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2016年12月12日 (月)

今から71年前の呉で感じること

 映画「この世界の片隅に」について、もう少し書きたくなったのでおつきあいください。映画をご覧になった方にしかわかりにくい内容になるかもしれませんがお許しください。

本作は1943年から終戦後の19461月までの出来事です。広島で生まれ育った主人公のすずは海苔屋の娘です。国民学校初等科を卒業し5年後(おそらく16歳くらい)に親の勧めで見ず知らずの相手と結婚し呉で暮らし始めます。夫と両親、夫の姉とその子どもという大家族での生活ですが、当時としてはそう珍しいことではないと思います。夫は海軍軍法会議の録事、舅は海軍工廠に勤めています。舅は「お父ちゃんの科学話は止まらんけえね」という話から考えると技術系でしょう。つまり夫も舅もエリートだと推測されます。生活は貧しいけれど貧困ではありません。すずの周囲に住む人々も同様の生活を送っていると思われ、当時の多くの人がしていた暮らしぶりといってもいいでしょう。これが主人公すずの背景です。

現在からみると16歳はまだ子どもですが、当時はそれくらいで結婚した人が少なからずいます。知り合いの在韓被爆者の女性も16歳で結婚しています。「仕事もせずブラブラしていたら挺身隊でどこにいくかわからない。当時は産めよ増やせよの時代だから結婚した」と話していました。女子挺身隊は独身女性などを対象に集められ、職場を強制的に決められて働かされる奉仕組織です。この在韓被爆者のお母様は娘が挺身隊にとられて危険な場所で働かされるよりは結婚して自分の家の近所に住んだほうがましということで結婚させたのです。すずが結婚した理由は先方から申し込んできたために結婚をしたことになっています。すずの妹は挺身隊に行っています。もし結婚しなければすずも挺身隊に行っていたはずです。挺身隊の仕事場は主に軍需工場での作業です。兵器などを作っていたのです。戦闘員ではありませんが、少女たちも戦争を補佐していたのです。被爆者の沼田鈴子さんも少女時代に大砲の玉を磨きながら「日本が勝つためには敵を殺すのだ。自分はそのための名誉な仕事をしている」と思っていたそうです。沼田さんは「完全に軍国少女だった」と晩年、後悔の念を講演などで話されていました。

 すずの嫁ぎ先では南方などへ兵隊として家族は行っていませんが、すずの実兄は戦死しています。兄の遺骨は戻らず石ころ1つが家族に渡されました。すずの両親にとってはたった一人の息子、すずたちにとっては、たった一人の兄です。家族は死の実感のないまますずの兄の戦死を受け入れなければいけませんでした。徴兵制度は本人の意思に関係なく兵士にならなければいけません。戦争をしていなければすずの兄は兵士にならなかったのです。

 ある日、絵を描くことが好きなすずは軍艦をスケッチしているところを憲兵に咎められます。憲兵は一般市民を監視するような役目で時には理不尽な行動もしました。現在のように警察が巡回しているのとは全く異なる状態です。スパイがいないか、もしくはスパイではないかと監視されているような状況は穏やかな日常とはいえません。

 呉は軍都でしたから空襲もありました。空から爆弾や銃弾が撃ち込まれる恐怖を平和な日常しか知らない私には想像もつきません。ご存知の方も多いと思いますが、原爆投下前の広島は空襲がなかったため、わざわざ広島に移り住んだ方もいました。

 少女が兵器をつくらされ、少年たちが海外に行き人を殺し、殺される。監視されながら日常生活をおくる。いつか分からないけれども自分たちを殺そうと兵器が空から落とされる。20歳にならない、子どもと言ってもいい主人公すずが暮らした当時の日本はそういう状況でした。子どもだからといって戦争に加担しないわけにはいかなかったのです。戦地ではないけれど、こうした状況は狂気といってもいいと思います。

 映画では別の表現になっていますが、漫画では終戦の日どこかの家に掲げられたテグッキを見たすずは「ああ、暴力で従えとったいう事か。じゃけえ暴力に屈するいう事かね。それがこの国の正体かね。うちも知らんまま死にたかったなあ」と大粒の涙をこぼします。これは日本が朝鮮半島を植民地にしていたことを指しています。すずが生まれた時には朝鮮半島は日本の国だったので、朝鮮人が近所に住んでいたことをすずは当然知っていたと思います。テグッキがはためくのを見ただけで「暴力で従えとったいう事か」というセリフが出てくるためには、それなりのエピソードを見聞きしていなければいけませんから。すずが何を見ていたのかを私たちは考えなければいけません。

映画「この世界の片隅に」からは、すずが暮らした日常に戦争の狂気を感じ取らなければいけないと思います。戦争中の日本と現在の日本は違います。いま日本はどこの国とも戦争をしていないため、少女や少年が銃を触ることはないからです。しかし戦後71年経った私たちの暮らしの中には狂気はないのか、あらためて周囲を見渡して考えなければなりません。

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