『ヒロシマの少年少女たちー原爆、靖国、朝鮮半島出身者』(関千枝子著)を読みました
13歳だった関さんは1945年8月、建物疎開作業をしていました。建物疎開とは空襲の際の防火地帯をつくるために家を倒し空き地を作る作業です。関さんは引き倒された家を片付け、瓦や材木、電線など使えるものを整理し、地ならしをしていました。その作業は中学校1年生2年生の子供たちが手作業で行っていました。8月6日、関さんは前の晩にお腹をこわしたため作業を休むことになりました。そして死をまぬがれました。いつもと同じように建物疎開作業に出たクラスメートは亡くなりました。
関さんの『ヒロシマの少年少女たちー原爆、靖国、朝鮮半島出身者』は被爆証言ですが、証言だけにはとどまらない鋭い指摘があります。それは朝鮮半島出身者の被爆についてです。まず関さんは「日本教育史上最大の悲劇と言われている建物疎開作業で亡くなった少年少女たちのことを皆が知らなすぎる」と訴えています。そして2004年に広島平和記念資料館が作成した建物疎開作業を行っていた学校の動員数と死亡者、死亡率の数が合わないというのです。各学校で数人から10人以上の数が合わないのです。関さんはこの合わない人数こそが朝鮮人被爆者だと推測されています。
親しくさせて頂いている在日コリアンの被爆者も建物疎開作業をしていました。その方はずる休みをして助かっており、関さんと同じようにわずかな運でのサバイバーでした。建物疎開で亡くなったのは大多数が子供たちであることは理解しているつもりでしたし、帰ってこなかった朝鮮人の子供が大勢いることも想像がつきます。原爆戦災誌は何度も目にしているのに、数に関しては疑問を持たずに見ていました。そもそも朝鮮人被爆者数に関してはどう調べると正確な数に近づくのか、いつも困っていたのにです。関さんのご指摘は目からウロコでした。関さんの推測は非常に説得力がありました。なぜこうした数字の中に朝鮮人が隠されていることを考えなかったのか、と反省しました。
本著は長年、ジャーナリストとして活躍されている関さんの鋭い視点が貴重な歴史の資料として、朝鮮人被爆者に関しての問題提起となっていると思いました。関さんは毎年8月、平和公園内でフィールドワークを開催し、建物疎開の子供たちの悲劇を伝えています。また広島平和記念資料館の展示に建物疎開の子供たちについて展示するようにも訴えています。もちろん、その中に朝鮮人の子供たちがいたことも加えるようにです。戦後71年経っていますが、まだまだ考えてみることがあるのではないか。発見されることもあるのではないかと思見ました。名著でした。
| 固定リンク
「本を読んで・映画を見て」カテゴリの記事
- 映画「ひろしま」を見て(2019.09.04)
- 映画「主戦場」を見ました。(2019.06.21)
- 日本の被爆者援護の根幹について書かれた意義深い論文~ 『原爆被害者対策基本問題懇談会(基本懇)についてー何が語られ、「報告」はどのようにつくられたか』田村和之・広島大学名誉教授 (2019.05.30)
- ドキュメンタリー映画「アイたちの学校」を見ました。(2019.05.12)
- ドキュメンタリー映画『ブラジルに生きるヒバクシャ』を見て(2018.10.25)


最近のコメント