日本兵として被爆した韓国人Kさん 半生を語る
「私は日本に足を向けて寝られないですよ。恩人がたくさんいるから。だからいつも中国に足を向けて寝ているんです」。在韓被爆者Kさんの講演会はジョークで始まりました。先週土曜日、在韓被爆者のKさんが来広し、広島平和記念資料館で講演会がありました。マスコミや被爆者運動関係者の関心も高く、会場には80人ほどが集まり、Kさんの話しに耳を傾けました。
Kさんは徴兵制適用の第一期生として入隊し広島にやってきました。1944年9月のことでした。被爆の時、背中に大やけどを負いました。直後の光景は地獄のようなありさまだったといいます。水を欲しがった人にあげなかったことを今でも後悔しているようでした。陸軍病院の分院となった学校に行き、手当を受けましたが2日間昏睡状態になりました。そこでは毎日、何十人という人が亡くなっていました。自分も死ぬかもしれないという不安の中、なんとか持ち直し15日、日本の敗戦を知ります。「韓国が独立できた」と感激し涙が出たといいます。その年の9月に帰国。徴兵されてから1年目のことでした。韓日の国交が正常化になり、日本に行きたいという思いが強まり、67年、広島にやってきました。「綺麗な広島になっていた。天と地の差だった」と当時を振り返ります。そして日本で原爆の実態や被爆者運動について知り、韓国に戻ったKさんは韓国原爆被害者協会の創立に尽力を注いだのです。
Sさんの被爆者健康手帳の裁判、Kさんの手当裁判を経て、ようやく在外被爆者へ日本の援護の手が行くようになりましたが、課題がなくなったわけではありません。被爆者健康手帳を持っていない被爆者への政治的解決、原爆症の認定、医療費の上限撤廃など、一番必要としている被爆者へ援護が行き届いていない状況はまだ続いているのです。韓日併合から100年にあたる来年、Kさんは何か行事をしたいと話していました。「忘れるものは忘れて、追求することと区別してやっていきましょう」という言葉でKさんの話しは終わりました。
植民地がどういうことなのか分からないまま子ども時代を過ごし、日本人から差別を受けながら学生時代を過ごしたKさん。日本人より優秀な日本人にならなければと、勉強も運動も頑張ったといいます。日韓関係や在日コリアンの方たちとの関係など、韓日併合した100年前の日本と現在の日本はどこが変わったのか。何をして、何をしてこなかったのか。100年経った今だから見えてくるものがあると思います。日韓が友好してつきあっていくために、過去を見つめ直す作業は大事なことの一つです。それには両方からの視点と確かな検証が重要であることはいうまでもありません。
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