« 嬉しいニュースです。在外から原爆手帳の申請ができるようになりました。 | トップページ | 2作目制作中です »

2008年12月19日 (金)

平和記念資料館の展示内容見直し

 今朝の朝日新聞に平和記念資料館東館の展示内容を見直し、「軍都」部分を大幅に縮小する方針になりそうだという記事が掲載されていました。入館者が「軍都」部分に時間をとられ、被爆の悲惨さが薄れるということを理由にあげていました。ハッキリした年は分かりませんが以前にも展示見直しがあり、その際に「軍都」部分を拡張し、朝鮮人や中国人の強制連行などが取り入れられたということを聞いたことがあります。それは歴史認識という観点からも必要だと思いますが、それが今回の見直しで逆戻りしてしまい、戦争の実相が見えにくくなるのではないかと心配です。
 広島に来て間もない頃の話ですが、平和記念資料館を訪れた韓国人の方から「資料館では朝鮮人の強制連行や日本の侵略戦争について殆ど触れていない。自分たち日本人ばかりが被害者だといわんばかりの展示に怒りすら覚えた」という声を数人から聞いたことがありました。その時はまだ広島と朝鮮半島の関係についてのドキュメンタリー映画を制作するという気持ちすらなかったので、正直、話している意味がぴんときませんでした。ただ展示について不快に感じていることだけは理解できました。しかし今は軍都廣島はやはり欠かすことのできない部分であると感じます。それは資料館を訪れるアジアの方々のためだけではなく、ヒロシマのためにも必要ではないかと思うからです。
 それはまず「原爆投下の理由が今だに公表されていない」ということが大きくあげられます。新聞記事を読むと「軍都だから原爆を落とされたと短絡視される恐れがある」ということを、有識者検討委員会で主張された方がいらっしゃったようですが、被爆以後からの歴史を説明されると「なぜ廣島、長崎に原爆が落とされたのか」という理由を考える手だてがなくなります。まず被爆前がどういう状況だったのかを説明するのはしごく当然のことです。当時、廣島以外にも飛行機の製造など重要な軍事拠点は日本各地にたくさんありました。仮にもし戦艦を狙うなら目標は「廣島」ではなく「呉」の方がいいのです。実際、呉は空襲がありましたが、「廣島は軍都だったから原爆が落とされたのか」とアメリカに疑問を呈することこそが必要なのではないでしょうか。アメリカやアジアなどで「原爆を落としたから戦争が早く終わった」という風潮があるのは事実です。それは本当なのか。それなら、なぜ長崎にも原爆投下が必要だったのか。2発目の意味は何なのか。「原爆投下の真実」を見つけるために一つ一つ検証していくことが重要なことだと思いますし、そのためには歴史が必要です。
 また被爆以前の「なぜ軍都廣島になったのか」「軍都廣島で何が起こっていたのか」は被爆後の被害のことを考える上で非常に重要です。雑ぱくに言うと、そもそも廣島は産業が少なかったため、軍都に名乗りを上げました。しかし軍都になったのはいいけれど兵隊などに男手がとられ、働き手がいなくなってしまった。そこで朝鮮半島などから労働力を求めたのです。10人に1人以上いたという朝鮮人被爆者はこうして誕生しました。もちろんアメリカ人などの捕虜や留学生もいました。被害者は日本人だけではなく、日本だけの被害に留まらなかったことを認識することが大切だと思います。
 また戦後、広島からは南米移民を多く出しました。被爆者すら移民せざるを得ない状況は、軍都廣島になった時の状況と同じだったのではないでしょうか。戦後、被爆者がどれだけ心身共に苦しんでいるのかは毎年繰り返される報道などで日本にいる方ならよくご存知のはずです。国外にいた被爆者は日本の援護策を何十年にも渡って受けることなく、被爆の苦しみにもだえながら暮らしてきたのです。原爆を落とした側であるアメリカの方たちにも知ってもらいたい事実です。
 もちろん「たった1発の原爆で都市が一瞬にして消えたこと」を見せ伝えることは重要です。原爆が大量破壊兵器以外の何ものでもありませんし、もう2度と使ってほしくないからです。しかし私は「原因」と「その後」も伝えることで、今も続く「ヒロシマ・ナガサキの悲惨さ」を訴え、「戦争の恐ろしい姿」「原爆の醜い真実」を知ることになるのではないかと思います。

|

« 嬉しいニュースです。在外から原爆手帳の申請ができるようになりました。 | トップページ | 2作目制作中です »

戦争」カテゴリの記事

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 平和記念資料館の展示内容見直し:

« 嬉しいニュースです。在外から原爆手帳の申請ができるようになりました。 | トップページ | 2作目制作中です »