コロナ禍の86ヒロシマ その②
8月6日はテレビ中継される平和公園だけで慰霊祭が行われているわけではありません。広島市内にある数多くの慰霊碑の前で関係者が集い慰霊祭を行っています。平和公園内にある韓国人原爆犠牲者慰霊碑の前では例年前日に慰霊祭が行われます。今年の韓国人原爆犠牲者慰霊祭も8月5日に開催されました。慰霊祭は1970年に本川橋の西詰に韓国人原爆犠牲者慰霊碑が建立された時から開催され、1999年に平和公園内に移設後も継続して行われてきました。今年で52回目となりました。
慰霊祭は在日本大韓民国民団広島県地方本部による主催のもと粛々と行われ、今年はあらたに13名が加わった2786名の死没者名簿が慰霊碑に奉納されました。コロナ禍の影響で昨年と同じように規模は縮小されましたが、招待客を招き一般も参列できました。報道によると180人ほどが集まったようです。
李英俊団長は追悼の辞で「原爆によって多くの韓国人が犠牲にあったという事実に心の痛みは耐えられません。犠牲者のみなさま、どうか安らかにお眠りください」と哀悼の意を表しました。この言葉は在日コリアンの方々にとって心からの思いです。朝鮮半島出身の被爆者が大勢いる事実は徐々に知られてはきましたが、近年までほとんどの日本人は知らなかったからです。
韓国人原爆犠牲者慰霊碑の建立のきっかけは、朝鮮半島の人々の原爆犠牲者が大勢いるにもかかわらず、韓国人の慰霊碑がないのはおかしいという一人の在日コリアンの男性の思いが発端でした。その男性の息子さんは原爆の犠牲となりましたが、息子さんの名前はある慰霊碑に日本の名前つまり本名ではなく通名で記されていたのです。日本に植民地支配され、日本名の使用を半ば強要され、亡くなってからも本名を名乗れずにいる息子を悲しく思うのは当然のことです。一人の男性の思いを受け、民族を超えて様々な人々が力を結集させ、韓国人原爆犠牲者慰霊碑が建立されました。韓国人原爆犠牲者慰霊碑の中におさめられた本名での被爆者の死没者名簿は韓国人として生きて亡くなった証となっているのです。8月5日に慰霊祭が行われるのは韓国では故人が生きていた日の夜に祭祀(チェサ)が行われることが由来だと言われています。6日が被爆した日なので本来は前日の5日の夜に行うのですが、それができないため午前中に行うことになったようです。
韓国人原爆犠牲者慰霊碑は亀のような形をした台座に龍の彫刻が彫られた螭首という装飾が施されている独特の形をしています。日本ではあまりみない形状に老若男女問わず訪れた人々は立ち寄り慰霊碑を眺め説明板を読みます。そしてその場を去る時、再度、慰霊碑を眺めていきます。碑は何も語りませんが、朝鮮半島の人々に起こった悲劇を人々に伝えているのです。原爆によって多くの韓国人が犠牲にあったという事実を日本人が知ることは、日韓の歴史を知ること、日本人が朝鮮半島の人々に何をしたのかを知ることです。朝鮮半島の人々に被爆の悲劇をもたらしてしまった日本の責任を知ることなのです。
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