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2009年1月28日 (水)

「狂夏の烙印」映像編集後記

 私は戦争という悲劇がもたらしたもの、後遺症が続く原爆という大量破壊兵器のむごさを伝えようと、在韓被爆者の方から話をお聞きしてきました。今回その話をまとめていくうちに、日本の植民地支配がどういうものだったのか、その一端が垣間見えたような気がしました。戦争以外で被った在韓被爆者の苦しみを、僅かですが感じたのです。
 「当時は“日本人”になるしか仕方がなかった。しかし内心は腸が煮えくりかえるような場面もあった」とある被爆者は証言しました。またある方は「徴用で仕方なく日本に牛をおくった」と話されました。植民地時代のことは本や映画などで知っていたつもりでした。当時の状況を話される方々は、私が日本人であることを当然ご存知です。恐らくかなり気を遣ったに違いありません。それでも私には耳障りのいい内容ではありませんでした。目の前でお聞きすることで、当事者の痛みが直接伝わってきました。私は知っていたつもりであっても、痛みを感じていなかったことを実感したのです。
 同化主義という、民族を否定するような理念が、朝鮮半島の方たちの自尊心をどれくらい傷つけたか。韓国はただ地理的に“近い国”ではないのです。昔から文化や人などを互いに交流させ合って発展してきたのです。時には悲しい出来事や歴史もありましたが、それらを乗り越えて今日に至っているのです。在韓被爆者の方たちは自らの体験からそのことを教えてくださっているのです。
 日韓交流が盛んになることはとても素敵なことです。私は人と人とのつきあいはまず“思いやり”から始まると考えていますが、痛みを知ることで相手への思いやりが生まれるのだとしたら、やはり日本人は植民地時代の朝鮮半島の方々の痛みを知ることが必要なのではないかと思います。それが互いへの理解にもつながります。今回私がお聞きした在韓被爆者の方たちは“近くて近い国にしようじゃないか”という気持ちで、本来は隠しておきたい胸の内を吐露してくださったのだと思います。

 

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