平岡敬さん“ヒロシマ”を語る
70年代の始めから在韓被爆者問題をとりあげていた平岡敬さんの講演会がありました。中国新聞社編集局長、中国放送社長、広島市長を経験されておられるのはご承知の通りですが、今回は日本ジャーナリスト会議広島支部主催の第10回「ヒロシマ基礎講座」ということで、ジャーナリストとして“ヒロシマ”をどう見ているか、「広島の平和観(メモ)」というタイトルでお話しされました。被爆後から現在までの原爆投下に対する日本政府や米国、そして広島市民や被爆者たちの思想が語られ、原水禁運動、加害責任と歴史認識、ジャーナリズムの役割やこれからのヒロシマの視点など話題は広範囲に渡り、どれも興味深いものでした。
この度あらためて感じたのは「情報」が持つ力でした。占領軍のプレスコードによる報道規制で原爆の被害を伝えず、旧日本軍の行為を暴露することで悪いのは日本軍だったと日本国民に植え付ける。そして原子力の平和利用という思想が生まれ、原爆犠牲者は人類の文明のための犠牲者という考えが出てきた。これが広島市民の思想の根底につながっているのではないかと平岡さんはいいます。プレスコードが終わった後、ようやくマスコミが自由に原爆の被害を報道することで平和運動が広がっていったようですが、こうしたダイナミックな流れをお聞きすると「情報」の社会的影響の強さと意義を実感させられます。
しかし一方でマスコミへの峻厳な指摘もします。占領軍の規制時代、メディア自身が自主規制していたのではないかということです。その証拠に当時、記事の発禁事例はたった1つだけだったといいます。ドイツでは戦時中にあった新聞社は戦後全て無くなったらしいのですが、日本の新聞社は戦後も続いています。そうした体勢の中でのマスコミと権力の関係について危惧されていました。
マスコミだけの課題ではないと思ったのが、被爆体験の継承です。被爆体験を実際にはできないけれど追体験をどうしていくかは社会全体の問題だと感じました。
また私にとって新鮮だったのが「ヒロシマの感情」でした。平岡さんは「平和のために、人類を守るためにヒロシマの哀しみを乗り越えること」で、被爆者は怒りを抑圧されたのだといいます。その中から出てきた思想が「世界連邦」で、54年に広島市議会で「世界連邦都市宣言」が満場一致で決議されたのだそうです。原爆の惨状を知っているヒロシマは国家への帰属意識を失い、戦争への意識がなくなったのではないかというのです。私は広島がそのように早くから地球市民という意識を持っているとは知りませんでしたから、とても興味深いと思いました。
しかし決して怒りがないわけではなく、アメリカが原爆投下の間違いを認め、謝罪する時、初めて「赦す」のではないかというのです。「これからは訴える平和ではなく、創り出す平和にしていくこと。かつて世界連邦都市宣言をしたヒロシマだからこそ、地球市民意識に回帰し、戦争を人類の生存を脅かすものとしてとらえ、環境問題などと連動していくことが必要なのではないか。核兵器廃絶が最終目的ではなく、人類が豊かで安心できる公平公正な世界を創ることこそ、ヒロシマの視点なのではないか」と話を締めくくりました。
いただいた多くの資料の中に平岡さんが書かれた文章があり、そこには「ジャーナリストが人間の立場に立って世界と未来を見て仕事をするとき、いまの危機的な核状況を変える道が開ける、と私は思っている。」(核問題とメディア 被爆60年とジャーナリズムの責務 求められる人間の立場に立った報道』(新聞研究No649))と書かれていました。今回の「ヒロシマ講座」には新聞社やテレビ局などのマスコミ関係者が50人ほど参加されていました。平岡さんの意志を受けついだメディアの方々がいる限り、報道の力が衰えることはないのではないかと希望を持ちました。
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