在韓被爆者・被爆者

在韓被爆者や在外被爆者、被爆者、被爆二世について

2020年7月27日 (月)

「狂夏の烙印~在韓被爆者になった日から」上映会が立川市であります。 ぜひご覧ください。

「狂夏の烙印~在韓被爆者になった日から」が立川市で上映されます。立川市生涯学習推進センター柴崎学習館さんが主催の平和人権講座「戦後75年ロードショー」で上映していただくことになりました。

 

平和人権講座「戦後75年ロードショー」は7月31日から8月15日まで開催されます。「沖縄 第 1 部一坪たりともわたすまい」「教えられなかった戦争・フィリピン編侵略・開発・抵抗」「対馬丸 さようなら沖縄」「蒼い記憶 満蒙開拓と少年たち」など、ドキュメンタリーからアニメまで、様々な映画が企画されています。小学生から見ることができるのも魅力です。

 

そうそうたる映画の中に愚作「狂夏の烙印~在韓被爆者になった日から」を入れていただき恐縮ですが、2000年以降の在韓被爆者の状況を描いた作品はテレビを除いてはほとんどないと思いますので、在韓被爆者に関心がおありの方はぜひご覧いただければと思います。

在韓被爆者運動の黎明期を知る方々のインタビューやマスコミに出ることのない被爆者の方の証言、韓国のヒロシマと呼ばれる陜川(ハプチョン)の様子など、あまり見ることのできない、聞くことのできない映像だと自負しています。

 

日韓関係が厳しい今、やはり大切なことは互いを知ることだと思います。日韓は一時期、同じ国でした。日本の植民地となった朝鮮半島の人々が何を思い日本にやってきたのか。広島で何をしてきたのか。そして戦後なぜ帰っていったのか。戦後どう暮らしてきたのか。その間、日本は何をして何をしてこなかったのか。日本と韓国は共通の歴史があるのです。在韓被爆者はその歴史の1ページです。

 

 

平和人権講座「戦後75年ロードショー」

日時:8 2 ()午前 10 時~11 35

「狂夏の烙印・在韓被爆者になった日から」

場所:■場所:立川市柴崎学習館 ■無料■定員25

申込 :7/25~柴崎学習館☎042-524-2773

協力:立川市原爆被害者の会

主催:立川市生涯学習推進センター柴崎学習館

 

 

 

 

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2020年6月23日 (火)

原爆症訴訟二審は一部勝訴。被爆者の救済は誰がするのか。

昨日22日、広島高裁で原爆症訴訟の判決が出ました。この裁判は被爆者が心筋梗塞などの病気で原爆症申請をしたのに国が原爆症と認定しないのは不当であるとして却下処分の取り消しなどを求め被爆者が訴えたものです。原爆症の認定は原爆の影響により病気となった被爆者に対し、国が定めた特定の疾患に対して医療特別手当を支給する制度です。これまで集団訴訟により国は認定要件を徐々に緩和し、積極的に認定するように行ってきました。しかし同じ病気でも原爆症と認められる被爆者と認められない被爆者がいるため、このような訴訟をおこしたのです。

新聞によると今回の訴訟は「病気が放射線に起因するか」「医療が必要な状態と認められるか」が争点だったようです。5人を却下処分の取り消し(勝訴)、6人の請求を退ける(敗訴)という結果になりました。6人の敗訴理由は『「発症に影響を与える程度の放射能に被爆したといえるか疑問。喫煙などの発症した可能性を合理的に否定することはできない」6月23日中国新聞』ということでした。弁護団は『「発症のメカニズムが分かっていない中、喫煙など他の原因を重視しすぎている」6月23日中国新聞』と強く憤っていたようです。

国が基準としている特定疾患は、悪性腫瘍、白血病、副甲状腺機能亢進症、心筋梗塞、甲状腺機能低下症、慢性肝炎・肝硬変、放射線白内障などです。被爆者はこうした疾患にかかると原爆症認定されやすいので申請しますが、実際はどんな病気でも申請することは可能です。そしてこれらの病気に罹ったからといって申請した被爆者が全員、原爆症認定されるわけではないのです。つまり国が定める基準というのは非常に分かりにくいのです。

私は過去数回、原爆症認定申請のお手伝いをしたことがあります。在韓被爆者や在日コリアンの方々ばかりでしたが、いずれもいわゆる国が認定した特定疾患にかかる前に多くの病気にかかっていました。被爆者は常に病気と共に生きていました。そして大病を罹ったのです。ほとんどの被爆者は大病に罹らなくても病気と闘っています。以前にも書きましたが、例えすぐ病気が発症しなくても数十年後になって出てくるということも稀ではないのです。「被爆者は体に爆弾を抱えているようなものだ」という言葉を聞いたことがあります。私もそう思います。今回の訴訟で「病気が放射線に起因しない」という判断を裁判長が下すのはやはり無理があるのではないかと思います。

敗訴した被爆者は上告を検討しているようですが、高齢で大病を患っている被爆者が長期の裁判に耐えられるのか非常に心配です。被爆者を救済する目的の制度のために被爆者が苦しめられているというのはどう考えてもおかしなことです。

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2020年3月25日 (水)

新型コロナウイルスのパンデミックで平和活動も中止に

今年から本格的に世界中で大流行となっている新型コロナウイルス感染ですが、平和活動にも影響が出てしまいました。今月17日の中国新聞に「NPT会議派遣を中止 日本被団協「原爆展」時期変更検討」の見出しで記事が掲載されていました。内容はNPT(核拡散防止条約)再検討会議に行くはずだった被爆者を含む代表団の派遣を中止し、原爆展も開催時期の変更を考えているというものでした。

 

NPT(核拡散防止条約)再検討会議は、核兵器の不拡散に関する国際条約であるNPTを加盟国が集まり検討するというものです。5年に1度、条約によって定められた核軍縮や不拡散の現況などを見据え、最終的には核兵器廃絶を目指します。2020年の今年は再検討会議の年にあたり4月~5月にかけてニューヨークで開かれる予定です。再検討会議には毎回、日本から被団協や被爆者なども参加しており今回も行く計画でした。しかし高齢であり持病のある被爆者が新型コロナウイルス感染のパンデミックの渦中に行くことに際し、命を守るためとして派遣中止を16日に決めたのです。核兵器の恐ろしさを身をもって体験されている被爆者の方々の再検討会議での活動はどれほど大きいものなのか想像に難くありません。NPTの本質を担っている方々です。今回の派遣中止は苦渋の選択だったと思います。

 

この新聞記事のあと、ニューヨーク州が自宅待機の措置を行いました。NPT再検討会議も間違いなく延期になるでしょう。私たちはウイルスとの闘いに勝たなければいけない状態ですし、今後も起こりうる状況なのですから、人類は核兵器保有や戦争から今すぐ脱却すべきだということを強く認識すべきです。同17日の中国新聞記事によると被団協などで構成されている「核兵器廃絶日本NGO連絡会」は核兵器禁止条約の批准を要請する活動を国内で始めたとありました。50カ国の批准まで、あと15カ国です。戦争とは違いますが今回のコロナウイルス感染のパンデミックで1つの国が機能不全になった場合、他国に及ぼす影響が計り知れないことを私たちは体験している最中です。今後の影響も計り知れません。NPT再検討会議が開催された場合、日本は存在感を出すべきです。最初で最後の戦争被爆国となるべく日本は核兵器の残酷さを世界中の人々に伝えるべきですし、核兵器禁止条約の批准に向けてどこの国より日本が大きな旗を振るべきです。

              

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2020年1月28日 (火)

被爆二世裁判、継続中です。

被爆75年が経つ現在、被爆者の子どもたちによる裁判が続いています。被爆二世に対し国が支援をするよう求めているものです。去る1月14日は広島地裁で第10回の口頭弁論が行われました。長崎でも同様の裁判が行われており、ほぼ同じペースで進んでいます。二世裁判に関しては以前から当ブログでもご紹介してきましたが、なぜ裁判が行われているのかというと、現在二世に対して行われている健康診断は不十分であり、病気が発症しても国からの援護が何もないためです。

 

被爆者援護法では直接被爆した人以外にも原爆投下後2週間以内に救援活動、医療活動、親族探し等のために市内に入った人や、救護・死体処理をした人も被爆者手帳を出し、被爆者としています。原爆が投下された後に身体に原爆の放射能の影響を受けるような事情の人を対象としているのです。被爆二世は「原爆の放射能の影響を受けるような事情の人」であると原告は訴えているのです。つまり二世は現行の援護法の対象になるのではないかということです。しかし国は被爆二世の遺伝的影響を認めていません。そこで裁判により被爆による遺伝的影響があることを明らかにし、被爆二世を「第五の被爆者」として認めさせて二世援護の制度化を目指しているのです。

 

長い被爆二世の運動の成果により、東京都や神奈川県、大阪府吹田市など全国の自治体で援護措置として医療補助がなされていますが、それはあくまでも自治体としての施策です。同じ二世で住む場所によって援護が違うというのはおかしな話であり、そもそも国が制度化していないため自治体が行っているというのが実情なのではないでしょうか。70歳を超えた被爆二世も大勢おり健康不安は年々高まってきていますが、被爆二世がどのくらいいるのか人数すら把握しようとしていないのが国のスタンスです。苦しんでいるからこそ二世は今まで運動し国に訴えてきました。裁判は最終手段です。裁判では遺伝的影響に関して各国の研究結果を提示しています。今後は具体的に原告本人や周囲で何が起こっているのかを示していくようです。

 

二世は親の被爆者の苦労を共に背負いながら生きてきました。全国被爆二世団体連絡協議会のHPには裁判にあたって「被爆者や被爆二世の現実を知らない人達に、被爆者や被爆二世がどのように原爆被害の恐怖と闘いながら、自らの人生に誇りを持って生きてきたかを知って欲しい。」という一文があります。二世ならではの体験からこの言葉が出ているのだと思います。今後裁判を通して、被爆者と被爆二世がどう生きてきたのかが示されると思います。原爆は被爆者だけに被害を与えるだけではないことが、この裁判で明らかになることでしょう。被曝の遺伝的影響という世界中のヒバクシャにつながる裁判でもあります。これからの被爆二世裁判に注目していただきたいと思います。

 

 

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2019年9月29日 (日)

ジョン・ハーシー著「ヒロシマ」を読んで

私にとって2019年の夏はヒロシマを振り返る年となりました。新しい原爆資料館や映画「ひろしま」の鑑賞、そして被爆の実相を伝えた書籍、8月5日の韓国人原爆犠牲者慰霊祭、6日の平和祈念式典は自分自身がなぜ今こうして映像をやっているのかをじっくりと見つめ直す機会となりました。今回はジョン・ハーシー著「ヒロシマ増補版」の感想です。

 

アメリカ人の記者ジョン・ハーシーは19465月と39年後の19854月の2回、広島を訪れました。そして原爆で被災した被爆者から話を聞きました。ニューヨーカー誌に掲載されたハーシーが書いたヒロシマの記事は欧米で話題を呼び、十数カ国に翻訳されるほどの大反響となりました。被爆後まもない被爆者たちは原爆を落とした国の記者に何を語り、何を訴えたのでしょうか。そしてハーシーは何を伝えたかったのでしょうか。

 

本作「ヒロシマ」に登場する主な被爆者は6人。教会の日本人男性牧師、ドイツ人男性神父、日本人の男性外科医2人、日本人の既婚女性2人です。ハーシーがヒロシマに来て出会った方々からお話を聞いています。被爆時の詳細な聞き取りも素晴らしいのですが、ハーシーの凄さは39年後の追加取材にあります。戦後、被爆者たちがどう生きてきたのかを丹念に聞き取っているのです。私は被爆時よりも、むしろ戦後からの生き方に心惹かれました。被爆をしていなければ、こうはならなかったと思われる一人一人の人生が、誤解を恐れずに言うとまるで小説のように描かれているのです。

 

本作を翻訳した一人は、まさにハーシーの取材対象者であった谷本清牧師でした。「インタビューの冒頭に「いままで原子爆弾の科学的被害調査は種々おこなわれたが、私はそれと違って人道主義の立場からその被害調査をしたいのだ」といいだしたものだから、私はすっかり気をゆるしてしまった。」と谷本牧師はあとがきに書いています。それまでいかに被爆者をないがしろにして調査や取材が行われてきたのかを伺うことができる言葉だと思いました。そして、ハーシー本人、被爆者たちがその被害がどのようなものであったのかを数字ではないところで伝えたかったということが分かります。

 

もちろん被爆の実相も貴重な事実ですが、私は戦争そして原爆の悲劇はむしろその後に来るものだと感じます。地獄のような原爆からなんとか生き延びても、そこからまた生きていかなければいけません。戦後の心身の困難をどう耐えながら生きてきたのかは、本作を是非お読みいただきたいと思います。ハーシーの足元にも及びませんが、人道主義の立場から作品を作ることをあらためて胸に刻んだ1冊となりました。

 

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2019年4月29日 (月)

「被爆者はどこにいても被爆者だ」朝鮮半島被爆者の支援者集会に参加してきました

韓国の原爆被害者を救援する市民の会・広島支部主催の「被爆者はどこにいても被爆者だ」が先週25日に市内で開催されました。これは先日リニューアルオープンした広島の原爆資料館に韓国の被爆者・郭貴勲さんが資料を提供し、来広することになっていたため、郭貴勲さんに記念講演をしていただこうと企画されたものでした。しかし残念ながら、郭さんのお体の大事をとって来日はならず、当日はビデオレターでの講演となりました。集会は大盛況で、大勢の方が参加されました。今回は集会の様子をご紹介します。

 

会は2部構成になっており、1部では郭貴勲さんのビデオレター、2部は韓国の原爆被害者を救援する市民の会・会長の市場淳子さんによる「在韓被爆者の現状について」、在朝被爆者支援連絡会議・役員の金子哲夫さんによる「在朝被爆者の現状について」、それぞれ講演がありました。

 

ビデオレターでは郭貴勲さんが流暢な日本語でお話をされていました。徴兵され被爆して帰国するまでの体験が、まるで昨日のことのようによどみなく語られ、被害者にとっての経験は歳月とは無縁のものなのかもしれないと感じました。郭貴勲さんの御見事な日本語はよく存じ上げていますが、日頃、日本語を使う機会がほとんどないはずなのに、お変わりなく流暢で本当に驚きました。

 

2部での市場淳子さんのお話は韓国の原爆被害者を救援する市民の会(以下、市民の会)の活動についてでした。市民の会の設立目的は「韓国の被害者支援」「日本政府に植民地支配の謝罪と賠償をさせること」だったといいます。加えて「日本社会において、日本政府が植民地支配の反省をしないことを認識させること」でした。在韓被爆者支援の一環として裁判を行い、裁判で勝ち取った末に日本からの支援を受けることができるようになりましたが、まだ「謝罪と賠償」は残っています。市場さんは「初心に立ち返って運動をしていかなければいけない」と締めくくりました。

 

金子哲夫さんによる「在朝被爆者の現状について」では、昨年の訪朝報告と厚生労働省との交渉について話されていました。在朝被爆者支援連絡会議は去る4月22日、厚生労働省に対し在朝被爆者支援について要望を行いました。要望内容は在朝被爆者について「日本政府が無策であったことへの謝罪と基本的な方策を明らかにすること」や、「人道上の立場から緊急の方策を講じること」などで、北朝鮮政府との協議を求めました。しかし厚生労働省の回答は、「北朝鮮に居住している被爆者であっても被爆者援護法が適用されている」ということでした。確かに中国の北朝鮮領事館を介せば、手帳申請や手当申請ができるかもしれません。しかしそれができないため、在朝被爆者支援連絡会議ができ、日本から政府に要望しているのです。金子さんは「厚労省は国交断絶のことをいうが、人道支援であれば援護法に関係なく支援できるはずだ。共和国の被爆者の願いも被爆者援護法の適用ではなく、人道的支援なのだ。今までも施行規則の中でやってきているので、変えようと思えば変えられる」と、日本政府の柔軟な対応を強く訴えていました。

 

熱心に話を聞く方々の姿に、このように歴史の事実を知ろうとする方々がすこしずつ増えれば、日韓関係も変わってくるのではないかと感じます。またこうした集会を韓国でも行うことができれば、何か新たな道も見えてくるかもしれないと思いました。

 

 

 

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2019年4月 9日 (火)

日韓で被爆者の歴史の共有を。市民が国境を越え新しく日韓の団体結成。

日韓の関係は政治的には混迷混乱が続き、なかなか収束に向かいそうにありません。せめて互いの国民同士はよい関係を築きたいと思うのですが、ネットでの感情的な意見を見ると、簡単にはいかないように感じてしまいます。実際に韓国人とつきあったことがあるのか、お話ししたことがあるのか疑問に感じることもしばしばあります。私が今まで出会った韓国の方々は人情が厚く面倒見がよくて、おつきあいすると楽しい方たちばかりでした。韓国に行って、嫌な体験はほとんどなく、むしろお世話になることが多かったというのが私の経験です。ですからまず韓国の方とつきあってみる、会って話してみることが理解の第一歩だと感じます。

私がお世話になっている「韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部(以下、市民の会)」は今月19日、韓国の被爆者団体である「韓国原爆被害者協会大邱支部」と交流団体を作ることが分かりました。市民の会は韓国原爆被害者協会と40年来のつきあいがあり、在韓被爆者が来日した際のお世話や被爆者手帳申請のお手伝いをしたり、在韓被爆者裁判では全面支援を行うなど、深いつながりがあります。在韓被爆者裁判の結果、被爆者援護法における在外被爆者と日本在住被爆者との差がほとんどなくなり、まだ課題は残りますが市民の会としては大きな役割が一段落したところでした。そこで以前から韓国と姉妹提携を結ぼうと言う話が出ており、今回の4月の訪韓で新しく団体を作ろうということになったようです。

残念ながら私は参加できませんが、広島からは10人程度、韓国では30人程度が参加し、集会や交流会などを開くようです。広島側にも日本人や在日コリアンの被爆者がおられます。被爆体験の共有や継承、被爆者問題など、日韓の被爆者や支援者が互いの知識の交換をするようです。

日本と韓国の歴史が重なる被爆者の証言は日韓にとって、とても貴重なものです。被爆者の平均年齢は日本では82歳、韓国でも79歳と被爆時は幼い方が多くなり、被爆証言ができる方々が少なくなってきています。さらに被爆者数も年々少なくなっています。こうした中、市民同士がつながり経験を共有し広げていくことは、まさに日韓の歴史の共有になります。地道ですがこういった活動が今後の日韓の歴史を伝えていくなかで重要になっていくと思いますし、互いの誤解を解いていく一助になっていくと思います。市民の会の皆様どうかお気をつけて行ってらしてください。

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2019年2月26日 (火)

被爆2世裁判でのこと

去る2月12日、広島地裁で被爆2世裁判の7回目の口頭弁論がありました。原告側から準備書面が出され、国側から出された書面の反論がなされました。弁護団の話しでは、このように裁判が長引くことは通常はないようです。被告である国が書面を準備する時間をしっかりと設けていることで長引いているようです。被爆2世への遺伝的影響について否定する科学的根拠を調べているようですので、今後裁判で何か明らかになることがでてくるかもしれません。科学的根拠が判明すれば、それは2世にとっても嬉しい知らせになります。

裁判終了後の報告会では原告から自分たちの体験談も話されました。生まれてすぐ亡くなった兄弟がいる、若い時に死んだ2世がいるといった身近な経験が次々と出てきました。広島や長崎のような被爆地にいると、被爆者や被爆2世があまりに多すぎて当たり前になっていることが、実は当たり前ではないということも考えられます。裁判とは関係なく、2世の具体的な体験を数多く集めることも、今後の課題となってくるのではないでしょうか。

2世裁判とは直接関係のない話ですが、気になったことを一つ。前回から広島の裁判所に入る際、入念なセキュリティーチェックが入るようになりました。航空会社のようなゲートと金属探知機での身体検査です。この度、次のようなことがありました。ペースメーカーをしている方が、事前の申請通り別の場所から入ろうとした際に体に金属探知機をあてられたのです。事前に申請をさせているということは裁判所は知っているということです。にも関わらず、こうしたことが起こりました。一歩間違えば身体に影響が出る大きな問題です。また歩行が困難な原告は法廷まで行くために、非常に辛い思いをして行くことになりました。なぜなら入り口が1カ所になってしまったために、遠回りを強いられているからです。その方は足の痛みをこらえながら必死に法廷に向かいました。裁判中に刃物を持ち込んだという例があり、こうしたセキュリティーチェックは必要なのかもしれませんが、利用者の身体に苦痛をもたらされるようなことがあっていいとはいえないと思います。今後も裁判は続き、傍聴する方も気を付けなければいけません。効率だけを考えるのではなく、もっと利用者の身になったセキュリティーチェックはできないものでしょうか。

 

 

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2018年12月 7日 (金)

韓国の元徴用工裁判、大法院判決を受けて広島で記者会見

 先月来から韓国の最高裁にあたる大法院で元徴用工裁判の判決が次々と出され、日本企業に賠償命令が出ています。去る11月29日、広島市内で元三菱重工徴用工の日本での裁判で弁護を務めた弁護団と支援者が記者会見を行いました。韓国でこの日、元三菱重工徴用工裁判の判決が下され、それを受けての会見となりました。

 

 会見を行った在間弁護士は「このたびの原告6人の元徴用工のうち5人は広島で裁判を行った原告である。韓国での訴状は広島で起こした裁判の訴状と同様の内容だ。被告は日本政府ではなく企業である。広島では敗訴したが、韓国でも提訴できるのではないかと、日本での闘いを引き継いだ形での提訴だった」と韓国で勝訴するまでの経緯を説明しました。在間弁護士は個人の請求権が消滅することはないことを強調し、韓国の大法院での判決を日本政府は冷静に受け止めることを促しました。さらに当時の日韓併合が合法か否かという日韓の考え方の違いがあることも述べました。

 

 このたびの韓国での裁判の被告は日本政府ではありません。元三菱重工の徴用工と企業での間の裁判です。しかし日本国内の受け止め方をみると日本政府が敗訴し賠償しなければいけないという判決になっているかのような言論が目立ちます。さらにひどいのはお金欲しさに元徴用工が裁判を起こしているという言葉まで出ていることです。なぜ被害にあった方たちが責められなければいけないのでしょうか。そもそもなぜ元徴用工たちが裁判を起こしたのか。まずこの部分から考えなければいけないと思います。

  

元徴用工たちは韓国から広島に強制的に徴用され働かされて被爆しました。賃金も未払いのまま敗戦後放置され、死ぬような思いで自ら帰国しました。その後も賃金は未払いのまま補償も受けられず、被爆者であるにも関わらず長い間、被爆者としての援護も受けられないままでした。そのためやむをえず裁判を起こしたのです。裁判は救いを求めるための手段でした。被害者が救いを求めることの何がいけないのでしょうか。被告となった企業である三菱重工側はこれまで解決の努力をしてきませんでした。70年以上という歳月の中、徴用された方の多くが何も言えないまま死を迎えたのです。

 

韓国政府も日韓協定に伴う戦争被害者への支払いをきちんと行って来なかった責任があると思います。そして日本政府は日本の国民や韓国の方たちにきちんと説明をしてきたのでしょうか。また日本政府は裁判に敗訴した企業に賠償金の支払いに応じることはないという説明会を開いたという報道がありました。どちらも被害者をないがしろにしているようにみえます。このような状況で日韓両方の国から見捨てられてきたという思いが被害者の方たちに生じるのは当然だと思いますし、救いを求めるのも無理のない話だと思います。日韓両政府は何より被害者である徴用工の方たちことを考えるべきです。被害者は韓国国民ですが、元日本国民でもあります。両方の国のために尽くしてきた方たちなのです。自戒をこめてですが、自分が正しいと思う正義が相手の正義と同じものなのか、日韓両国で見つめ合うことが必要なのではないでしょうか。

 

 119日に中国新聞に掲載された在間弁護士の「識者評論」の一部をご紹介します。

 

 「日本政府が自ら引き起こした戦争の責任を真摯に認め、韓国の被害者たちが受けた被害に対する賠償であると真に受け止めることができているのなら、その人たちが個人の権利を振りかざし訴訟を起こすことは、そもそもないだろう。」そして次のように締めくくっています。「日本側に最も欠けているのは、長年の植民地支配に苦しんだ人たちの痛みを理解しようとする姿勢だと思う。」。

 

 

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2018年11月29日 (木)

戦後、韓国で生き延びた日本人の原爆孤児・友田典弘さん

9歳で原爆孤児となり、その後すぐ朝鮮半島に渡った友田典弘さんの話が1125日、広島市内でありました。友田さんは広島の歴史をみてまわる会主催の「被爆・戦争体験を聞く会」で証言。被爆時や朝鮮半島での生活、日本に再び戻ってくるまでを語り、被爆した場所も訪れました。

小学校4年生の時、友田さんは爆心地500メートル以内の袋町小学校で被爆しました。被爆で家族を亡くし孤児となった友田さんを不憫に思い救ってくれたのが、自宅の2階に下宿していた韓国人の男性・金さんでした。終戦の翌月に金さんと友田さんは渡韓し、ソウルに住むことになりました。当初、自宅に連れて帰ってくれた金さんでしたが、金さんが結婚したあとは友田さんと一緒に暮らすことができなくなりました。友田さんは言葉も分からない外国で再び一人ぼっちになり路上生活を送ることになってしまいました。その後、朝鮮戦争が勃発し逃げまどう日々を送りました。そして偶然の出会いからパン職人の道に進みました。生まれ育った日本に帰りたかった友田さんが再び故郷・広島の地を踏んだのが24歳の時でした。

「韓国語は2年も経ったらぺらぺらに話せるようになった。朝鮮戦争の時には銃弾が撃ち込まれる様子を目撃した」と淡々と語りますが、年端もいかない子供が言葉も文化も違う国で一人で生き、そうした中で戦争という悲劇に見舞われる。どれほど苦しくて寂しくて悲しくて辛かったことか。その苦難は想像するだけで胸が苦しくなります。2時間ばかり話されたのですが、友田さんが1度だけ目頭を押さえた場面がありました。それは韓国で友田さんを助けてくれた韓国人女性・梁さんのことを話そうとした時でした。梁さんは日本語が話せ、友田さんが日本へ帰りたいという願いを叶えてくれた方でした。日本語がうまく書けない友田さんに代わって日本の警察や学校などに帰国を希望する手紙を出してくれたのです。梁さんの手紙のお蔭で友田さんは再び日本に戻ってくることができました。

壮絶なご苦労があったであろうはずなのに、ご経験を淡々と話される友田さんの姿に感服しました。同時に戦時中の日本人と朝鮮半島の方との温かい関係性を知ることができ嬉しくなりました。日本人の子供を韓国に連れていくことはとても勇気のいることだったと思いますが、友田さん一家に対して思いがあったからこそ金さんは友田さんを引き取ったのだと思います。韓国の方の情の深さもあらためて感じました。

ハンチング帽を被り、おしゃれなジャンパーに身を包んだ友田さんは82歳とは思えないほどお若くみえます。これからも機会があればご自身の経験を話したいと言われていました。戦時中、朝鮮半島の方と日本人が仲良く暮らしていた状況もあったのだということを、もっと多くの方に知っていただきたいと思います。

 

 

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