« ヒロシマとピースツーリズム | トップページ | リニューアルした広島平和記念資料館に行ってきました »

2019年8月26日 (月)

ヒロシマ2019年8月6日

朝焼けが山の稜線を美しく見せている空でした。私は5時すぎに家を出て平和公園に向かいました。公園に着くと、いつものように大勢のマスコミがカメラを構える中、参拝者が花や線香を持ってお参りにきていました。しかし、参拝者はそう多くなく、心なしか人が少ないように感じました。6時すぎからの宗教者たちによる慰霊祭の頃にはすでに雨がぽつりぽつりと降り始めていました。

平和祈念式はテントの下にある席ではなく、公園内に設置されているモニターの前に行き、カメラを構えました。いつもはモニターの前でも大勢の人であふれる状態なのですが、今年は少し離れた場所にいたせいか、こちらも人が少ない感じがしました。式典が始まる頃にはポツポツと大粒の雨が降り、時間を追うごとに強くなりました。挨拶の頃になると傘がなければべしょ濡れになるほどの雨となりました。アメリカが原爆を投下してから74年目の広島、86の式典は最初から最後まで雨の中で行われました。

 

松井広島市長による平和宣言は事前に報道されていたように、日本政府に対し、核兵器禁止条約への署名・批准を訴える言葉が入っていました。以下は平和宣言の一部です。

 

「日本政府には唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いをしっかりと受け止めていただきたい。その上で、日本国憲法の平和主義を体現するためにも、核兵器のない世界の実現に更に一歩踏み込んでリーダーシップを発揮していただきたい。」

 

なぜ広島市民ではなく「被爆者の思い」という表現を使ったのかわかりません。松井市長の平和宣言は毎年どこか他人事のような内容だと感じます。松井市長は被爆二世ですから、もっとご自身の立場からの、踏み込んだ発言でもよかったのではないかと感じました。

「日本政府には唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いをしっかりと受け止めていただきたい。」に加えて「そして被爆者の命をかけた思いは被爆二世である私自身の強い思い、広島市民の心からの願い、そのものです。」という言葉があれば、被爆地ヒロシマの、被爆二世である松井市長の肉声として、世界の人々の心に伝わったのではないかと思うのです。

 

9日の長崎市長の平和宣言はいつものように強く具体的に日本政府に訴えていました。

「日本政府に訴えます。日本は今、核兵器禁止条約に背を向けています。唯一の戦争被爆国の責任として、一刻も早く核兵器禁止条約に署名、批准してください。そのためにも朝鮮半島非核化の動きを捉え、「核の傘」ではなく、「非核の傘」となる北東アジア非核兵器地帯の検討を始めてください。そして何よりも「戦争をしない」という決意を込めた日本国憲法の平和の理念の堅持と、それを世界に広げるリーダーシップを発揮することを求めます。」

私はこの「唯一の戦争被爆国の責任」「一刻も早く核兵器禁止条約に署名、批准してください」の2つの言葉が、何より被爆者の思いを表していると感じます。

 

被爆者の平均年齢は82歳を超えました。家族や参拝者が少なく感じたのは、決して天候や気のせいではないと思っています。被爆者が生きているうちに核のない世界を見せてあげたいのです。日本政府の核兵器禁止条約への署名、批准は長崎市長の宣言通り「唯一の戦争被爆国の責任」だと思います。原爆の被害国としての役割は確かにあるのです。日本政府が署名・批准すれば、各国が後をついていくと信じています。

7月8日中国新聞によると核兵器禁止条約への署名70カ国、批准国23のようです。批准があと27増えれば条約は90日後に発効になります。被爆した人たちは水を求め続けました。式典で雨が降ったのも、空からの願いだったのかもしれません。

 

 

 

|

« ヒロシマとピースツーリズム | トップページ | リニューアルした広島平和記念資料館に行ってきました »

広島から」カテゴリの記事