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2017年6月27日 (火)

被爆72年、在韓被爆者の手帳申請支援のこと

 私が在韓被爆者支援のお手伝いを始めて15年近くになります。気が付いたら長くなったという単純な話です。しかしそれは長年お手伝いが必要だったということを意味しており、決して単純な話ではありません。

私が参加させて頂いている韓国の原爆被害者を救援する市民の会における支援活動の一つに被爆者健康手帳(以下、手帳)の申請があります。被爆後72年たった現在も手帳を持っていない被爆者がいるのです。殆どが幼少期に被爆された方です。その方たちがどのような状況に置かれているかご紹介したいと思います。

 今、手帳を持っていない韓国の被爆者は証拠がありません。具体的には8月6日、9日に被爆地にいたという事実を、紙の書類として出さなければいけないのですが、それがないのです。それは戸籍謄本であったり在学証明であったりと、まず日本に住み、広島や長崎市内にいる状況にあったことを示す内容の書類、そして被爆時にいたことを証明する方の書類です。広島や長崎市内に住んでいなくても、「罹災証明書」があればすぐ出ますが、韓国に帰国された方々がお持ちでないことは火を見るより明らかです。韓国国内で「罹災証明書」は必要ないからです。その次は戸籍謄本など広島・長崎で生まれたという書類があればかなり有効なのですが、他の地域から引越してきた、遊びにきていた、といった状況では公文書はありません。たとえ広島・長崎市内で生まれ住んでいたとしても、当時、幼ければ幼いほど日本で出生届けを出さず、韓国で生まれたという申請をしているケースが多くあります。なぜかというと、日本生まれにしたくなかった親が韓国生まれとして届けているためです。これは恐らく親日家という目で見られたくなかったためだと思います。学校に行く前の幼い子供は日本で生まれて育っていても、日本にいなかったことになるのです。被爆を証明する証人がいればいいのですが、被爆当時0歳だった方でも今年で72歳になりますから、証人探しはほぼ無理に近いと言って過言ではありません。

 今年3月に救護被爆をされた在韓被爆者の方が来広されました。証人を探し、ご自身の記憶をよみがえらせるために住んでいた場所を訪れました。そこには同級生の方やご近所の方がおられました。ご本人や同級生の方々の証言から、そこに住んでいたということは確実だと思うと同行した方が話しておられました。しかし共に救護したという第三者の証言がなければ、手帳取得は難しいのです。

在韓被爆者の方たちはなんとか手帳を取得できないかと手を尽くしています。私たち支援者も考えられる限りの手段で証人を探しています。しかしその手段も歳月の壁が立ちはだかり、すぐ行き詰まってしまいます。それは被爆者自身の痛みに近づく時です。痛みを分かち合うことしかできず、悲観しそうになる時もありますが、それでも何かないか、どこかに証人がいないか、探し続けているのです。被爆者は手帳を持っている人だけではないことを、受けられるべき支援が受けられていない被爆者がいることを、一人でも多くの方に知っていただきたいと思います。

 

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