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2020年9月11日 (金)

NHK広島放送局「1945年ひろしまタイムライン」のツイート問題で感じたこと

今回のツイッター問題は衝撃と絶望に近い失望を感じました。NHKのしかも広島放送局の企画ということ、ツイッターという媒体であることが大きな原因です。問題のツイートに対してどこが問題だと考えるかについては前ブログでご説明しました。今回はあのツイートを目にして私がどう感じたかを書きます。少し辛口な内容になってしまいますがおつきあいいただければ幸いです。

 

そもそもこの「1945年ひろしまタイムライン」という企画に関して、面白そうというより心配が先にきました。一見、楽しそうな企画ではあるのですが、75年前の人間になってその思いをツイートにあげるということ自体が成り立つのかという疑問がわきました。なぜ日記そのままを使わないのかと思ったのです。言葉使いなども当時のままのほうがリアルで、当時の人や生活をしのぶことができます。今の人の言葉に変換するから親近感も沸くし、理解しやすいということであれば、当時の言葉に説明もしくはカッコ書きで今の言葉を加えればいいのではないかと私は思いました。企画自体は変えなくても、ツイートを増やせばいいだけだと思うのです。

 

これが学生などの平和学習のワークショップならいいと思います。「みんなで当時の人の気持ちになってみましょう」と戦争について日記を通じて疑似体験するという企画は、想像力を膨らませるためにはいい方法だと思います。しかし自分で考えたことを実際にツイッターで発信するというのはかなり慎重に言葉を選ばないと問題が大きくなってしまいます。いったん出された言葉を回収するのは難しいからです。特に負の言葉はあっという間に広がってしまいます。インターネットのSNSのような媒体において人は負の感情に反応し、心を揺さぶるといいます。悪いイメージは人の心に忍びやすいのです。NHKですから考慮してのツイートだとは思いますが、それであればなぜあの内容になったのかやはり私には理解に苦しみます。

 

このツイートをさせるならば、まずこうした内容は現代ではヘイトスピーチに相当する旨の解説を加えることが必要だと思います。そして朝鮮半島から多くの人が来日していた背景や、当時の社会の雰囲気がどういうものだったのかを説明したうえで、ツイートするという段階が必要だと思います。支配し、抑圧していた朝鮮半島の人々に対し、日本人がどんな態度であったのかを日常生活から見ることは非常に大事です。当時の日本社会にあった朝鮮半島の人への日常的な差別意識がよりリアルに伝わったのかもしれないと思います。敗戦した事実を突きつけられた時、植民地支配していた側である日本人はどういう気持ちになるのか。また日常的に抑圧されていた人々がとった行動の意味も理解できるかもしれないのです。その時初めてこのツイートが持つ意義や植民地支配の問題をあぶりだすことになるかもしれないのです。内容が事実ではない場合は完全なデマとなりますから、内容に関してはNHKとして十分な検証・考証などが当然必要です。NHKはドラマなどでも時代考証など行っていますから、たとえ創作ツイートであっても同様のことはすべきだったと思います。

 

「ひろしまタイムライン」は「被爆体験の継承」という企画趣旨ですので、朝鮮半島の被爆者も登場させていただきたかったと思いました。ご存じのように広島では大勢の朝鮮半島出身者が被爆者となりました。シュンさんの友達にも朝鮮半島出身者がいたり、家の近所に朝鮮半島出身者が暮らしていたはずです。しかしシュンさんのツイートでは日常的に朝鮮人は出てきてはいないようです。当時の広島で暮らしているのに朝鮮半島出身者との関わりのない生活は不自然だと思います。このツイートは創作ですので、シュンさんだけではなく一郎さんや、やすこさんのツイートの中でも登場させることができたのではないでしょうか。そうすれば日常生活で朝鮮半島の人たちが日本人と共に暮らしていたことが伝わったのではないかと思います。せっかくの創作なのですから、在日コリアンの人たちとツイートを考えたらよかったのにと思います。そうすればもっと違った内容になったのではないかと思うと残念で仕方ありません。

 

しかし私が失望したのは、このツイートを考えたのが今の人であるということです。いくら日記に基づいた、取材をしたといっても、ツイートの文章を考えるのは“しゅんちゃんの中の人”です。つまり今を生きる人たちの感情です。私はここに戦前から現在に続く在日コリアンに対する差別意識が隠れていると感じました。なぜ615日と8月20日のみ唐突に朝鮮人が出てきたのか、なぜその内容のツイートをしたのか。ツイートを考える人は自分の心の中に踏み込んでいく必要があったのではないかと思います。それは無意識なのかもしれませんが、それであればさらに根は深いと思います。朝鮮半島の人々への差別意識が無意識のうちに形成、継続されているかもしれないからです。ツイートを考えた人を責めるつもりはありませんし、意味もありません。しかしNHK側は、ツイートを考えた人たちになぜこの文章を考えたのかを共に慎重に丁寧に振り返ってみる必要があったと思います。なぜヘイトスピーチに近いような内容になってしまったのか。それを一緒に考えること自体が戦争を振り返る体験だと思います。考えたこと自体を否定すると、根本的な部分が解決しないばかりか、表に出すことをためらい問題がさらに深くなってしまうかもしれません。もしそう考えたのだとしたら、そこも含めての説明や解説をNHKがすることで問題提起に結び付いたかもしれません。そう考えること自体が悪いことではなく、そう考えたあとどうするのかです。なぜそう考えてしまったのかを考えることが大事だと思うのです。

前ブログでも書きましたが「しゅんさんなら、こう考えた」だけで終わっては、体験の継承や平和につながることにならないと思います。被爆者が苦しみながら体験を話すのは現代につなげて考えてほしいからです。当時の経験を知り考えたこと、感じたことを現代につなげてみると、自分が生きている社会が見えてくると思います。そしてどうするか、行動に結びついてくると思います。

今回のツイートがなぜ問題になったのか、このツイートに何が求められているのか、NHKとツイート発信者の中の人と、そしてツイートを見た私たちは、しっかり考えていくことが大事だと思います。

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