コロナ禍の広島2022②平和記念式典
翌6日の平和記念式典は今年も招待された参列者のみしか式典に参加できませんでした。私のような一般人や遺族であっても招待されていない人々は周辺にいるしかなく、残念な式典となりました。
式典が開催される原爆慰霊碑周辺はロープでとり囲まれ、市役所職員が人の鎖のように立ちはだかっていました。8月6日の慰霊をしたいという人々が全国各地から集まってきています。観光客と思われる人がロープに近づき写真をとろうとした際に、上司と思われる人が職員に向かって「近づかせるな」と怒鳴っている姿をみた時には、失望を禁じえませんでした。そこから慰霊祭の舞台まで簡単に見える距離ではなかったからです。安倍元首相の銃撃事件のあとですから厳重なのは仕方ないとしても、観光客を威嚇するような部下への叱責はいかがなものかと思いました。招待客以外は絶対に中には入れないという高圧的な感じです。そうであれば公園内総ての地域を立ち入り禁止にすればよかったのです。こうした緊迫感のある状況で平和記念式典が開催されたのです。
午前8時前に私は原爆ドーム前にいました。ドーム前ではいくつもの団体が集会を行っているからです。宗教団体や平和団体などが一塊になってそれぞれの集会を開いています。その中の一つに参加しました。そこでは8時15分に「ダイイン」が行われます。黙とうの代わりに1分間、地べたに寝ころび死者に思いをはせるものです。最初に見た時はとても衝撃でした。まるでそこで亡くなったかのように人々が思い思いの姿で倒れています。実際、原爆が投下された時は、ここにいる何百倍もの人々が横たわっていたのだと思うと、恐ろしさが募ってきます。核実験後のドーム前での座り込み行動と同じく静かな抵抗と激しい怒りを訴える行動です。
同じ時刻、式典では黙とう・平和の鐘に引き続き、広島市長による平和宣言、放鳩、子供たちによる平和への誓いが行われます。今年の松井市長は、日本政府に対して核兵器禁止条約の締約国会議への参加と、一刻も早い締約を促しました。こうした核兵器廃絶に向けた具体的な強い姿勢を広島市長がとることは今までにないことではなかったかと思います。これは松井市長が被爆二世であることや平和首長会議の広島開催などが考えられますが、平均年齢が84歳を超え、いまだに心身や生活に苦しみが続く被爆者を市長が身近に感じているからに他ならないと思うのです。77年間、被爆のトラウマを心に抱え、体に放射線のダメージを受け続けている被爆者を広島の人々は見ています。生活状況を知っています。多くの死を経験しています。ロシアによるウクライナ侵攻で、核兵器の使用をにおわすような戦争に広島は立ち上がったのだと思うのです。
コロナ禍の広島は今年も人々の平和への強い希求であふれていました。二度と核兵器を使わせない、戦争反対という広島の願いは、様々な形で世界に向けて発信されていきました。
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