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2010年5月31日 (月)

自分の親のために泣け!ハルモニの言葉を噛みしめました。

 10年ほど前になるでしょうか。韓国にあるナヌムの家に行った時のことです。ハルモニと交流し、1泊した翌日の早朝、私は一人、庭に出て花を眺めていました。そこに日本語の上手なハルモニがやってきました。こんな朝早くに人がいるとは思わなかったのでしょう。私の顔を見て少し驚いた様子でした。挨拶を交わした後少ししてから、ハルモニは「私の話を聞いて涙する人がいるけれど、私に涙するくらいなら自分の親のために泣けと言いたいよ」と言ったのです。強烈な言葉でした。その時、私はその言葉の意味を自分なりに考え、理解していたつもりでした。しかし私は理解していなかったことを、キチンと受け止めていなかったことを、ついこの間、実感しました。

5月のある日、親の金婚式を祝うために家族が集まりました。集合場所は愛知県蒲郡市です。なぜここに集まったのかというと、父親の疎開先だったからです。戦時中、小学生だった父親は2年間、蒲郡市内の寺院に疎開しました。終戦直前、家族で北海道に開拓に入ることになったのですが、この蒲郡のお寺から親に連れられて父親は北海道に旅立ったのです。名古屋は父親の生まれ育った故郷であり、蒲郡は温泉地で懐かしい場所なので、この地で金婚式を祝うことにしたのです。数年ぶりに家族が揃い、楽しい宴を過ごしました。

翌日、私は父親の疎開場所であったお寺に同行しました。父親にとっては戦後初めて訪れることになったので65年ぶりです。父親に案内されたお寺は古い歴史を感じられる大きな寺院でした。大きなお寺を中心にして、境内にはいくつも小さなお寺がありました。境内に入ったとたん「この鐘は前と同じ」「ここでご飯を食べた」「ここは女子が寝泊まりしていた寺でこっちが男子」とまるで昨日までいたかのように私たちに説明してくれました。父親が寝泊まりし、勉強していた寺院は小さなお寺のひとつでした。最初、父親は「外から見るだけで十分」と言っていたのですが、せっかく来たのだから、可能であればお邪魔させていただこうと説得し、私が住職に交渉しに行きました。するとあっさりと快諾してくださいました。聞くとご住職は、普段は京都のお寺に行っており、たまたまこの日は帰ってきていたとのこと。またいつもは法事があるのですが、この日はなぜか無かったとおっしゃいました。疎開のことを話すと、「私は戦後生まれて知らないのですが、母親からはよく話を聞かされました。私の姉が疎開された生徒のみなさんに大変、可愛がられたと言っていました。時々、その時の生徒さんがみえますよ。どうぞどうぞ、ごゆっくりしてください」とお茶やお菓子まで出してくださいました。そして「残念なことに母はもう他界し、その時のことは母から聞いたことしかわからないんです」と話されました。ご住職の話を聞いている父親が突然、黙ってしまいました。そして次の瞬間、こぶしを目にあてたのです。びっくりしました。父親が泣いているのです。祖父母の葬式の時にも涙を見せなかった父親が泣いているのです。私は、とても、とても、驚きました。涙する父親を見たのは初めてだったからです。しかしその涙も一瞬でした。父親はすぐに顔をあげ、ご住職と穏やかに話し始めたのでした。

後日、義母にこの時の様子を話すと「その話を聞いて涙がでそうになった。お父さんはきっと名古屋に帰りたかったんだと思う。普通は親と離れて暮らした疎開先にはいい思い出なんかないと思う。よっぽど故郷が恋しかったんだと思うよ」と言われました。私はその言葉を聞き、思わず涙がこぼれました。今まで、在韓被爆者や在日韓国朝鮮人の方々から故郷を離れて暮らし、懐かしむ思いをたくさん聞いてきたのに、そのことを自分なりに考えていたと思っていたのに、自分の父親もまさに同じ思いを抱いていたことになぜ思い至らなかったのか。悔しくて、父親のことが愛おしくて涙が止まりませんでした。冒頭のハルモニの言葉はまさにこのことでした。親の話をもっともっと聞かなければ、そう思いました。

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