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2017年9月 8日 (金)

9月8日

「そして例外もあるが一般に爆心の近くで被爆した者は重症で、爆心から遠く離れたところで被爆した者は軽症で、前者は後者より白血球の減少が甚だしい。例外的に比較的爆心の近くで被爆しながら白血球の減少が少ないのもあった。それをさらに追及するとそれらの者は屋内殊に鉄筋コンクリートの建築物の中にいた者や大きな樹木が陰になって原爆の光線の直射を受けなかった者ばかりであった。(※194598日)」

 これは蜂谷道彦著『ヒロシマ日記』の一文です。蜂谷道彦氏は広島逓信病院の医師でした。被爆時、蜂谷先生は自宅におり大怪我にも関わらず、職場の逓信病院にかけつけました。そして以後、蜂谷先生は原爆被害の症状を記録しなければいけないという使命感からメモを取り始めました。ご本人も外傷がひどい状態の中、筆記用具も紙もない状況でひたすら見て聞いたものを書き記しました。その記録が『ヒロシマ日記』です。

この日記は1955年に出版されて以来、アメリカ、イギリス、オランダ、フランス、イタリア、チェコ、ドイツ、スウェーデン、ラトビア、スロバキア、スペイン、ポルトガルに翻訳されました。進駐軍が広島に入ったのが9月末ころですから、原爆投下から1カ月ほどの間は進駐軍も状況が分かりませんでした。蜂谷先生は医師として患者をみただけではなく、調査も行い、原爆が人体に与える影響を詳細に書き残しました。被爆した人々が当時どのような状況だったのかを知る手がかりとして、本書はとても貴重な資料だったのです。

『ヒロシマ日記』には放射線の被ばく症状が書かれています。蜂谷先生は嘔吐、頭痛、脱力感、下痢など重症の人々をみて、当初は赤痢などの伝染病を疑いますが、すぐに違うと分かります。そして様々な症状がでている患者に今まで医師として経験していない状況にあると理解していきます。見た目は怪我や火傷などしていない人が死んでいく状況や脱毛、出血斑など次々に現れる症状に混乱しつつ、記録を続けます。

今年、広島の放射線影響研究所のオープンハウスで配布された資料には海外の反応が記されていました。

「原子武器がどんな結果をもたらしたか、また今後もたらすだろうか、を知るためにも万人必読の書である。」(パールバック/小説家)、「偉大なる勇気による簡潔な慎み深い報告・・・本書の刊行を心から感謝したい」(ロバート・オッペンハイマー/マンハッタン計画の中心的人物)

そして原爆投下から6年後の195198日、サンフランシスコ平和条約が日本政府と連合国の間で結ばれ、敗戦国である日本は主権を取り戻しました。終戦から現在に至るまでに、日本は欧州と肩を並べる国になりました。しかし原爆は今も人々に苦痛をもたらし続けています。

 

 

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