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2017年10月

2017年10月12日 (木)

ノーベル平和賞にICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)が受賞!

「不断の努力を続けてきた数百万の活動家たち、そして広島と長崎、世界各地の実験場のヒバクシャたちへの賛辞だ。(中国新聞107日)」ICANのフィン事務局長の言葉が世界のヒバクシャたちに希望と勇気を与えました。

すでに御承知のように本年度のノーベル平和賞にICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)が受賞しました。広島では大きな話題になり、被爆者の方たちや長年にわたって平和活動をされてきた方々から喜びの声があがりました。今回は中国新聞の記事を中心にご紹介し、広島の願いが世界に届いた瞬間の熱気をお伝えします。

ノーベル平和賞受賞後の翌107日の中国新聞は1面からノーベル賞の話題であふれました。全35ページ中7ページにノーベル賞関連の記事が掲載されていました。1面のタイトルは「ノーベル平和賞ICAN 核兵器禁止条約に貢献 国際NGO広島・長崎と連携」です。受賞の理由や県被団協の声などが載っていました。同時に松井広島市長と湯崎広島県知事から核兵器禁止条約発効の期待も述べられていました。

23面は「非人道性世界が共有 条約見参加 政府に圧力 「核の傘」転換促す」のタイトルで、核兵器禁止条約に対する受賞者の声と、日本政府や米政府の反応が比較されていました。『「世界の緊張が高まる今こそ、各国が核兵器反対を明確に宣言すべきだ」』というICANの声とともに、日本政府の『「反核の世論が高まり、日本政府は対応を考えることにはなるだろう」』というコメントは核兵器禁止条約への機運の高まりを感じさせる内容でした。

「授賞理由の要旨」と「ICANと核兵器禁止条約実現への歩み」が掲載された10面は平和賞としての基本的な理念が示されていました。受賞理由の中に『「一、核なき世界実現に向けた次の一歩を踏み出すには、核兵器保有国の参加が不可欠ということを強調したい。核保有国には、核兵器削減に向けた真剣な交渉を始めるよう求める。」』という一文があり、この受賞は栄誉を称えるためだけのものではなく、人類が未来に向かって行動するためのものでもあることが分かりました。11面の受賞者や識者のコメントからは核兵器廃絶へ向けた新たな決意が伝わり、受賞して終わりではなく世界が核廃絶へ踏み出す第一歩なのだということを感じさせる内容になっていました。

最終ページに近い社会面の3233面は受賞の喜びを分かち合う広島市民の様子が掲載されていました。『「ヒロシマにも勇気 被団協など歓迎 市民ら国際的うねり期待」「市民の力共感広がる 禁止条約連携促す 広島の加盟団体喜び 「活動進める励みになる」」』のタイトルはこれまで“ヒロシマの心”として反核・平和を叫び続けてきた広島市民の思いがあふれていました。広島平和文化センター理事長だったスティーブン・リーパーさんの『「広島をはじめ日本国内に住む人たちが核の問題を考え、核の傘に入る日本政府の姿勢に怒りが沸くよう意識を変えないといけない」』というコメントは核兵器に対して、私たち一人一人が考えていかなければいけない問題なのだということを教えてくれました。この度の平和賞受賞は私たち自身への大きな問いかけなのかもしれません。

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2017年10月 6日 (金)

憲法を知ること

先日、ある集会で日本国憲法について話をお聞きしました。考えてみると私自身、日本国憲法を学校で習った憶えがありません。全文を読んだのも大人になってからですし、もっと言えば自分の生活に引き寄せた具体的な権利まで考えたこともありませんでした。先日の集会では第3章「国民の権利及び義務」の「幸福の追求権」や「精神的自由」などについて丁寧に教えていただきました。

幸福の追求権は

 

第3章第13条「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」

 

によっています。この中には肖像権や氏名権、プライバシー権、自己決定権などがあるそうです。氏名権というのは、自分の名前にたいする権利です。勝手に使用できないということです。自己決定権は髪型や服装、尊厳死、安楽死といった死に関する権利、避妊や中絶といった権利があるようです。髪型や服装までと思うかもしれませんが、戦時中は派手な服装を禁じられたり、モンペなどが推奨されたりしています。現在では国によって宗教的に女性の服装の規定があります。それを考えるとこれらの自由がいかに大事なものであるかが分かります。

精神的自由は

 

第19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」

 

によっています。思想や良心を持つことの強要の禁止、禁止の禁止などです。さらに

 

第20条「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」

 

も精神の自由です。宗教を信じるのも、信じないのも自由だということです。宗教的行為に参加しない自由があるのです。例えば政治的な思想を強要したり、拒否することへの禁止をすることはできません。神社や教会に行くのも自由ですし、拒否することも自由なのです。この精神的な自由の権利は何物にも代えがたいものです。自分の信じるものを自由に選択できることは、様々な可能性を持つことですし、時には命につながることになるかもしれません。思想や宗教は生きる糧となる場合があるからです。

こうして日本国憲法を見ていくと、私たちが持っている義務を含めた権利が今の日本の暮らしの根底にあると考えさせられます。もっと憲法を知る機会があるといいと思いました。また学齢の早い段階から学校で日本国憲法を学習する機会を設ける必要があるのではないかと感じました。

 

 

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