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2021年8月26日 (木)

コロナ禍の86ヒロシマ その①

2021年コロナ禍の平和記念式典は昨年同様に入場規制の中で行われました。一般席は設けず招待者のみの参列となりました。式典の前後は公園内へ入ることができませんので式典中は規制外で黙とうを行ったり、スマホで式典の様子などを見ている方々が大勢いました。今年は心なしか去年より規制外にいる方が多いような気がしました。昨年来広できなかった方が来られていたのかもしれません。本来であれば全国各地はもとより世界中から集まるのですから、やはり今年も寂しい86となりました。

平和記念式典は市民代表による市内各地から集められた水の献水、原爆死没者名簿の奉納、広島市長や遺族代表の式辞など従来の流れで進められたようです。しかし今年の松井・広島市長の平和宣言はいつも通りではありませんでした。日本政府への強い要望が込められていたのです。詳細はぜひ広島市のホームページでご覧いただければと思いますが、少し抜粋してご紹介します。

 

平和宣言で松井市長は「被爆後に女の子を生んだ被爆者は、「原爆の恐ろしさが分かってくると、その影響を思い、我が身よりも子どもへの思いがいっぱいで、悩み、心の苦しみへと変わっていく。娘の将来のことを考えると、一層苦しみが増し、夜も眠れない日が続いた。」と語ります。」と生涯続く原爆の影響を訴えました。原爆は過去のことではなく、76年経った現在まで続く苦しみであることを最初に語ったのです。

そしてコロナ禍の世界状況から「今、新型コロナウイルスが世界中に蔓延し、人類への脅威となっており、世界各国は、それを早期に終息させる方向で一致し、対策を講じています。その世界各国が、戦争に勝利するために開発され、人類に凄惨(せいさん)な結末をもたらす脅威となってしまった核兵器を、一致協力して廃絶できないはずはありません。」と核兵器廃絶は現実のこととして可能であることを語りました。

さらに「日本政府には、被爆者の思いを誠実に受け止めて、一刻も早く核兵器禁止条約の締約国となるとともに、これから開催される第1回締約国会議に参加し、各国の信頼回復と核兵器に頼らない安全保障への道筋を描ける環境を生み出すなど、核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかりと果たしていただきたい。」と核兵器禁止条約の締約国となることを日本政府に強く求めたのです。

 

現在未来まで続く被爆の障害、為政者がその気になればできる核廃絶、そして日本政府がすぐしなければいけない核兵器禁止条約の締約国と、宣言の内容は説得力があり力強いものでした。8月6日に被爆地である広島市長が世界に訴える意味は決して小さくありません。一つ希望を言わせてもらえるならば、松井市長ご自身が被爆2世であることを宣言の中に加えていただきたかった。被爆2世の言葉として世界中の人たちはさらに深く感じ取ったのではないかと思います。被爆者の平均年齢は83歳になりました。被爆当時は7歳くらいです。人生のほぼすべての時間、原爆を背負って生きてきました。被爆者が存命していることを、どのような思いで生きてきたのかを私たちは知る必要があると思います。

 

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