頼もしくもあり 羨ましくもあり 〜西南学院大学上映会を終えて
学生さんの力と可能性はなんて頼もしいのだろうと、この度の上映会でつくづく感じました。そしてこのような学生さんたちが、素敵な未来を創造してくれるのだと嬉しくなりました。
先週の土曜日、福岡にある西南学院大学で上映会がありました。今回の主催者は法律を勉強されている九州の大学数校の学生さんたちのグループFSLです。学生さん自らが企画運営しました。当日は『土の記憶』『狂夏の烙印 在韓被爆者になった日から』の上映、東琢磨さん(音楽評論家、著書『ヒロシマ独立論』)との対談、その後FSLの方たちとのグループディスカッションが行われました。「打ち合わせ」から「打ち上げ」まで、学生さんたちが積極的に動き、てきぱきと進めている姿に好感を持つと同時に眩しく感じました。事前にいただいたFSL西南チームが作成した『在韓被爆者問題に関する報告書』では、歴史から始まり問題点など分かりやすくまとめられていて、熱心に調べた内容になっていました。被爆の問題は、非常に複雑で多岐に渡り奥が深く、調べれば調べるほど、簡単に考えることができないことが分かってきます。在外被爆者問題も同様で、植民地支配、被爆後の補償など、その一つ一つに膨大な課題を抱えています。私自身、全く分からない状態から少しづつ調べながら、まだまだ調べきれずにここまで来ていますが、学生さんたちも、その問題の複雑さや大きさを少しでも感じることができたのではないかと思います。僭越な言い方で申し訳ないのですが、それを感じることができただけでも、すでに在外被爆者問題を理解する一歩になったのではないかと思います。
グループディスカッションの中で、きちんと答え切れなかった質問があったので、この場を借りてお話ししたいと思います。答えらしい答えになっていないかもしれませんが、あの場で言えなかったことです。
学生さんから「映像の中でアメリカという言葉が出てこなったが意図はあるのか。在韓被爆者からはアメリカという言葉は出なかったのか」と質問されました。私は「(米軍による原爆投下という言葉を使うことを)意識していなかった。在韓被爆者に対して(アメリカの原爆投下に対する)気持ちを聞いていない」と答えました。もちろん私自身はアメリカの原爆投下に対しては当然、罪であり、なんらかの形で補償する責任があると思っています。原爆投下の罪に関しては、2006年7月に広島で「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」が開かれ、国際法違反で元米国大統領や米国関係者に“有罪”の判決を下し、米政府や国際司法裁判所に判決文を送っていますので、原爆投下の罪は私は明白と考えています。在韓被爆者もアメリカに対しては1963年にはソウルのアメリカ大使館に被爆者の実情を訴えるなどの行動を起こし、以後もアメリカ大統領にメッセージを送るなど行っています。ですからアメリカに対する思いが無いのではありません。
しかし今回の映像の目的はアメリカの罪を問うものではなく、日本の植民地がもたらしたもの(在韓被爆者を描く場合、どうしても植民地支配がテーマの中心にならざるを得ません)を描いているため、原爆投下そのものについてはある意味、避けたのです。問題が膨らみすぎるからです。原爆や戦争がもたらしたものの第一は“人間”“人生”に対する被害です。ですから今回は戦後の生き様中心の証言になりました。ただし確かにご指摘の通り、アメリカによる原爆投下の文言は一言あってもいいと思いますので、それを加えようと思っています。
“原爆”については被爆二世で考えていきたいと思っています。原爆について考えることは長く複雑な道のりで、困難を極めるものになるのは必至です。今の私には簡単に原爆について語る術を持っていません。しかし私は原爆について考えることは過去を考えることではなく、未来を考えることだと思っています。昨日の25日、北朝鮮が核実験を行いました。もし核爆弾が日本の上で使用されたら、被爆者は私自身になります。原爆の被害者の方たちは、未来の私の姿になるのです。そうならないように、そして被爆者の方たちがこれ以上に苦しまないように、原爆や戦争について知ることが大事だと思い映像制作を続けています。今回のように学生さんたちが自ら企画し運営する中で、何か一つでも原爆について行動しようと思うことがあれば、それは核を持たない国・日本を継続させる大きな力となり、世界から核を無くす一助になることと信じています。
この度は色々な出会いもあり、とても有意義な時間を過ごすことができました。皆さん、本当にありがとうございました。
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