広島にいる在日外国人たちの今~その①在日コリアン被爆者として生きる
先週は連休でしたが、いかがお過ごしでしたか。広島では週末といえば平和関連の集会が開かれていることが多々あります。時には集会が重なることもあり、どちらに行こうか迷うことも度々です。先月末、広島市内で「広島の「在日」を考える」集会がありました。そこで広島で暮らす外国人の調査報告や当事者の方たちから生の声を聞くことができました。内容が豊富だったので、数回に分けてご報告します。
この「広島の「在日」を考える」集会は被爆した在日の経験を記憶し、広島に暮らす在日の声に耳を傾けることで、国際平和都市広島で共に生きることを目的に同実行委員会により2001年から年に1度、行われています。13回目の今回は第一部「在日コリアン被爆者として生きる」第二部「シンポジウム 在日外国人の教育について考える」の2部構成で開かれました。今回は第一部の被爆者証言をご紹介します。
16歳で被爆したRさんは島根県生まれの在日コリアン2世。親は慶尚南道出身です。まだRさんが幼い頃、広島県に引っ越してきました。学校に入り、同級生からのいじめはありませんでしたが、大人が差別したといいます。鉄道の入社が決まった時のことです。学校の先生が鉄道の合格通知を見て、手紙をRさんに渡し「これをもっていけ」と言ったのだそうです。こっそり中身をみると「○○○(通称名)朝鮮人」と赤字で書かれていて、大変だと思ったRさんは書かれたものを消しゴムで消して、無事、鉄道に入社したのだそうです。差別は就職に影響を与えていたのです。以後、Rさんは在日コリアンとしてではなく、“日本人”として生きてきました。それは名前に現れています。去年、Rさんはピースボートに乗り、1年間にわたって被爆証言を行いました。それまで通名を使っていましたが、ピースボートに乗る際、初めて本名を使ったのだそうです。「ピースボートに乗ることで初めて自分の名前、自分の国に対して意識するようになった」とおっしゃいました。そしてピースボートでのRさんの証言を知ったアメリカのNGOが在日コリアンの苦労を聞きたいというので、アメリカで話をしたといいます。現在、証言活動に忙しい日々を送られているRさんにとっての契機は本名を名乗ることでした。今でこそ本名を名乗る方々も多くなってきましたが、大多数の方々は通称名です。なぜ通称名で生きてこなければならなかったのか。私たち日本人は今一度、考えてみる必要があるのではないでしょうか。
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