在朝被爆者の思いが綴られた映画『ヒロシマ・ピョンヤン』
今年の3月現在、厚労省が把握している被爆者は約36カ国に4200名ほどいますが、そこに北朝鮮の被爆者は1人しか含まれていません。しかし在朝被爆者は1911人が確認されており、現在382人が生存していると言われています(「反核平和のための朝鮮被爆者協会」調べ)。生存率わずか20%という状況の中、被爆者はどのような生活を送っているのでしょうか。伊藤孝司監督のドキュメンタリー映画『ヒロシマ・ピョンヤン』は被爆者の暮らしぶりの一部を紹介しています。先日、試写会があり見る機会を得ました。北朝鮮に行くことができない私にとっては大変に興味深い映像でした。
家族の中でただ一人北朝鮮に渡ったRさんは首都平壌で家族と暮らしています。ピアノがありソファがある生活空間は豊かな暮らしを連想させます。テーブルいっぱいに並べられた食事を終え、後かたづけを始めたRさんはおもむろにゴム手袋をはめます。Rさんにはゴム手袋をはめなければいけない理由がありました。両手の指1本1本に包帯が巻かれているからです。原因は分からないのですが、指の皮が剥がれてくるというのです。このほかにも消化器など病魔に襲われていました。2004年、母親が訪朝した際に被爆者であることを初めて告げられ、自分の体を蝕んでいる正体を知りました。Rさんが被爆者したのは4歳で、広島市外に住んでいたため被爆について分からなかったのです。母親は結婚に影響がでることを恐れ隠してきましたが、Rさんの体の状態を見て被爆者であることを話す事にしたのだということでした。広島に住む母親は娘の姿が映った映像を食い入るように見つめます。一方、何気ない日々の暮らしの中で被爆者であることを実感していくRさんは、日本にいる母親に会いたいと懇願します。この映画は、親も子も互いが行きたくても、会いたくてもできない状況に【国】とは何かを考えさせられます。そして“ヒバクシャはどこにいてもヒバクシャ”であるはずなのに、北朝鮮にいる被爆者に何もしていない日本の被爆者援護の対応に疑問を抱きます。
現在、北朝鮮にいる被爆者は日朝関係という国と国との問題で、被爆者であれば受けられるはずの援助を受けることができないでいます。Rさんも被爆者健康手帳を取得したいのですが、付添人の入国許可が下りず広島行きを断念せざるをえませんでした。在外公館のない北朝鮮では在朝の状態で手帳取得も難しいでしょう。援護法では北朝鮮の国民であっても援護の対象になっていますが、現況は援護がない状態なのです。
原水爆禁止日本国民会議が出した『放置された在朝被爆者 現状と課題』の中で北朝鮮にある被爆者の協会、反核平和のための朝鮮被爆者協会は“被爆生存者たちが適切な支援をもらえるように1日も早く被爆者の治療に必要な医薬品、医療設備の提供など、わが国の被爆者問題を解決するための実践的措置を速やかに講じるべきであります”と述べていますが、その通りだと思います。国交のない国や日本から遠く離れた国、被爆者の数が少ない国ほど被爆者医療は進んでいないはずです。被爆者は自分の体の状態もわからないまま不安な気持ちで日々を送っていると思います。60年以上も続く痛みを抱え、苦しんでいるのです。
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