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2009年3月

2009年3月25日 (水)

二重被爆の認定

 昨日24日、長崎市が広島と長崎の2箇所で被爆した被爆者の被爆者健康手帳に「二重被爆」の記載をしたという記事が、今日付けの中国新聞に載っていました。「二重被爆」の認定を受けたのは長崎市に住む93歳の男性で、2006年公開の映画『二重被爆』の主人公です。新聞によると、手帳に二重被爆を記載した例は他にはなく“極めて珍しいケース”だといいます。ご本人は「自分が死ぬ前に二重被爆の記録を残せてよかった」というコメントをされています。
 この方は当時、長崎市の三菱重工業造船部の技師をしておられたようです。広島に出張中に被爆し、長崎に帰った後、再び被爆されました。私は映画を拝見させていただきましたが、1度でも大変な出来事に2度も遭ってしまうということに改めて、驚愕しました。そしてこの事実をどのような形で証明していくことがいいのか考えました。
 実は「二重被爆」については、この映画公開のかなり前に、在韓被爆者の方から聞いたことがありました。当時、手帳を持っていない、長崎で被爆したハルモニ(おばあちゃん)が「広島と長崎の両方で被爆した人もいるんよ」と話していたからです。私はその時とても驚きました。広島からまた長崎に行くというのはどういうことなのか。よく理解できませんでした。しかし少し考えてみると、被爆の翌日には避難列車が出ていたのです。数的にはそう多くないにしろ、列車に乗って親戚や知人のいる長崎に避難することを考えた被爆者がいたことを想像するのは、さほど難しいことではありません。
 今回、「二重被爆」が手帳に記載されたというのは、今の時点ではとりあえずいい方法だと思います。映画という形で証言を残すことも大事ですが、やはり心身に対する影響を考えると、何かしら対策をとる必要があると思っていたからです。また加えて、現在、手帳の記載には1号被爆(直接被爆)、2号被爆(入市被爆)といった区分でしか記載がありません。しかし多くの被爆者は直接被爆し、そして家族などを捜しに入市もしているのです。つまり放射能をたくさんあびているのです。私は以前から、こうした状況も記載するべきだと思っていました。
 もちろん手帳を取得する際に状況を聞かれているので、直接被爆して入市もしていることは書類には残っているとは思いますが、これは公開されるものでも、証明書でもありません。現法ではいずれか1つの区分しかありませんから、放射能を何重にも浴びた実態が記載されていないのです。もし二重被爆が手帳に記載されるなら、この直接被爆や入市被爆、加えて3号被爆(死体処理及び救護に従事した者等)も併記することも検討してはどうかと思います。そうすればより被爆者の心身状態、被爆の実態が分かり、被爆者への治療も進むことにつながると思うのです。

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2009年3月17日 (火)

原爆症認定申請の来日条件撤廃を!

 昨日の月曜日に韓国から男性の被爆者が来る予定でした。しかし病気で倒れてしまったため、来日できなくなってしまいました。この男性は食道癌を患い、原爆症認定を申請する予定でした。私がお手伝いさせていただくことになっていた方がこうした事態になりとても残念です。
 現在、在外被爆者が原爆症の認定申請をするためには来日が条件となっています。被爆者健康手帳(以下「原爆手帳」)の申請も在外公館でできるようになったのに、今だに原爆症の認定申請は来日しなければいけないのです。今回の男性も原爆症と認定され得るだけの条件は整っていたようです。もし在外公館で受け付けられていたら、もっと早くに申請でき、原爆症と認定されたかもしれません。そうすれば月々の支給額が大幅に増やされ、医療費への負担も軽減されたはずです。現在、男性は呼吸困難で意識不明の状態だといいます。もう2度と来日することはできないと関係者から連絡があったようです。原爆手帳の時もそうでしたが、最も必要な方に手が行き届かない現状が続いています。こうしている間にも、病状が悪化し来日できなくなっている方がいます。在外被爆者への援護はまだまだ手薄で、やるべきことが山ほど残っているのです。
 2月中旬、在外被爆者と支援団体が厚労省と交渉しました。韓国、ブラジル、アメリカの3カ国の代表がそれぞれ要望書を提出し、各国が抱える課題などに早急に解決するよう求めたのです。要望の中には原爆症認定の自国申請も含まれていました。重い病を抱えて闘病している在外被爆者にとって来日は大きな壁となっているからです。申請は必要な書類さえ整えば提出可能です。なぜ来日する必要があるのでしょうか。
 今回の要望書を拝見していて、各国共通で“証人”の課題は大きなものだと感じました。2人の証人が必要だというのは、戦後64年経った現在では難しいを通り越して、無理です。韓国の要望書には「“空の星を取ってきなさい”というのと同じくらい、とうてい不可能なことです」と書かれています。そもそも証人がいなくて原爆手帳の申請を放棄した方が大勢います。自国で申請を受けられるようになっただけでは、援護が受けやすくなったとは言えないのです。直接被爆でさえこのような状況ですから、入市被爆の場合はさらに困難を極めます。入市したことを証明することは不可能に近いからです。この証人問題を緩和しなければ、原爆手帳の取得ができないたために援護は不可能です。また大変な思いをして、ようやく申請を出したのにも関わらず、原爆手帳の申請の最中に亡くなった方は大勢います。申請してすぐに原爆手帳が発行されることはまずないからです。私が知る限り最低1年以上はかかります。苦しんでいる被爆者が海外にいる。この現実を厚労省の方が肌で感じ、自分のことのように対策を講じてくれるよう現地視察を切に望みます。そして一刻も早い解決をしてください。被爆者にとって時間は直接、命につながるものなのですから。

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2009年3月 6日 (金)

死者への尊厳を綴った「おくりびと」

 先日「おくりびと」(滝田洋二郎監督)を見てきました。いい映画でした。よくできた脚本でした。“死を想う”ことをさせてくれました。対馬で漂流した遺体の話を聞いてきた後だけに、この映画を見て死者への尊厳をあらためて考えました。死は何時、何処で訪れるか予想もつきませんが、もしその時家族がいなくても“死を想ってくれる人”がいれば、せめてそれだけでもいいのかもしれません。遺体は“死を想ってくれる人”がいて初めて“死者”になるのではないかと思いました。
 まずこの映画で強烈に感じたことは“死者への尊厳”でした。死者=遺体で、無機質なものと思いがちですが、遺体にも“人格”があるということ。動かないけれど、話さないけれど、その形がなくなるまで、人間として最後の人格が遺体には備わっているのだということを感じさせてくれました。
 映画に登場した死者の方々はまさに“人生”そのものを体現していました。女性になりたかった男の子や家族に愛されて大往生したおじいさん、おばあさん、捨ててしまった息子を思いながら孤独死を迎えた父親など、様々な死が出てきます。死者は黙って横たわっているだけですが、その姿から放つものは雄弁です。「ああしたかった。こうなりたかった」「幸せだった」「会いたかった」と語りかけます。人格を持つからこそ、そうした言葉が伝わってくるのです。家族が家族を思うことは日常そう多くはありませんが、死者の最後の顔は残した家族への強い思いが現れているのかもしれません。
 映画の主人公が最初に出会った死者は孤独死で腐敗した遺体でした。死者というより“死体”がそこにあるだけで、人格を感じさせることはありませんでした。腐敗する前なら“遺体=死者”だったかもしれません。しかしそこにあったのは訴える力すら感じられない無機物に変わった人の姿でした。そうした状況を見たからこそ、葬式前に納棺師が行う儀式(という言い方でいいのでしょうか)の必要性、重要性がよく伝わってきました。棺桶に入ると、あとは火葬場に行くだけです。人間としての姿がなくなるのです。この世で誰にも換えられない唯一無二の人として最後の姿を見せてくれるのが納棺師の仕事だと思いました。そして肉親や愛する人たちにとって死者とじっくりと向き合い、語らい合う最後の団らんの場が葬式なのだということを、しみじみと考えさせてくれました。
 
 


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