« 2020年7月 | トップページ | 2020年9月 »

2020年8月

2020年8月17日 (月)

コロナ禍でもヒロシマは世界に訴えました

節目の86を広島は静かに迎えました。コロナウイルス感染防止のため今年は平和記念式典の縮小、オンライン集会など広島に人が集まらず、8月6日当日も平和公園は規制制限で入場することはできませんでした。しかし被爆者や平和運動の方々は世界に訴えました。広島の松井市長は平和宣言で核兵器禁止条約への批准を日本政府に要求しました。ヒロシマは核のない平和な世界を望む願いを呼びかけることをやめはしませんでした。

 

前日の5日は午前10時から平和公園で民団広島県地方本部主催の韓国人原爆犠牲者慰霊祭が行われました。参加者は例年よりはかなり小規模でしたが中満国際連合事務次長や平岡前広島市長、国会議員などが参列し、160人ほどが集まりました。毎年、韓国から在韓被爆者や韓国の大学生などが来ているのですが姿はありませんでした。慰霊碑には今年新たに13人が加わり75年前の犠牲者の名前が積み重ねられました。広島県地方本部団長は「今年は節目の年なので、どんなに小さくても慰霊祭はやろうと思っていた。縮小ではなくむしろ大きくやったほうがいいのではないかという意見もでた」と慰霊祭の重要性を話していました。例年と違いコロナ対策のため国歌を流すだけにし、婦人部による歌もないといった進行で少し寂しい気もしましたが、民団中央本部団長の「悲惨な広島の歴史と在日同胞の歴史を記憶し、次の世代に継承していきます」という決意を聞き、自分自身の気持ちも新たにしました。

 

式典当日の6日は朝5時から9時まで公園内に入れなかったため、9時過ぎに行きました。途中、式典警護から戻る大勢の警察官とすれ違いました。式典に参加する方々より多くの警察官がいたのではないかと思うくらい今年は目立ちました。平和公園に入りすぐ山口の2世の会が主催する「8・6広島青空式典」が行われる原爆ドームに向かいました。すると原爆ドームの周りを原水禁の方たちが囲み、人間の鎖を作っていました。今年の原水禁はユーチューブでネット配信し、原水協もオンライン会議などで大会を運営するなど直接、広島で行う行事をしていないと思っていたので驚きました。このような静かな運動は、座り込みに通じる運動と同じで時にはいいなと思いました。

 

「8・6広島青空式典」では基調報告や団体報告などが行われました。被爆二世を日本政府は1度も調査しておらず、実態すらわかっていない現状や二世の集団訴訟など被爆二世が置かれている現状を訴えました。また先月、アメリカのトリニティ・サイトで開かれた核実験75年の記念式典でトランプ大統領が発言した核実験に対する称賛に抗議と撤回を求めました。例年集会場所には必ず被爆のパネルが設置され、通行する人たちが気軽にみられるようになっています。今年も通る人は少ないながらも、パネルにしっかり見入っていました。1985年から続いているこの集会は、被爆二世だけではなく、学生や労働者、障碍者、反原発、反基地といった人々が集まっています。韓国の団体とも連携もしており毎年来日していますが、今年は日韓同時開催として同じ時間帯に韓国でも集会を行うといった試みがなされていました。ちなみにコロナ対策としてソーシャルディタンスは当然のこと、マイクに使い捨てカバーを一人ひとりに使用してもらうといった工夫がされていました。35年という長きにわたって続けられているこの集会は粘り強い努力と信念がなければできません。私は広島でこうした方々とお会いできて、本当によかったと思っています。今の日本はどうなっているのか、自分の立つ位置はどういうところなのか、教えてもらえるからです。

 

75年間、草木も生えないと言われた廣島。

緑豊かな平和都市となったヒロシマは今年も世界に訴えました。

「戦争反対」「核兵器はいらない」「核と人類は共存できない」と。

 

 

 

 

|

2020年8月12日 (水)

「黒い雨訴訟」1審原告全員勝訴。広島市・県は控訴へ。

今年の夏は大きな意味を持つ裁判の判決がでました。去る7月29日、広島地裁は「黒い雨」訴訟で原告84人全員に手帳の交付を命じる判決を言い渡しました。原告の全面勝訴となったのです。この裁判は広島市への原爆投下後に降った黒い雨の影響により受けた健康被害に対して、被爆者健康手帳の交付を受けられないのは違法だとして広島県と広島市を相手に裁判を起こしたものです。しかし本日8月12日の中国新聞によると広島市と広島県は控訴することにしたようです。また長い闘いが始まります。

 

黒い雨地域とは、無料の健康診断や、ガンなどの疾病になった場合の被爆者健康手帳の交付といった援護が受けられる地域のことです。原爆投下後に降った黒い雨は放射性物質を含むものだったため、爆心地から離れた地域でも黒い雨を浴びた人は被爆者と同じ症状がでました。そこで国は黒い雨を浴びた人も、条件付きで被爆者援護法の対象としました。当時の広島管区気象台の調査などから黒い雨の降水範囲を特定し、その範囲で黒い雨を浴びた人々を被爆者援護法の対象としてきたのです。しかし今回の広島地方裁判所の判決ではこの黒い雨地域対象外の原告が被爆者として認められたのです。

 

もともとこの黒い雨地域に関しては、区域以外にも降っていたのではないかと疑問視されてきました。2008年に広島市と広島県が聞き取り調査した結果でも特定区域の6倍の広範囲にわたって黒い雨が降った可能性があるということが分かりました。そこで広島県と広島市が国に援護区域の拡大を要請しましたが、国は降雨範囲の確定が困難との理由から範囲拡大を見送りました。そこで黒い雨を浴びているにも関わらず線引きされていると2015年に、黒い雨を浴びた人々が集団で国を訴えることになったのです。

 

今回の判決ではこの広島市と県の調査結果に関しては、推測にすぎないため根拠にすることは困難であると示しましたが、黒い雨を浴びた状況や健康状態を検討したうえで原告全員が被爆者認定となったようです。

 

この黒い雨を浴びた人々が被爆者として認められることは大きく2つの意味を持つと思います。1つは原爆の威力がいかに凄まじかったかを表すものです。黒い雨という放射能を浴びた雨を降らせることで原爆は爆心地のみならず、かなり広範囲において人々を犠牲にしたということです。2つめは黒い雨による低線量被曝の被害ということです。加えて内部被曝についても科学者から指摘されています。上空に巻き上げられた放射性物質が飛散し体内に入ったのではないかというのです。黒い雨を浴びた人たちは下痢や出血など被爆者と同じような症状がでました。被爆者援護法では特定区域で黒い雨を浴びた人がガンなど特定の症状が現れた場合には、国から被爆者健康手帳が交付されます。つまり被爆者となるのです。これは何を意味するのかというと、低線量であっても人体に影響を及ぼすということを国は認めているということです。低線量被曝の人体に与える影響に関してはフクシマの原発事故などの影響に関わってくると思います。

 

広島市と広島県は国の意向に従い控訴することにしたようです。今日の中国新聞によると「援護対象区域の拡大にもつながる検証をする」という条件を国が示し控訴の受け入れに応じたと書かれていました。市も県も範囲の拡大を国に求めてきたので苦渋の決断だったと思います。広島市の市長は被爆二世ですし、広島市、広島県の職員の多くが被爆者を家族に持つと思います。被爆者の問題は自分自身の問題なのです。まだまだ裁判が続くことになってしまいました。戦後75年たっても被爆者と認められない方々。被爆者と認められないままお亡くなりになってしまった方々。いつまで原爆は人々を苦しめ続けるのでしょうか。

 

|

« 2020年7月 | トップページ | 2020年9月 »