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2012年3月 5日 (月)

ヒロシマでフクシマ、イラクの今を聞く

 「もう」というべきか「まだ」というべきか、大震災と福島原発事故が起きてから1年がたとうとしています。今も放射性物質を出し続けている原発事故の全容ははっきりと知らされていない一方、事故当初の様々な動きが今頃になって表面化し、事態の深刻さはさらに増してきているような気がします。先月末、広島市内でフクシマとイラクの現状を聞く集会がありました。1年前も言葉がでなかったのですが、この度の集会でそれぞれ現地の状況をお聞きし、再び言葉を失くしました。

 イラクに行った方の話によると、国際空港のトイレですら破損したまま、町中の建物は破壊されたままの姿で、移動には完全武装の警備が必要ということでした。そしてファルージャでは砂嵐があると病院の内部にまで砂が入り込み、ガイガーカウンターは鳴りっぱなしだったということです。ファルージャから来られた整形外科医と心臓外科医の先生方はアメリカのイラク攻撃後から新生児の先天性異常が増えていると話していました。具体的には整形外科の先生からは指がつながっている、多指などの「上下指肢の異常」と、心臓外科の先生からは心室隔膜異常などの「先天性の心臓疾患」です。自宅などで出産した場合や流産、死産などの場合は病院には来ないので、これらのことを考えると、実際はかなり多いと考えられるということでした。戦争で被害を受け、まだ復興ができていないファルージャの病院では日本のような治療ができず、「治療を諦めるか」「高額なお金を使って外国の病院に行く」しかないと話されていました。米軍によるイラク攻撃に使用されたのは劣化ウラン弾でした。劣化ウラン弾からの放射性物質が原因なのか、他の要因があるのかは分かりませんが、先天性異常の赤ちゃんは今も増え続けているということでした。

 フクシマでは現在、住み続ける方と引越しをする方とで町が二分し、さらに震災前は一緒に住んでいた家族はバラバラに住むことを余儀なくされているということでした。街も家族も引き裂かれているのです。逃げる判断をいつするのか、除染と言っている間は逃げることができないと話していました。さらに例えば除染作業をしてきたお父さんが帰ってきた時、靴や作業着など、どこに置けばいいのか、洗濯はどうするのかと言った、具体的なことが分からず、生活自体が大きく変わっているといいます。

「広島の人たちは除染という言葉を聞いて、どう思うのだろうかと考えました」という話に、はっとしました。戦後、広島の復興は被爆者の方たちの手によってなされ街は見事に再生しました。被爆者の方たちは一体どれほどの被曝を受けているのかと思いました。集会冒頭の挨拶で「終戦して2年後に広島に移り住んだ友人が、自宅で土を掘ったら人の骨やガラス、お金などが出てきた。そのうち掘る度に鼻血が出てくるようになった。掘れば掘るほど鼻血は大量に出る。不思議に思っていたらしい」という内容の話をしていました。もちろんこのお話に出てくる方は被爆者ではありません。しかし被曝者かもしれないのです。

 何をしたらいいのか。頭が真っ白になりそうですが、まず事態を把握すること。そしてそれぞれの経験や知識を出し合うことが緊急の課題だと思います。

 

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