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2010年4月15日 (木)

軍都廣島を歩いて見てださい②

 先日、原爆資料館の昨年度の入館者数が140万人を越えたというニュースがありました。5年連続の増加だそうです。広島に関心を持つ方々が増えているということですから嬉しいニュースです。そこで来広の際は被爆だけではない昔の軍都・廣島の顔も覗いてみてはいかがでしょうか。
 さて今回は西練兵場です。西練兵場は東練兵場より15年も早い1875年に設置されました。場所は現在の八丁堀付近から西方面に向かって相生橋までです。広島城近くに第五師団司令部が置かれ、陸軍幼年学校や陸軍病院など多くの施設がありました。広島をご存知の方ならお分かりになると思いますが、現在の広島市の中心部です。今はデパートやビルが建ち並ぶ繁華街ですから、こんな一等地に広範囲に渡って軍隊があったのかと驚くと思います。当時の繁華街は言うまでもなく、現在の平和公園です。
 この西練兵場から少し北に行くと工兵隊がありました。被爆時、ここの工兵隊にいたのが在韓被爆者のKさんです。Kさんは師範学校在学中の1944年日本軍に徴兵され、廣島の西部第二部隊に入隊しました。Kさんは日本に来て在日朝鮮人の生活を見て愕然としたと言います。いい仕事についていない朝鮮人が多かったからです。日本人の朝鮮人差別を朝鮮半島にいた時から経験してきたkさんは「腸が煮えくりかえるような思いだった」と振り返りました。Kさんにとって祖国での生活も軍隊での生活も、民族の誇りを傷つけられることばかりだったからです。しかし当時はそんなことをおくびにも出さずに幹部候補生となり、立派な日本軍の軍人として“日本人になりきって”いましたが、心の中では朝鮮独立への思いが強くあったと言います。
 8月6日、たまたまKさんは工兵隊に行くことになりました。空を旋回するB29を見たと言います。次の瞬間、被爆。「必ず生き延びなければいけない」と近くの防空壕に逃げ一命をとりとめました。この際、背中に火がつき大やけどをし、今でも跡はケロイドになっていると言います。帰国後、Kさんは教員になり、在韓被爆者運動を始めました。同じ在韓被爆者が大変な苦労を強いられているのを見て忍びなかったからです。その後のKさん、郭貴勲さんの活動は現在の在外被爆者対策に大きな大きな功績を残しています。
 西練兵場の跡は広島城などに行くと所々にありますので是非、探してみてください。
 

 

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