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2019年10月30日 (水)

「中国人強制連行・西松安野和解10周年記念集会」に参加しました

去る1019日、広島市内で「中国人強制連行・西松安野和解10周年記念集会」が開催されました。会場には100人以上が集まり、強制連行に関心のある方々の多さを実感しました。集会には当時中国から強制連行され、安野発電所で強制労働させられた被害者(中国の表現で受難者)のご遺族も来日されました。集会では裁判や和解が持つ意味について、弁護士の先生や支援者、遺族がそれぞれの立場から話され、戦後補償が持つ未来の可能性が示唆されました。

 

西松建設中国人強制連行・強制労働事件(以下、西松裁判)は戦時中、中国人を広島県の中国電力安野発電所に強制連行し強制労働させたことなどに対し、中国人被害者が当時、工事を行っていた西松建設を相手に裁判を起こしたものです。2007年最高裁で原告は敗訴しましたが、最高裁は付言をつけ西松建設に対し原告への救済を促しました。その後、両者で話し合いを行い、勝訴した西松建設が原告に金銭補償を行うことになりました。この補償金の一部で2010年に強制連行・強制労働の現場である安野発電所に碑が建立されました。

 

元・西松安野友好基金運営委員会委員長の内田雅敏弁護士は「西松は和解をする中で中身が深まっていった。中電が安芸高田町に土地を譲渡し、地域の人たちに協力を求めた。地域の人たちは理解を示し碑の建立となった。式典にも町長が参加するようになった。そして安野の現場に行った遺族はいつか友好の碑に変わってほしいと願ったのだ。戦後補償は和解によって終了するのではない。西松の和解は日中の歴史に大きな道を切り拓いた」と語り、西松裁判がもたらした意義を伝えました。

 

ご遺族の方々は親御さんや祖父様のご苦労を語りました。トンネル掘削時に水に浸かった足を切断せざるを得なくなり、そのせいで仕事ができなくなってしまったこと。日本にいたことで反乱分子視されたり、また批判され就職も思うようにできなかったことなど、帰国後も大きな苦しみがあった人生について伝えていただきました。お孫さんからの「祖父から茶碗や箸の言い方とか、食前の「いただきます」といった作法とか、日本語の言い方を教えてくれた」という話には、わずかの期間で覚えなければいけなかった日本語や、その言葉が長い間にわたって身に染みていたことが伝わり痛々しく感じました。

 

日本に強制連行され、苛酷な状況で働かされ、やっと故郷に帰っても今度は身近な人たちから敵視されるという、想像を絶する被害者の苦難は戦争だったからという理由にはなりません。加害者が誠意を持って解決していくことではじめてご本人の尊厳が回復され気持ちも安堵し、またご家族の苦しみも和らぎます。日本が国として過去の加害をどう考え、どのように補償していけばいいのかは、まず和解し、そして相互理解が始まりなのだと思いました。

 

 

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