在韓被爆者・被爆者

在韓被爆者や在外被爆者、被爆者、被爆二世について

2018年12月 7日 (金)

韓国の元徴用工裁判、大法院判決を受けて広島で記者会見

 先月来から韓国の最高裁にあたる大法院で元徴用工裁判の判決が次々と出され、日本企業に賠償命令が出ています。去る11月29日、広島市内で元三菱重工徴用工の日本での裁判で弁護を務めた弁護団と支援者が記者会見を行いました。韓国でこの日、元三菱重工徴用工裁判の判決が下され、それを受けての会見となりました。

 

 会見を行った在間弁護士は「このたびの原告6人の元徴用工のうち5人は広島で裁判を行った原告である。韓国での訴状は広島で起こした裁判の訴状と同様の内容だ。被告は日本政府ではなく企業である。広島では敗訴したが、韓国でも提訴できるのではないかと、日本での闘いを引き継いだ形での提訴だった」と韓国で勝訴するまでの経緯を説明しました。在間弁護士は個人の請求権が消滅することはないことを強調し、韓国の大法院での判決を日本政府は冷静に受け止めることを促しました。さらに当時の日韓併合が合法か否かという日韓の考え方の違いがあることも述べました。

 

 このたびの韓国での裁判の被告は日本政府ではありません。元三菱重工の徴用工と企業での間の裁判です。しかし日本国内の受け止め方をみると日本政府が敗訴し賠償しなければいけないという判決になっているかのような言論が目立ちます。さらにひどいのはお金欲しさに元徴用工が裁判を起こしているという言葉まで出ていることです。なぜ被害にあった方たちが責められなければいけないのでしょうか。そもそもなぜ元徴用工たちが裁判を起こしたのか。まずこの部分から考えなければいけないと思います。

  

元徴用工たちは韓国から広島に強制的に徴用され働かされて被爆しました。賃金も未払いのまま敗戦後放置され、死ぬような思いで自ら帰国しました。その後も賃金は未払いのまま補償も受けられず、被爆者であるにも関わらず長い間、被爆者としての援護も受けられないままでした。そのためやむをえず裁判を起こしたのです。裁判は救いを求めるための手段でした。被害者が救いを求めることの何がいけないのでしょうか。被告となった企業である三菱重工側はこれまで解決の努力をしてきませんでした。70年以上という歳月の中、徴用された方の多くが何も言えないまま死を迎えたのです。

 

韓国政府も日韓協定に伴う戦争被害者への支払いをきちんと行って来なかった責任があると思います。そして日本政府は日本の国民や韓国の方たちにきちんと説明をしてきたのでしょうか。また日本政府は裁判に敗訴した企業に賠償金の支払いに応じることはないという説明会を開いたという報道がありました。どちらも被害者をないがしろにしているようにみえます。このような状況で日韓両方の国から見捨てられてきたという思いが被害者の方たちに生じるのは当然だと思いますし、救いを求めるのも無理のない話だと思います。日韓両政府は何より被害者である徴用工の方たちことを考えるべきです。被害者は韓国国民ですが、元日本国民でもあります。両方の国のために尽くしてきた方たちなのです。自戒をこめてですが、自分が正しいと思う正義が相手の正義と同じものなのか、日韓両国で見つめ合うことが必要なのではないでしょうか。

 

 119日に中国新聞に掲載された在間弁護士の「識者評論」の一部をご紹介します。

 

 「日本政府が自ら引き起こした戦争の責任を真摯に認め、韓国の被害者たちが受けた被害に対する賠償であると真に受け止めることができているのなら、その人たちが個人の権利を振りかざし訴訟を起こすことは、そもそもないだろう。」そして次のように締めくくっています。「日本側に最も欠けているのは、長年の植民地支配に苦しんだ人たちの痛みを理解しようとする姿勢だと思う。」。

 

 

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2018年11月29日 (木)

戦後、韓国で生き延びた日本人の原爆孤児・友田典弘さん

9歳で原爆孤児となり、その後すぐ朝鮮半島に渡った友田典弘さんの話が1125日、広島市内でありました。友田さんは広島の歴史をみてまわる会主催の「被爆・戦争体験を聞く会」で証言。被爆時や朝鮮半島での生活、日本に再び戻ってくるまでを語り、被爆した場所も訪れました。

小学校4年生の時、友田さんは爆心地500メートル以内の袋町小学校で被爆しました。被爆で家族を亡くし孤児となった友田さんを不憫に思い救ってくれたのが、自宅の2階に下宿していた韓国人の男性・金さんでした。終戦の翌月に金さんと友田さんは渡韓し、ソウルに住むことになりました。当初、自宅に連れて帰ってくれた金さんでしたが、金さんが結婚したあとは友田さんと一緒に暮らすことができなくなりました。友田さんは言葉も分からない外国で再び一人ぼっちになり路上生活を送ることになってしまいました。その後、朝鮮戦争が勃発し逃げまどう日々を送りました。そして偶然の出会いからパン職人の道に進みました。生まれ育った日本に帰りたかった友田さんが再び故郷・広島の地を踏んだのが24歳の時でした。

「韓国語は2年も経ったらぺらぺらに話せるようになった。朝鮮戦争の時には銃弾が撃ち込まれる様子を目撃した」と淡々と語りますが、年端もいかない子供が言葉も文化も違う国で一人で生き、そうした中で戦争という悲劇に見舞われる。どれほど苦しくて寂しくて悲しくて辛かったことか。その苦難は想像するだけで胸が苦しくなります。2時間ばかり話されたのですが、友田さんが1度だけ目頭を押さえた場面がありました。それは韓国で友田さんを助けてくれた韓国人女性・梁さんのことを話そうとした時でした。梁さんは日本語が話せ、友田さんが日本へ帰りたいという願いを叶えてくれた方でした。日本語がうまく書けない友田さんに代わって日本の警察や学校などに帰国を希望する手紙を出してくれたのです。梁さんの手紙のお蔭で友田さんは再び日本に戻ってくることができました。

壮絶なご苦労があったであろうはずなのに、ご経験を淡々と話される友田さんの姿に感服しました。同時に戦時中の日本人と朝鮮半島の方との温かい関係性を知ることができ嬉しくなりました。日本人の子供を韓国に連れていくことはとても勇気のいることだったと思いますが、友田さん一家に対して思いがあったからこそ金さんは友田さんを引き取ったのだと思います。韓国の方の情の深さもあらためて感じました。

ハンチング帽を被り、おしゃれなジャンパーに身を包んだ友田さんは82歳とは思えないほどお若くみえます。これからも機会があればご自身の経験を話したいと言われていました。戦時中、朝鮮半島の方と日本人が仲良く暮らしていた状況もあったのだということを、もっと多くの方に知っていただきたいと思います。

 

 

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2018年11月17日 (土)

防弾少年団(BTS)原爆Tシャツ?解放Tシャツ?BTS騒動で思うこととお願い。

昨日16日の韓国のネット「연합뉴스」に、K―POPグループ・防弾少年団の所属事務所が陜川の韓国原爆被害者協会を尋ね、正式に謝罪したという記事が出ていました。

 

ことの発端は過去に防弾少年団のメンバーが原爆のキノコ雲と日本の植民地支配から解放されて喜ぶ人々の写真がプリントされたTシャツを着ていたことから、日本のテレビ番組への出演が中止になったことでした。着ていたTシャツは「原爆Tシャツ」だという意見もあれば「解放Tシャツ」だという意見もあり、日韓のSNSで物議を醸しました。加えて同グループがナチス親衛隊をイメージする衣装などの着用が過去にあることがわかり、ユダヤ系の人権団体から抗議を受けるなど問題が広がりました。世界的に人気のあるグループだけに、歴史認識問題としてグループのファンやネトウヨ、識者など様々な人々の関心を集め大きな議論になっていました。

 

その後、グループの所属会社がネットで被爆者やユダヤ人の被害者などに公式に状況説明と謝罪の文章を掲載。日本の被団協にも所属事務所の代表が直接訪れ説明と謝罪を行い、被団協側も受け入れたというニュースが流れていました。

 

最近、広島の平和記念公園で外国人による落書きや原爆の不適切な内容のインスタ掲載といったニュースが相次ぎ、被爆地としてやるせない思いが募っていただけに、今回の防弾少年団の一件はとても残念でした。広島の中国新聞では15日付けで「原爆惨禍 希薄な意識 歴史観の溝 指摘も」という見出しの大きな記事で、防弾少年団だけではなく、外国人が起こした原爆に関する騒動をとりあげ背景を探っていました。中国新聞の記事では「原爆犠牲者や戦争の苦しみを共有しようという意識がうすれているのでは」と指摘する識者の言葉が掲載されていました。さらに「外国人だから、という問題にしてはならない」と日本人にも意識を促していました。

 

一方、韓国の「연합뉴스」の記事はなかなか辛辣な内容でした。陜川れたグループの所属事務所関係者して韓国原爆被害者協会側事務所側の謝罪に理解、日本して"방탄소년단 멤버가 입은 티셔츠의 원폭 투하 그림을 문제 삼아 일본이 전범 가해자로서 사죄는커녕 세계 유일의  피해국인 것처럼 코스프레를 한다". 防弾少年団メンバーが着たTシャツの原爆投下の図を問題にして、日本が戦犯の加害者として謝罪どころか世界唯一の核被害国のようにコスプレをする"」という批判を行いました。そして"방탄소년단 소속사의 사과를 혐한, 반한 여론을 조장하는  이용해서도   ""이라고 말하기도 했다.(防弾少年団所属会社謝罪嫌韓、反韓世論助長するのに利用してもならない)」という言葉えました

 

この日韓の差はどこから出てくるのか。日本人の多くは植民地支配を正当化しようとか、原爆での被害者意識を声高に言っているわけではないと思います。それよりご存命の被爆者の方々の辛い思いを分かってほしいということなのだと思います。70年以上たった今でも光が怖いとか、一人でいるのが怖いとか、あの日を思い出したくないという被爆者が大勢いらっしゃるのです。原爆被害は今も継続している現実なのです。

 

一方、韓国ではやはりよく言われているように、原爆投下と日本の敗戦そして植民地からの解放という流れが原爆に対してのイメージであり、原爆の非人道性や被害者への共感など、被害に思いを馳せにくいことが今回の問題を生み出しているのではないかと思います。在韓被爆者は韓国国内でも長い間、表に出にくい存在でした。韓国原爆被害者協会の言葉は日本と韓国の両方で自身が受けてきた悲しみや苦しみがあり、もし植民地になっていなければ広島や長崎で被爆することもなかったという思いがあります。さらに在韓被爆者には戦後50年以上経ってから、ようやく手当関連が受けられるようになった経緯があります。原爆二法、被爆者援護法ができた時点で在外被爆者にも現地で支援が受けられていたら、生活や人生は大きく変わっていたと思います。もし日本政府が在外にいる被爆者のことを考えていたら、ここまで遅れた援護にはならなかったでしょう。さらに毎年8月6日、9日に開催される平和祈念式典などで日本は長い間「日本は唯一の被爆国」と言う言葉を使っていました。韓国原爆被害者協会から「世界唯一の核被害国のようにコスプレする」という厳しい言葉が出るのも仕方がないことかもしれません。

 

韓国原爆被害者協会は「"원폭으로 광복이 됐다는 생각보다는 원폭의 반인류성에 대해 우리 모두 생각해봤으면 한다"(原爆で解放になったと考えるよりは原爆の反人類性に対して私たち皆で考えてみよう)」と、このような言葉をつづけました。

 

原爆投下は市街地で、たった1発の爆弾で数十万人を殺傷した大虐殺行為であったこと。被害者の大多数は子供や女性や高齢者など非戦闘員であったこと。原爆の後障害に苦しむ人々は今現在も大勢おり、その方たちは生涯苦しまなければいけないこと。こうしたことを日本人である私も広島に来るまで実感していませんでした。ですから外国の若い方々ならなおさら知る機会は少ないと思います。私はあのキノコ雲の写真は嫌いです。見るに堪えません。なぜならキノコ雲の下には地獄があり、私が出会った方たちが苦しんでいる姿があるからです。そのことを理解していたら、安易にキノコ雲の写真は使えないと思います。韓国にも大勢の被爆者がいるのですから。どうか防弾少年団の皆さん、ファンの皆さん、被爆者に会って被爆者を理解して、核兵器廃絶を世界に広めてください。あなたたちの声は世界中の若者に届きます。平和な世界を築けます。

 

韓国の記事でも最後に「国内では'原爆Tシャツ'ではなく'光復節Tシャツ'と呼ぶのは問題がないという意見と、原爆を光復(解放)の象徴で使うのは核兵器の非倫理性に鈍感になることにつながるという意見が出てきている」ということを書いていました。残念な機会ではあったけれど、在韓被爆者がおっしゃるとおり、韓国の若者も日本の若者も、世界中の人々が今一度、原爆について、戦争被害について考えてみてはどうかと思います。今回の騒動は失敗ではなく、世界中が被爆者を理解する一歩になればいいのです。

 

 

 

 

 

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2018年10月17日 (水)

被爆2世裁判が広島地裁で行われています

 被爆2世裁判の口頭弁論が今月9日に広島地裁で行われました。原告と被告が互いの書面を出し合うものでした。原告である2世も大勢出席し、支援者も数多く参加しました。裁判終了後の報告会では裁判の争点などが話し合われました。

 今回の裁判で原告は、原爆の放射線により2世への健康被害が生じるため援護法の対象としないことに対して立法不作為であると主張しているのではなく、援護法にある3号被爆者に相当するのに対象としていないことが問題であると主張しています。

3号被爆者とは「原子爆弾が投下された際又はその後において、身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」人たちで、救護した人などが被爆者健康手帳を交付されています。弁護団は被爆2世もこの3号被爆者であると主張しているのです。

国側は身体への影響についての科学的根拠を被告である2世自身が立証せよと言ってきています。一方、2世の弁護団は国側が遺伝的影響を否定する根拠を示さなければならないと主張しました。話がかみ合っていないのです。

原告の弁護団は2世自身が科学的根拠を示すのではなく、国側は2世が被害を受けないという根拠を示すべきであると主張しました。法律を作り活用する側、この場合は被告ですが、国が法律の基準を示すのは当たり前のことです。遺伝的影響を否定する根拠を示せという弁護団の反論は真っ当なものです。

 被爆者援護法は社会保障としての役割があります。被爆者が原爆後障害に苦しみ、生活が困窮していたために作られました。被爆二世は被爆者の親の苦しみのもとで生きてきました。2世自身も自分の健康不安などを抱え、40年ほど前から国に援護を求めてきたのですが、援護法の対象から外され続けてきたのです。とうとう2世は2018年に裁判という形を取らざるをえませんでした。新しく法律をつくれと言っているわけではなく、現行の法律の枠組みに入るだろうと言っているのです。何度も書きますが、被爆者援護法は社会保障です。誰もが持つ権利なのです。裁判はまだまだ継続します。これからも注視していきます。

 

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2018年9月18日 (火)

北朝鮮の被爆者2018

 朝鮮半島から渡日し被爆した方々は韓国だけにいるわけではありません。北朝鮮にも被爆者はいます。日本の被爆者援護法では国籍や居住地に関係なく、被爆者と認められれば被爆者健康手帳が交付され、日本政府からの支援が受けられます。もちろん北朝鮮にいる被爆者も例外ではありません。しかし北朝鮮の被爆者は日本との国交がないということが大きな理由で、朝鮮被爆者協会によると被爆者健康手帳を所持している方はたったの1名です。北朝鮮でも被爆者は年々少なくなってきており、本来であれば受けられる支援を受けられないという状況です。 

今年7月、原水爆禁止日本国民会議が北朝鮮に行き、朝鮮被爆者協会と交流しました。先月勉強会があり、北朝鮮に行かれた元衆議院議員で原水爆禁止広島県協議会代表委員・金子哲夫さんからお話をお聞きしました。今回は北朝鮮の被爆者の現況の最新のお話です。

 

  北朝鮮の被爆者団体である「朝鮮被爆者協会」では本年1月から被爆者の再調査を始めました。2008年の調査で生存が確認された382人を対象に追跡調査を行ったのです。本年5月までに調査したのは111人で、その中で生存者は60人、死亡者51人だったようです。10年の間に半数近くが死亡というのは非常に多いような気がします。 

金子哲夫さんは「日本の被爆者の死亡率は38%くらい。しかし在朝被爆者は46%だ。8%の差は大きいのではないか。これは中間報告で5月までの数字。住所はそのままだが子供の所にいるといったように調査できない場合があるし、死んでいた場合、答えないケースもあるのではないかと考える。今後すべての被爆者に対して調査するようだが、生存率はより低くなっても高くなることはないだろう」と話されていました。 

原爆後障害のガンや白血病といった病気に罹る方も少なくない数いるようです。生活環境や医療体制など、北朝鮮は日本とは違う事情がありますが、日本の支援を受けていければ助かる命もあったのではないかと思います。 

金子哲夫さんは2世問題にも触れ、「日本は人道的な立場から支援することはできないものだろうか。生存被爆者とその子孫に対する医療支援は一刻を争う焦眉の問題」と日本政府の早急な対応を求めていました。 

在韓被爆者裁判で勝訴した郭貴勲さんの言葉「被爆者はどこにいても被爆者」は北朝鮮の被爆者にも当然、当てはまります。日本政府の在朝被爆者への支援が一日も早く行われることを願ってやみません。

 

 

 

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2018年8月17日 (金)

『狂夏の烙印~在韓被爆者になった日から』上映ありがとうございました

 この度は東京、広島、札幌と『狂夏の烙印~在韓被爆者になった日から』を上映してくださり、誠にありがとうございました。

 自身の86関係の撮影があり会場に行くことができたのは広島だけでしたが、後日各地での上映の様子をお聞きしました。各会場とも熱心な話し合いが行われたようで、在韓被爆者に関心を持っておられる方々が多くいらっしゃることに感激しました。各地から出された質問の中から、きちんとお答えできなかったり、皆さんに知っていただければと思うことをいくつかお話ししたいと思います。

 

1・在韓被爆者の存在を知らなかった

 どこの上映会場でも聞くのがこの言葉です。恥ずかしながら私も2000年に広島に来るまでは知りませんでした。軍都廣島を知り初めて在韓被爆者の存在を知ったのです。在韓被爆者の存在を日本社会にいち早く報道した平岡敬・元広島市長ですら「被爆者の報道をし朝鮮人被爆者の存在を本などで読んでいたにも関わらず、在韓被爆者のことは考えてこなかった」旨を8月7日の講演でおしゃっておられました。報道がなかったわけではないのです。私自身は朝鮮半島の方々への無関心がそうさせていたと感じています。被爆者は日本人だけという被害者意識が朝鮮人被爆者や植民地の台湾、その他の外国人被爆者の存在に対して、見てみぬふりをしていたのだと思っています。何度も書いていますが、在韓被爆者の歴史は日本の歴史の1頁でもあります。在韓被爆者の話は私たちが知らない日本の姿を見せてくれるので、私はもっともっと知りたくなるのです。

 

1・在日コリアンへの被爆者援護はどうなっているのか

この質問は在日コリアンの被爆者が、在韓被爆者と同じ立場だと思われるための疑問だと思います。結論からいうと被爆者援護法に国籍条項はないため、どこの国籍でも日本政府が発行する被爆者健康手帳が交付されます。例えば在日コリアンに限って言えば、韓国籍でも朝鮮籍(国籍ではありませんが)でも被爆者だと厚労省が認めれば、被爆者健康手帳が交付され、日本政府からの支援を受けられます。郭貴勲さんが在韓被爆者裁判で勝訴する2002年から在外被爆者でも日本にいる被爆者と同じような援護を徐々に受けられるようになりましたが、在日コリアンの被爆者は日本在住のため最初から援護が受けられています。

 

最後になりましたが、私イトウソノミがどのような活動をしているのかという質問をくださった学生さんがおられました。せっかくの質問に丁寧に答えることができず申し訳ありませんでした。私は2002年から広島と朝鮮半島のつながりをテーマに映像を自主制作で作っています。記録のためです。なぜなら文字としての記録はあるのですが、映像記録はそう多くはなかったからです。前で朝鮮半島の歴史は日本の歴史だと書きました。植民地支配されると具体的に庶民にどのようなことが起こるのか、私は今一つ分かりませんでした。日本に渡ってきた朝鮮半島の人々の生活記録は、個人の身に何がふりかかるのかを具体的に教えてくれます。植民地支配をしてきた日本が何をして、何をしてこなかったを知る大きな手掛かりになります。そして日本人が考えなければいけないことを具体的に提示してくれます。私はそのための記録として映像製作をしています。

 

 

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2018年7月26日 (木)

『狂夏の烙印』が各地で上映されます

今年はありがたいことに広島、東京、札幌で

『狂夏の烙印~在韓被爆者になった日から』が上映されます。

各地の行事の内容と上映日時をご紹介します。

様々な視点から核兵器・平和について学べます。

お近くにお寄りの際は是非、お越しください。

 

●東京

8月5日(日) 10:00~12:30

     場所:立川市柴崎学習館(東京都立川市柴崎町2-15-8

     主催:立川市生涯学習推進センター柴崎学習館

     入場料:無料

     問い合わせ先::立川市柴崎学習館042(524)2773

 

立川市生涯学習推進センター柴崎学習館が主催する「平和人権講座」の中で上映してくださいます。この講座では原爆写真パネル展や原爆をテーマにした映画の上映会が行われます。被爆証言や、在韓被爆者を長年撮影されてきた鈴木賢士監督のお話も行われます。

 

8 1 () ①午前 10 時~12 5 分『黒い雨(1989 )』井伏鱒二作/今村昌平監督

8 3 () ②午前 10 時~12 時『千羽づる(1989 )』神山征二郎監督 午後 2 時~4 時『ヒロシマの記憶~幻の原爆フィルムで歩く広島~』立川原爆被害者の会熊田育郎さん、くにたち原爆体験伝承者のお話

8 5 日(日) ④午前 10 時~12 30 分『狂夏の烙印(2011 )』イトウソノミ監督 『韓国のヒロシマ(2015 )』鈴木賢士監督 鈴木監督のお話

8 6 () ⑤午前 10 時~12 時『かよこ桜の咲く日(1985 )』体験者の佐藤信子さ んのお話 ⑥午後 2 時~3 30 分『ヒロシマナガサキ WHITE LIGHT BLACK RAIN (2007 )』スティーブン.オカザキ監督

8 7 () ⑦午前 11 時~12 時『The A-bomb ヒロシマで何が起こったか』 13 30 分~16 30 分『広島長崎における原子爆弾の影響(完全版)

8 8 ()新藤兼人監督 DAY ⑨午前 10 時~12 時『さくら隊散る(1988 ) ⑩午後 1 30 分~3 時『原爆の子(1952 )

 

 

 

●広島

8月7日(火) 14:40~16:20

     場所:広島市留学生会館(広島市南区西荒神1-1) 

     主催:ジャーナリストをめざす日韓学生フォーラム実行委員会

     入場料:無料

 

ジャーナリストを目指す大学生のためのフォーラムで、韓国や日本各地から集まります。

8月7日は一般も参加できます。平岡敬氏や在日韓国人被爆者・李鐘根氏のお話が聞ける貴重な機会です。私もお伺します。お会いできると嬉しいです。

 

・8月7日 10:00~12:00 平岡敬・元広島市長(元中国新聞記者、元中国放送社長)講演

 13:00~14:30  在日韓国人被爆者の体験談を聞く~李鐘根氏

14:40~16:20 ドキュメンタリー『狂夏の烙印』上映

 

 

 

●札幌

8月9日(木) 18:45~20:45

場所・主催:さっぽろ自由学校「遊」

(札幌市中央区南1条西5丁目愛生舘ビル5F501

料金:一般1,500 円 ユース500円

詳細:http://sapporoyu.org/

 

さっぽろ自由学校遊の連続講座「市民がつくる平和ー核兵器禁止条約を力に」の講座内で上映してくださいます。これまで「ナガサキ佐世保基地の現状」「核兵器と原発」札幌にある「原爆資料館ツアー」などが行われました。918日は「国際的な情勢と私たちのアクション」と題し、核兵器の国際状況を学習し、自分たちは何ができるかを考えます。

 

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2018年5月16日 (水)

世界的な研究にー放影研が被爆者試料活用か?

 5月12日付の中国新聞によると放射線影響研究所(放影研)は今まで提供された被爆者の血液などを遺伝子レベルで研究するため活用を検討しているということです。これはどういうことなのでしょうか。

 記事によると放影研は被爆者の健康影響を調べるため約2万4000人を対象に隔年で健診を実施しており、その際に提供された血清や尿などを保管しているということです。この血液や尿などが試料です。この度、放影研で保管しているこの膨大な試料を使い、がんなどの発症や予防などについて遺伝子レベルの研究をしたいということのようです。研究の際は放影研以外の機関も加わるということですから、大規模かつ画期的な研究内容になりそうです。

 5月11日は外部諮問委員会が開かれ、活用の是非などを議論したようです。被爆者を含めた委員会は非公開で行われました。記事によると委員会では「「おおむね、貴重な試料を有効に使ってもらいたいとの意見だった」と説明。」する一方、個人情報や遺伝子レベルの研究の倫理的な課題も上がっていたようです。今後、放影研は健診時に具体的な研究内容を説明し、被爆者の同意を得ていく想定をし、本年度内に議論を詰めていくと記事には書かれていました。

 そもそも放影研のように何十年に渡って大規模に血液などを収集保管している機関は世界的にも珍しいのではないかと思います。同記事でも「世界的に類例がない貴重な試料」と書かれています。研究者にとってはこの膨大にある貴重な試料を生かして研究をしたいと思うのは当然なのかもしれません。

専門家ではないため詳しくはわかりませんが、遺伝子レベルでの研究は現在、様々な分野に広がりを見せているようです。例えばヒトゲノム解析などは病気の予防や診断、薬品の開発や治療に結びつくものとして期待されています。しかし一方で課題もあります。ヒトゲノム解析は究極の個人情報で、この情報によって社会的な影響を与える可能性がでてくるためです。遺伝子検査の結果によって保険の加入ができなかったり、就職や結婚差別、出生前診断などに影響がでることが考えられます。データの悪用や優生思想など倫理的に問題の多い状況が生まれる可能性も否定できません。今の時点ではどんな悪影響がでてくるのか未知の状況と言っても過言ではないと思います。

 被爆者の試料であろうがなかろうが、ヒトゲノム解析研究は人類にとって必要な研究なのかもしれません。提供者の同意は当然のこと、個人情報の徹底管理、社会的倫理的に正しい研究内容かどうかの検証といったことが重要かつ必然です。究極の個人情報をどう守りながら生かしていくのか、課題はまだまだ山積みだと感じました。

同記事は放影研の理事長の言葉で「「被爆者や市民の見方を踏まえて利用したい」としている。」と結ばれていました。そうであれば外部諮問委員会もせめてマスコミなどに公開し開かれた研究内容にしていくことで、一般市民の感覚として理解可能で、被爆者や人類にとって有意義な研究内容になるのではないかと思います。閉ざされた研究では試料を提供した被爆者の方たちも不安になるのではないかと感じます。

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2018年5月10日 (木)

NPT(核不拡散条約)再検討会議準備委員会関連行事に被爆二世が参加

 今年は被爆二世にとって飛躍する年となりそうです。先週5月2日、全国被爆二世団体連絡協議会は、スイスのジュネーブで行われているNPT(核不拡散条約)再検討会議準備委員会のサイドイベントに参加しました。そこで同連絡協議会の代表4人は日本政府による被爆二世の被爆者援護法の適用を求めました。新聞記事によるとサイドイベントでは二世自身の体験を証言し、核と人類は共存できないことを訴えたようです。残念ながら海外の反応は書かれていませんでしたが、被爆二世も核の被害者であることは伝わったのではないかと思います。

 実は同連絡協議会はジュネーブ行きに先駆けて、さる4月に長崎と広島で集会を開き、ジュネーブ派遣報告と裁判の現況報告などを行っていました。被爆二世の思いを世界に伝える前に、地元の皆さんに被爆二世の活動について知ってもらうためのものでした。広島では50人ほどが集まり、熱心に話を聞いていました。

被爆二世とは核の被害者であり、戦争被害者であることを意味するとどれだけの方が認識しているでしょうか。私自身、出会うまで被爆二世の存在について考えてきませんでした。同連絡協議会は何十年も前から自身の苦しみを世の中に訴えてきました。現状では被爆二世がどういう状態なのか、人数の把握さえできていません。日本政府が援護対象にしないためにその存在が見えにくくなっているとしたらおかしな話です。被爆二世は親が被爆者であるなら国籍も住んでいる場所も関係なく被爆二世なのです。雑駁な言い方をすれば被爆者健康手帳のある方を対象に調査すればいいことです。日本政府がまず実態を把握し二世がどのような状況かを確認してから、補償なり援護なりの施策を考えればいいことだと思います。このたびのNPT(核不拡散条約)再検討会議準備委員会のサイドイベントで日本からの被爆二世の訴えを初めて聞いたという方も多かったのではないかと思います。世界が被爆二世の存在を認識し、何を訴えているのかを知った時、海外の人々はどう考えるのでしょうか。被爆二世はすでに最高齢は72歳になっています。待ったなしの状況です。

 

 

 

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2018年4月10日 (火)

朝鮮半島の被爆者の数について考えるシンポジウムが開催されました

3月3日、広島市内で韓国の原爆被害者を救援する市民の会(以下、市民の会)主催の講演・シンポジウム「朝鮮半島出身被爆死者数は「数千人」なのかー未だ明らかでないその実態を考えるー」がありました。参加者は80人近くになり広島市民の関心の高さがうかがえました。今回はこの集会をご紹介します。

まず韓国の許光茂さんから「広島・長崎朝鮮人の原爆被害について」というタイトルで話がありました。許さんは元対日抗争期強制動員被害調査及び国外強制動員犠牲者等支援委員会委員でした。この機関は韓国政府の組織で、広島を始め日本に調査にきていました。今回はその調査結果から朝鮮人被爆者について話されました。

許さんは「長崎の徴用工は爆心地から離れていたので直爆ではなかったようだが、後片付けの救援に行ったという証言がある。端島、高島には大勢が連れて行かれた。8月9日は端島などでも爆風や熱い風を感じたという証言がある。長崎の方は沢山の朝鮮人が復旧に回された。一方、広島の徴用工は致命的な負傷を受けたのではないか。日本から出てくる資料の数が合わないのだ。現在、生存者は90歳を超えているので証言をとるのは難しく、自分が会った方々は皆亡くなった」と話し、時間の経過に無念さを滲ませていました。そして戦時中は日本全国どこにでも朝鮮人がいない場所はないため、資料の洗い直しの必要性を訴えていました。

パネルディスカッション「朝鮮半島出身被爆死者数は「数千人」なのか―未だ明らかでないその実態を考えるー」では、民団、総連、市民の会から各団体の見解が話されました。戦後73年目を迎え、それぞれの被爆者団体は次世代の方々が活動されており、被爆者の方々の証言を聞くことが難しい状況です。「許さんの話では陜川の話が出てこなかった。陜川は韓国のヒロシマと呼ばれているほど被爆者が多い場所なのに陜川出身者の姿がどこにもないのだ。戦争が佳境に入った時、土木工事で広島に沢山きていた。私たちのアボジ、オモニ、兄弟はどこに行ったのか」「当時の状況をさかのぼって考えると広島の朝鮮人の数は1942年以降、急激に増えている。終戦まで広島に労働力として連れて来なければいけなかったのではないか。危険なインフラ工事を担ってきた朝鮮人は、実際は公表以上の数字が出てくるのではないか」など、いずれも当時相当数の朝鮮半島の人々が広島におり、被爆を受けたのではないかと推定していました。

今回、確認されたことは日本政府がきちんと朝鮮半島の被爆者の調査をしていないことです。朝鮮半島は当時日本の植民地です。日本の責任として調査の必要性があるのではないでしょうか。時間がかかっても日本政府が調査をし公表することで、植民地にしたことで被爆した朝鮮半島の方々への償いの一つになるのではないかと思います。そしてなにより被爆の実相に一層、近づくことができるのではないかと思います。

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