家族の中心は台所から?!在日1世 母親の思い
長年、使い続けている物はありますか?先日、お話しを聞きに伺ったお宅で50年以上も使っているというお釜を見せていただきました。蓋は木製で釜本体は鉄製の、1升は炊けると思われる大きさのレトロな風情の品物でした。「結婚した時に買ったんよ。今でもチェサなどで家族が集まる時に、これでナムル作るんよ」と話していました。この方は在日1世の被爆者で、修学旅行生などに証言活動をされています。この日は結婚前のお話しから被爆のこと、終戦後のことなどお聞きしました。新聞などマスコミで取り上げられることも多い方ですが、あらためてお話しをうかがい、在日コリアンとして、母親として、女性としての生き様に胸を打たれました。
Kさんは幼い時に母親が亡くなりました。覚えているのは4歳くらいの時のこと。道ばたの側溝にKさんが落ち、母親が助けてくれたのだそうです。その時、チマチョゴリでKさんをくるんでくれ、それが母親に関する唯一の記憶だといいます。その後、父は再婚。継母の作る料理はニンニクが入るので、ある時、学校で「臭い」と言われたことがあったそうです。その後、継母の作る料理を食べずに、醤油をかけた御飯だけ食べていたら、栄養失調になってしまったのだそうです。上の学校に行きたかったのですが親の反対で行けず、友達が女学校に行く時間帯を避けて行動したといいます。仲良くなった女の子が従軍看護婦として戦地に赴いた時のことを話された時は目にいっぱい涙を浮かべていました。話が戦中から被爆のことに及ぶと、急に顔がこわばりました。「今、こうしているのは生かされているから。被爆証言をするために生かされているのだと思っている」そう強く言いきるKさんは様々な人の死に会い今も心を痛めていました。戦後の生き様も逞しいものでした。戦後、結婚し夫婦で飯場をしたといいます。数々の現場を歩き、子どもを背負いながらの労働は大変だっただろうと思いますが、「苦労」という言葉は一度も出なかったように思います。戦後、苦しい中でずっとKさんが大事に守ってきたもの、それは“家族”です。その思いは暖かさに満ちています。「夫の誕生日は必ず家族で集まるようにしてるんよ」。家族全員が集まる時に活躍するのが冒頭にご紹介したお釜です。結婚した時は2人分の御飯が作られていたのでしょうが、子どもや孫など今は家族が増え、数十人分のおかずをこしらえています。大事な家族を支える中心になっているのが、あのお釜だったのです。幼い時に母親を亡くしたKさんだからこその家族愛だと感じました。「もし私ができなくなっても、家族の集まりは続けてほしいんよ」そう言いながら釜を愛おしそうに見つめるKさんに、思わず私自身の母親を思い出していました。
早速、北海道にいる母親に長年愛用しているものを尋ねると「そうだねえ、結婚した時は何もなくて、ボーナスが出るたびに、一つづつ買いそろえてたからね。そうそう最初に買ったのが味噌入れ。あの味噌入れが欲しくて、欲しくて。あれは今でも使ってるよ」。母もやはり台所用品でした。半世紀使っています。
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