆者の話が掲載される。

以上のような動きがありました。結果からいうと、ツイートの炎上、社会問題化したにも関わらず、在日コリアンへの謝罪や掲載経緯などの説明がなく、ネット上での削除はしなかったということになります。ツイートのまとめをHPへ移設しましたが新聞記事によるとツイートを読みやすくするために元から予定していたものということでした。さらに「まとめツイート」に追加された注は資料を基に書いたことやリアリティを感じてほしかった旨のことが書かれていますが、説明は簡単すぎるほど簡単で、当時からあった朝鮮半島出身者への民族差別に関しては触れていません。またHP上で追加された「原爆は国籍や民族の区別なくあらゆる人々を襲った」に掲載された朝鮮半島にルーツを持つ被爆者の話は問題が大きくなってからの掲載のためアリバイ工作のように感じてしまいました。シュンさんのツイートはNHKの中で問題の本質への追及が行われなかったという、とても残念な結果になってしまいました。

戦争を考える企画で私たち日本人の中にある差別意識と向き合ってこなかった実態が浮き彫りになってしまいました。戦時中の朝鮮人差別が75年経った現在まで続いていたことが明確になったのです。シュンさんのツイート問題はNHKだけに突きつけられた課題ではありません。日本人自身がこのシュンさんのツイートについて考えなければいけないのですが、今だにあのツイートがなぜ問題なのかという声があります。私たち日本人は朝鮮半島にルーツを持つ人々に対して何をしてきたのか。今一度、歴史を振り返る必要があります。

 

 

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2020年10月28日 (水)

核兵器禁止条約3カ月後に発効!被爆者の75年間の行動が世界を動かしました。

すでに大きなニュースになっているのでご存じだとは思いますが、やはり嬉しくてブログに綴ることにしました。1024日、核兵器禁止条約の批准が50カ国・地域に達し、条約発効が決まりました。90日後の2021年1月から核なき世界への新たな道が開かれます。

26日の中国新聞は条約発効を一面で大きく紹介し、関連記事は5ページにもわたりました。条約発効までの過程、意義やポイント、広島市長や広島県知事、被爆者の喜びの声、そしていかに核兵器廃絶までの道のりが険しいかも論じていました。在韓被爆者の声がなかったのは残念でしたが、ブラジルの森田隆さんや渡部淳子さんといった在外被爆者のコメントがあり、お元気そうな様子に嬉しくなりました。

被爆者は喜びと共にこの条約に日本が批准していないことに対し憤りも隠していません。広島市中心部でのアピールや「ヒバクシャ国際署名」の延長など積極的な行動で日本政府に条約批准を求めています。長年にわたる被爆者の証言活動や平和運動が条約発効につながったのは確かだと思います。しかし被爆者の声が自国である日本政府に届いていないことは被爆者にとって悲しみに近いのかもしれません。条約に対しての「わが国のアプローチと異なる」という日本政府の言葉は条約に批准した国々に対する否定であり非難だと感じました。原子爆弾を2発も受けて国民が大虐殺され、75年経ったいまもなお被害が続いているという状況をどうとらえたら非核化に反対する立場になるのでしょうか。国家と国民は違うのだということをまざまざと思い知らされた言葉でした。

国家は国民がいないと成り立ちません。私たち国民は戦争をしたくなければ、核兵器を自分たちの上に三度も落としてほしくなければ、日本政府の核兵器禁止条約への批准を求めるべきだと思います。核兵器禁止条約は今の日本に関係のないものではありません。核兵器は1度でも使用されると被害が継続されていくのです。136000人以上いる被爆者は今も苦しんでいるのです。数十万人いる二世や三世は被爆者の苦しみを背負い自身も問題を抱えているのです。唯一の戦争被爆国の国民として傍観してはいけないのです。

 

 

 

 

 

 

 

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2020年8月17日 (月)

コロナ禍でもヒロシマは世界に訴えました

節目の86を広島は静かに迎えました。コロナウイルス感染防止のため今年は平和記念式典の縮小、オンライン集会など広島に人が集まらず、8月6日当日も平和公園は規制制限で入場することはできませんでした。しかし被爆者や平和運動の方々は世界に訴えました。広島の松井市長は平和宣言で核兵器禁止条約への批准を日本政府に要求しました。ヒロシマは核のない平和な世界を望む願いを呼びかけることをやめはしませんでした。

 

前日の5日は午前10時から平和公園で民団広島県地方本部主催の韓国人原爆犠牲者慰霊祭が行われました。参加者は例年よりはかなり小規模でしたが中満国際連合事務次長や平岡前広島市長、国会議員などが参列し、160人ほどが集まりました。毎年、韓国から在韓被爆者や韓国の大学生などが来ているのですが姿はありませんでした。慰霊碑には今年新たに13人が加わり75年前の犠牲者の名前が積み重ねられました。広島県地方本部団長は「今年は節目の年なので、どんなに小さくても慰霊祭はやろうと思っていた。縮小ではなくむしろ大きくやったほうがいいのではないかという意見もでた」と慰霊祭の重要性を話していました。例年と違いコロナ対策のため国歌を流すだけにし、婦人部による歌もないといった進行で少し寂しい気もしましたが、民団中央本部団長の「悲惨な広島の歴史と在日同胞の歴史を記憶し、次の世代に継承していきます」という決意を聞き、自分自身の気持ちも新たにしました。

 

式典当日の6日は朝5時から9時まで公園内に入れなかったため、9時過ぎに行きました。途中、式典警護から戻る大勢の警察官とすれ違いました。式典に参加する方々より多くの警察官がいたのではないかと思うくらい今年は目立ちました。平和公園に入りすぐ山口の2世の会が主催する「8・6広島青空式典」が行われる原爆ドームに向かいました。すると原爆ドームの周りを原水禁の方たちが囲み、人間の鎖を作っていました。今年の原水禁はユーチューブでネット配信し、原水協もオンライン会議などで大会を運営するなど直接、広島で行う行事をしていないと思っていたので驚きました。このような静かな運動は、座り込みに通じる運動と同じで時にはいいなと思いました。

 

「8・6広島青空式典」では基調報告や団体報告などが行われました。被爆二世を日本政府は1度も調査しておらず、実態すらわかっていない現状や二世の集団訴訟など被爆二世が置かれている現状を訴えました。また先月、アメリカのトリニティ・サイトで開かれた核実験75年の記念式典でトランプ大統領が発言した核実験に対する称賛に抗議と撤回を求めました。例年集会場所には必ず被爆のパネルが設置され、通行する人たちが気軽にみられるようになっています。今年も通る人は少ないながらも、パネルにしっかり見入っていました。1985年から続いているこの集会は、被爆二世だけではなく、学生や労働者、障碍者、反原発、反基地といった人々が集まっています。韓国の団体とも連携もしており毎年来日していますが、今年は日韓同時開催として同じ時間帯に韓国でも集会を行うといった試みがなされていました。ちなみにコロナ対策としてソーシャルディタンスは当然のこと、マイクに使い捨てカバーを一人ひとりに使用してもらうといった工夫がされていました。35年という長きにわたって続けられているこの集会は粘り強い努力と信念がなければできません。私は広島でこうした方々とお会いできて、本当によかったと思っています。今の日本はどうなっているのか、自分の立つ位置はどういうところなのか、教えてもらえるからです。

 

75年間、草木も生えないと言われた廣島。

緑豊かな平和都市となったヒロシマは今年も世界に訴えました。

「戦争反対」「核兵器はいらない」「核と人類は共存できない」と。

 

 

 

 

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2020年6月14日 (日)

コロナ禍で被爆75周年の平和記念式典が変わるようです

昨年12月から新型コロナウイルス感染症は世界中で猛威をふるい、今だ収束のめどがたっていません。日本でも4月に緊急事態宣言があり自粛要請がありました。このコロナ禍で様々な行事が中止や延期になっていますが、被爆75周年を迎える今年8月6日の式典も様変わりしそうです。広島では8月6日当日、市内各地で様々な団体による慰霊祭が開催されていますが、縮小や中止などの決断が余儀なくされているようです。そして世界から参列する「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」も大きく形を変えることが分かりました。

 

広島市のHPによると式次第や所要時間は例年と変わらず8時から850分の予定のようですが、会場の様子が大きく変わります。ソーシャルディスタンスを守る形にするため一般席を設けず、公園内への入場規制もあるようです。式典参列者の席は例年の1割ほどの最大880席で、公園内の混雑した光景もなくなります。これがどういう感じになるのか想像しにくいというのが正直な思いです。

招待客は内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長、外務大臣、 厚生労働大臣で、海外からは国際連合事務総長、駐日大使などが候補に挙がっています。被爆者や被爆者遺族は被爆者 6 団体から推薦された方や被爆者代表、遺族代表、都道府県遺族代表などが挙げられています。去る6月5日には国連のグレテス事務総長が参列する意向を示し、訪問ができない場合もビデオメッセージを送るということが広島市から発表されました。他の国の来賓の方々はまだ分かっていません。このまま新型コロナ感染症が収束しなければ、他国の来賓者の参列は難しいと思います。ビデオメッセージに意味がないとはいいませんし、やむを得ないかもしれませんが、被爆地に来て放つ言葉の重み、献花はやはり特別な意味を持つと思います。

 

また平和宣言の内容も変わるかもしれません。平和宣言の文案を検討する懇談会委員の間でコロナ禍についての言及があったようです。6月6日の中国新聞によると、懇談会委員から「新型コロナウイルスは自然の脅威だが、核兵器は人間の作った脅威で自らの意志で除けると訴えるべき」「感染拡大で自国第一主義が広がっていることへの警鐘が必要」といった意見が出たといいます。コロナ禍という世界が直面している脅威と核兵器廃絶は命を救うために各国が協力しあわなければいけないものです。懇談会委員の方の言う通り、核兵器は人間が自らの意志で排除できます。今は新型コロナウイルスですが、新たなウイルスが出てくる可能性も予想されています。人類は核兵器という無駄なものに時間もお金も労力も費やす暇はないのです。コロナ禍は核兵器社会にとって一つの分岐点になるかもしれません。

 

平和記念式典は海外の来賓にとっては非核平和の意思表示であり、被爆者や遺族にとってはお葬式の意味を持っています。一般の参加者は被爆地に来て核兵器のおぞましさを体感できる機会となります。今年は新型コロナウイルス感染拡大予防のため仕方ありませんが、参列者の限定はとても残念です。平和宣言は世界の核兵器廃絶が大前提です。それを踏まえて、その時々の世界情勢下で平和の真の意味を唱えることが未来の来るべき惨禍に対して重要なメッセージとなるはずです。世界中の人々の価値観が変わりつつあるコロナ禍において、松井市長には反戦を謳い核兵器廃絶が一刻も早く行われなければいけないことを、具体的に力強い言葉で世界に訴えていただけるよう願っています。

 

 

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2020年3月26日 (木)

春風に吹かれて碑巡りはいかがですか?

広島もそろそろ桜のシーズンで、外に出て花を愛でる季節になってきました。新型コロナウイルスで自宅待機している方も多いと思います。いまのところ日本では密閉された空間・人が密集する場所・人と密接する場面などがクラスター感染の発生リスクが高いと言われています。ですから外で人と接することがない散歩でのコロナウイルス感染リスクは比較的、低いのではないかと思われます。気分転換に春の日差しを浴びて川岸を歩きながら碑巡りはいかがでしょうか。

 

広島で被爆した方々の慰霊碑は平和公園を中心に市内各地にあります。平和公園では碑にまつわるエピソードを聞く碑巡りのフィールドワークが盛んです。また平和公園以外にも市内各地に慰霊碑があり、毎年8月6日には地域に慰霊祭が行われています。今回は韓国人原爆犠牲者慰霊碑以外の外国人の碑を2つご紹介します。

 

1つめは中区加古町の本川岸にある「祈平和BRASIL」です。これはブラジル広島県人会・在伯長崎県人会・在ブラジル原爆被害者協会・ブラジル相互協会が1990年に建てたものです。広島は移民を多く出し、被爆後もブラジルに渡った被爆者が数多くいます。碑はブラジルの国土がかたどられ、平和の象徴である鳩が1羽とまっています。碑文には「ヒロシマの悲劇を再び繰り返さないという決意と世界の恒久平和への願いをこめて この碑を広島日伯協会を通じ ひろしまの地に贈る」と書かれています。ブラジル在住の広島県人会や長崎県人会などが募金して碑を造り、広島市に送ったもののようです。第二の故郷ブラジルの地と故郷広島を思う気持ちが伝わります。

 

2つめは中区大手町の元安川岸にある「興南寮跡」碑です。これは「南方特別留学生」として広島文理科大学や広島高等師範学校に留学していた東南アジアの留学生が住んでいた寮の跡碑です。日本は大東亜共栄圏の占領戦略の一環としてブルネイやマレーシア、インドネシア、ビルマ、フィリピンなどから地元の有力者の子弟を集めました。日本の占領地で指導的役割を担ってもらうための人材育成として国費で日本に招いたのです。広島には20数名の留学生が来ていたようです。86日、原爆により寮は消失し、留学生も被爆しました。ブルネイのペンギラン・ユソフ元首相も南方特別留学生として広島文理科大学に来ていました。ユソフ元首相は講義中に被爆し、救助活動も行ったようです。帰国後は英国の保護領だったブルネイで首相になり、駐日大使も務めたようです。ブルネイ唯一の被爆者で、2016年に94歳で逝去されました。ユソフ元首相は広島での被爆体験を子供たちに語っていたといいます。またマレーシアから来ていたニック・ユソフさんは広島文理科大学の学生で興南寮で被爆し亡くなりました。ニック・ユソフさんは今も五日市の光禅寺の御墓でひっそりと眠っています。

 

在外被爆者は厚労省の手帳取得者数によると約2,966人(20193月現在)に上ります。その大半は韓国におられますが、30カ国近い国々にお住まいです。新しくなった広島平和記念資料館には日本人以外の被爆者のコーナーも少しですが設けられています。なぜ日本人以外の方々が被爆したのか。日本がおこした戦争で犠牲にならざるを得なかった方々の存在を、被爆被爆したのは日本人だけではないことを私たちは忘れてはいけないと思います。

 

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2020年2月27日 (木)

世界最大の被爆遺構。広島市内にある戦争遺跡の行方

軍都廣島時代の戦争遺跡であり、原爆に耐えた被爆建物の旧陸軍被服支廠の保存をめぐって昨年から広島では議論が繰り広げられています。貴重な遺構ですが劣化や耐震性の問題などにより住民や通行人に被害が及ぶ可能性があるということで解体の話が数年前から出ていました。補強するにも費用が高額になるため当初は解体の方向で進められていましたが、このたび解体が見送られることになりました。一安心ではありますが、解体が先送りになっただけで中止になったわけではないためまだまだ予断を許さない状況ではあります。

 

旧陸軍被服支廠は明治時代に建てられた南区にあるレンガ作りの建物で、当時のまま現存するものは4棟あります。広島県が3棟、中国財務局が1棟それぞれ所有しています。原爆の爆風により曲がった鉄の扉など被爆のすさまじさをそのまま伝え、被爆建物の中では一番規模の大きい遺構です。つまり世界最大の被爆建物というわけです。市民団体や被爆者団体は原爆を伝える貴重な遺構であると保存を要望し、署名活動や関連行事などを開催し市民や県内外に保存をアピールしてきました。署名は2700人にものぼり広島県民の被爆建物に対する思いの強さが表れました。その成果としてこの度の解体先送りとなりました。

 

かなり前に本ブログでも旧陸軍被服支廠の利用について書いたことがあります。その際は「戦争博物館にしてはどうか」ということを書きました。博物館は軍都広島時代を中心に、倉庫及び図書室として戦後補償裁判などの裁判資料も閲覧できるようにするものです。裁判資料は膨大であり、且つ非常に貴重な内容のものばかりです。戦争被害者である原告の生の声がありますから、一般も利用できるといいと書きました。また近くには旧糧秣支廠や宇品港などもあるため、軍都廣島のフィールドワークができるように博物館に案内人を置き、ピースツーリズムの拠点とすると歴史を身近に感じられるのではないかと思いました。

 

以前は建物を一部だけ残してはどうかと書きましたが、世界最大の被爆建物なので、そのままの状態で残すことに大きな意義があると今は思います。4棟保存となると補強費用及び維持費用が膨大になります。そこでまず世界にこうした原爆遺構がある事を知ってもらうことが重要です。カープの市民球場のように樽募金やクラウドファンディングなどで、世界中の注目とお金を集めることが最初かなと思います。広島からの平和発信基地としての戦争博物館は、原爆で終焉した第二次世界大戦の遺構という世界唯一のものとなります。原爆ドームほどまだまだ知られてはいませんから、旧陸軍被服支廠にも来てもらえば、原爆ドームからの流れで広島市内の美しい街並みも知ってもらえると思います。原爆ドーも当初は取り壊しの方向でしたが、強い市民の声で保存となり現在は世界遺産です。旧陸軍被服支廠も同じように保存そして世界遺産となるように政治家の方々どうか議論をお願いします。

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