対馬旅行記① 国境を持つ島の仕事
3泊4日で対馬から帰ってきました。初日は天気が悪かったのですが、翌日からは晴れました。島の北から南まで80kmぐらいあるそうですが、豊かな自然の中、縦断してきました。対馬から釜山まで近い場所では50kmほどしか離れておらず、天気がいい日には釜山が見えるようです。古くから続いている朝鮮半島との交流の歴史に触れ、国境の島が持つ大きくて深い役割を知りました。
初日の雨はある意味、いい経験でした。というのも日本から韓国へ帰国する際、台風などで帰ることができなかった方々の状況を、僅かばかりですが知ることができたからです。この日は強い風が吹き、時化ていたため漁船は出ていませんでしたが、私たちは沖合の小島に行くために船に乗りました。乗せてくださった船は6人乗りで、かなり揺れました。泳げない私は多少不安になりました。海難事故で帰国できなかった朝鮮半島の人々は大勢います。もちろん反対に韓国から日本に帰国する日本人も同じだったと思います。当時、帰国がいかに命がけだったのか、波にゆられながら思いを馳せました。
1945年の9月、大きな2つの台風が対馬を襲い、日本から韓国への帰国船が難破しました。船に乗っていた大勢の朝鮮半島の方々が死亡し、生存者は僅かだったと言います。北部にある小島に遺体がたくさん流れ着き、その時救助や遺体処理にあたられた方とお会いしました。その方は今でも、この場所に来ると当時のことを思い出すのだそうです。状況を鮮明に覚えておられ、私たちを案内しながら「ここで遺体を発見した」「ここが遺体を焼いた場所」と指さしながら説明してくださいました。日本に移り住み家族で帰国する途中だったのでしょう。遭難した方々は子どもや女性もいたといいます。遺体を火葬した場所の岩は赤く変色したままの状態になっていました。怖かったことでしょう。苦しかったことでしょう。母国を目前にして息絶えた方々の無念はいかばかりだったのかと思うと、胸がつまりました。その時の遺骨は対馬から東京に移され、今も帰国できないでいます。
対馬の北部などでは頻繁に遺体が流れ着くようです。韓国から流れてくることも多く、その都度、地元の方は手厚く葬っておられました。対馬の方々にとって海で亡くなった方への思いはひとしおのものがあるようです。漁師の方が海上で遺体を発見し、行方を見守っているうちに韓国の領海に入ってしまい拿捕されてしまったという話しも聞きました。「母国にお返ししたいけれど身元が分からないので」と、遺骨を保管しているお寺の住職はとても残念そうに話されていました。韓国の方と思われる遺骨は、お寺などに無縁仏として葬られています。
陸にも海にも国境はありますが、潮の流れを国境で遮ることはできません。対馬の方々のご苦労と思いに頼るだけではいけないと思いました。韓国人の遺骨をそのままにしていいのでしょうか。柔軟な日韓の話し合いが必要だと強く感じました。
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