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2019年8月

2019年8月28日 (水)

リニューアルした広島平和記念資料館に行ってきました

今年4月にリニューアルオープンした広島平和記念資料館に行ってきました。行きたいと思いつつなかなか都合がつかなかったため結局、お盆に出かけることになりました。人気があると聞いていましたが、お盆の真っ最中だったためか入場待ちが1時間以上という行列で驚きました。閉館時間が午後8時まで延長されていたため夜に出直したことで、比較的ゆっくり見ることができました。入館者は気のせいか外国人と日本人の家族連れが多いような気がしました。

 

リニューアルした館内はとても見易い構成でした。資料館の元館長がある場所で「聞いたことは忘れる。見たことは覚える。体験したことは理解する。資料館は理解することを目的にリニューアルした。展示意図から説明すると、一人一人の苦しみ、背景を強調した。あの日、そこにあったものの展示をしている」と話されていたのですが、確かに原爆犠牲者の顔が見える展示になっていたと思います。顔写真と遺品が対となって丁寧に説明され、あの日あの時までは確かに生きていたことを感じさせます。被爆二世の友人は「見ていて涙がでてきた」と言っていました。今回、驚いたのは報道カメラマンの福島菊次郎さんが撮影したある一家の被爆から家庭崩壊までが展示されていたことでした。被爆者は被爆してからも辛い人生を生き続けています。それは壮絶な生き様です。その生き様も原爆の被害として訴えていました。

 

在外被爆者も以前と比べてスペースが広がりました。郭貴勲さんが提供した朝鮮半島出身者の軍隊手帳や除隊証明書などの資料は普段なかなか見ることはできないものだと思います。郭貴勲さんの大きな顔写真を見て、ようやく在韓被爆者の存在、その姿が実態として見えてきたように感じました。

 

ここからは少し辛口になります。リニューアル展示は文学的には成功しているといえますが、実相となると私は首をかしげてしまいます。被爆時の様子が分かるものは被爆者が描いた絵です。被爆後、記憶に残った風景が絵で表現されているのです。絵画はリアルに伝わります。しかし、これだけでいいのでしょうか。

 

まず前々から言われていた被爆時の様子を再現した人形。これは人形そのものが「怖い」という声があったというのはよく聞いていました。そしてリニューアルの際に残すか残さないかで、かなり議論されていました。結果、残していませんでした。残さない理由がどこにあったのか、説明がされていたのかもしれませんが、私には分かりません。私は残した方がいいと思っていました。なぜなら人形は被爆の実相を表現していたからです。そもそも原爆の被害の大きさは他に類をみないものです。たった1発で1つの街が全滅してしまうのです。その被害のすさまじさをどう表現するのか。人形は見ると「怖い」かもしれませんが、原爆によりボロボロになった被害者のリアルな姿でした。

 

想像できるでしょうか。原爆が投下された時の様子を。

 

1発の原爆投下により街は建物が全て破壊され、手足頭胴体がバラバラになり、内臓は飛び出し、皮膚は焼けただれどろどろになり、人の形すらしていない遺体が地面を覆いつくしました。生き残った数千もの人たちは裸同然で遺体の上を歩きながら、どこかに向かったのです(それは様々な場所です)。なぜ遺体の上を歩いたのかというと、地面が熱いからです。遺体の上は熱くないので遺体を選んで歩いたのです。

 

そして何日も経たないうちに遺体や生きている人に蛆がわきました。遺体にあふれた街中の匂いはそれはそれはひどいもので、何とも形容しがたいものだったと言います。被爆者の話を聞いていつも感じるのは、この「匂い」のひどさです。救援に入った兵隊の方はこの匂いでおにぎりを食べられず吐いたと話していました。

 

本来、その被害は文字では伝えきれない惨状でしょう。リニューアルした展示内容にはこうした「原爆特有の酷さ」「被害の大きさ」が感じられないのです。これでは、空襲で焼け出された人々との「差」をどこでつけるのかと思います。原爆の被害は圧倒的な規模とその特殊性です。原爆によるすさまじい熱線、爆風、放射線。人々の体に現れた嘔吐、下痢、脱毛、吐血、血尿、血便、皮膚の出血斑点、口内炎などの症状。今の展示ではこれらを感じることはできません。いくらガラス瓶が曲がっていても、瓦がぶくぶくになっていても、それが人間に、自分に起こるとどうなるのか、想像するのは困難です。もちろんパネルでの説明はありますが、今の展示では原爆を勉強していない人には体験、理解は難しいと思います。今の技術であればVR体験も可能でしょうが、まともに再現されれば一目みただけで大人でも卒倒すると思います。しかし被爆者はそこにいたのです。せっかくの原爆の資料館ですから、経験された方々の1万分の1でいいから、視覚的に見せてほしいと思います。「怖い体験」が必要なのです。体験することで、原爆は人道に反する爆弾、核兵器は絶対使用禁止だということを初めて理解することができるのです。

 

入り口の原爆投下の状況は上から、つまり投下した側からの視点です。原爆が上から下に向かって落ちていく様子が映し出されているのを見て、私たちは何を感じればいいのでしょう。落とした人の気持ちなのでしょうか。そうではないはずです。雲の下から私たちは感じなければいけません。地面の上で熱線、爆風を感じなければいけないのです。一人一人の人生があったのは分かりましたが、あの時どのような恐ろしい目にあっていたのかは、残念ながら今回の展示では理解することはできないと感じました。

 

地獄だと言いました。

光が怖いと言いました。

大きな音が怖いと言いました。

毎年8月6日は家から出ないと言いました。

被爆者の声です。

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2019年8月26日 (月)

ヒロシマ2019年8月6日

朝焼けが山の稜線を美しく見せている空でした。私は5時すぎに家を出て平和公園に向かいました。公園に着くと、いつものように大勢のマスコミがカメラを構える中、参拝者が花や線香を持ってお参りにきていました。しかし、参拝者はそう多くなく、心なしか人が少ないように感じました。6時すぎからの宗教者たちによる慰霊祭の頃にはすでに雨がぽつりぽつりと降り始めていました。

平和祈念式はテントの下にある席ではなく、公園内に設置されているモニターの前に行き、カメラを構えました。いつもはモニターの前でも大勢の人であふれる状態なのですが、今年は少し離れた場所にいたせいか、こちらも人が少ない感じがしました。式典が始まる頃にはポツポツと大粒の雨が降り、時間を追うごとに強くなりました。挨拶の頃になると傘がなければべしょ濡れになるほどの雨となりました。アメリカが原爆を投下してから74年目の広島、86の式典は最初から最後まで雨の中で行われました。

 

松井広島市長による平和宣言は事前に報道されていたように、日本政府に対し、核兵器禁止条約への署名・批准を訴える言葉が入っていました。以下は平和宣言の一部です。

 

「日本政府には唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いをしっかりと受け止めていただきたい。その上で、日本国憲法の平和主義を体現するためにも、核兵器のない世界の実現に更に一歩踏み込んでリーダーシップを発揮していただきたい。」

 

なぜ広島市民ではなく「被爆者の思い」という表現を使ったのかわかりません。松井市長の平和宣言は毎年どこか他人事のような内容だと感じます。松井市長は被爆二世ですから、もっとご自身の立場からの、踏み込んだ発言でもよかったのではないかと感じました。

「日本政府には唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いをしっかりと受け止めていただきたい。」に加えて「そして被爆者の命をかけた思いは被爆二世である私自身の強い思い、広島市民の心からの願い、そのものです。」という言葉があれば、被爆地ヒロシマの、被爆二世である松井市長の肉声として、世界の人々の心に伝わったのではないかと思うのです。

 

9日の長崎市長の平和宣言はいつものように強く具体的に日本政府に訴えていました。

「日本政府に訴えます。日本は今、核兵器禁止条約に背を向けています。唯一の戦争被爆国の責任として、一刻も早く核兵器禁止条約に署名、批准してください。そのためにも朝鮮半島非核化の動きを捉え、「核の傘」ではなく、「非核の傘」となる北東アジア非核兵器地帯の検討を始めてください。そして何よりも「戦争をしない」という決意を込めた日本国憲法の平和の理念の堅持と、それを世界に広げるリーダーシップを発揮することを求めます。」

私はこの「唯一の戦争被爆国の責任」「一刻も早く核兵器禁止条約に署名、批准してください」の2つの言葉が、何より被爆者の思いを表していると感じます。

 

被爆者の平均年齢は82歳を超えました。家族や参拝者が少なく感じたのは、決して天候や気のせいではないと思っています。被爆者が生きているうちに核のない世界を見せてあげたいのです。日本政府の核兵器禁止条約への署名、批准は長崎市長の宣言通り「唯一の戦争被爆国の責任」だと思います。原爆の被害国としての役割は確かにあるのです。日本政府が署名・批准すれば、各国が後をついていくと信じています。

7月8日中国新聞によると核兵器禁止条約への署名70カ国、批准国23のようです。批准があと27増えれば条約は90日後に発効になります。被爆した人たちは水を求め続けました。式典で雨が降ったのも、空からの願いだったのかもしれません。

 

 

 

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