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2010年4月 9日 (金)

軍都廣島を歩いて見てください①

 前回、広島の復興の名残について書きましたが、今回から少しばかり遡って戦前の軍都廣島時代をご紹介します。被爆で殆ど残っていないのですが、軍都時代の町並みを想像しながら今の広島を歩くと、見えてくる景色も違って映るのではないかと思います。
 まずご紹介したいのが広島駅新幹線口。そもそも現在の山陽本線の前身は山陽鉄道といい、戦時中は兵士や軍需物資を運ぶ重要な交通手段でした。海外出兵する多くの兵士は広島の宇品港から出ていましたので、国内各地から広島に来るための大動脈だったのです。広島駅から宇品港までは軍用鉄道が作られました。今はその名残を見ることは難しいのですが、線路跡などは一部残っています。
 広島駅の北側には東練兵場がありました。ここは1890年に設置され、日清戦争や日露戦争、第一次世界大戦、アジア太平洋戦争時の拠点の一つとなりました。今は面影もなく緑豊かな二葉山に住宅街が広がっていますが、当時は軍用地だったため一般人はあまり住んでいなかったようです。しかし朝鮮人はそこにいた可能性があります。なぜなのか。はっきりしたことは分かっていませんが、軍用地内で地下壕が掘られていた可能性があるからです。広島の強制連行を調査する会編『地下壕に埋もれた朝鮮人労働』の本文中に在韓被爆者がここで地下壕を掘っていた可能性を示唆する文章が紹介されています。また私が以前、お話しをお聞きした在韓被爆者の方も「広島駅の裏で防空壕を掘った」と話していましたし、他の在韓被爆者の方のお話しを聞くと、どうやら周辺には朝鮮人の飯場がいくつもあったようなのです。しかし残念ながら私がお聞きした在韓被爆者の方は具体的な場所を覚えていませんでした。実はこの広島駅裏付近の飯場で働いていた在韓被爆者の方たちで、被爆者健康手帳を取得するのが困難な方がいます。軍用地だったために証明が難しいのです。以前もお話ししましたが地下壕は秘密裏に作られるため、一般人には存在すら知らされていませんでした。ましてやそこで働いていた人たちのことは知る由もありません。また戦後、地下壕は埋め戻しされる場合も多く、コンクリートで入口をふさがれている場合ならまだ分かりますが、傾斜工事などで入口もろともコンクリートで固められている場合などは片鱗すら分からなくなります。証拠も証人もなければ手帳は発行されません。この場所は、在韓被爆者が被爆者として認めてもらうのに難しい場所の一つだと私は思っています。
 さあ新幹線口に出て、周辺を歩いてみてください。そして大勢の軍人が歩き回り、朝鮮半島の方々が汗を流しながら働いている姿を想像してください。あなたは戦時中の廣島の姿を見ることができるはずです。そしてその時、手帳が発行されない在韓被爆者の方がいることを、少しの間だけでも思い出してください。その時あなたは何を感じるのでしょうか。

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