2作目制作中です
現在、2作目の編集作業中で、来年早々には完成させたいと思って頑張っています。今まで撮り貯めていた映像を集めて作品にします。テーマは「在韓被爆者1世の戦後」です。2003年から在韓被爆者を支援する団体でお世話になり、多少ではありますが、在韓被爆者の方々の苦労を見聞きしてきました。年に最低1回は韓国に行き、被爆者の方々にお会いしてきました。広島に来る被爆者健康手帳の取得や各種手当ての申請の手伝いなど、韓国の被爆者の方と関わるたびに、帰国後の苦労を日本人として知るべきではないかと思うようになりました。なぜなら、植民地にしなければ日本に来ることはなかった方々であり、被爆者として当然受け取れる権利を持っていながら日本から受けられなかったからです。
ある方は「日本の韓国への差別意識が支援を遅らせた」と語ります。日本や行政に対する在韓被爆者たちの裁判を見ると、そう言われても反論できないと思います。在外被爆者が手帳を取得し、各種手当てを受けられるのも全て裁判で勝ち得た結果だからです。在外にいても日本にいる被爆者と同じように援護を受けられるようになったのは2003年からです。それまでは日本に来なければ被爆者援護は受けられなかったのです。被爆者として当然受けられるべき援護を受けずに、裁判中に死亡した被爆者はたくさんいます。もしもっと早くに国が「被爆者はどこにいても被爆者」という判断をしていたら、状況は変わっていたはずです。医療費が出たら、各種手当が出たら、病院に通うことができ治療もできたでしょう。死ななくてもいい被爆者がたくさんいた可能性は高いのです。アメリカが落とした原爆の被害は広島と長崎以外にはないということは自明の理なのですから。
現在製作中の作品は在韓被爆者の方々の証言で構成しています。なぜ広島に来たのか、なぜ帰国したのか、帰国後どういう生活を送っていたのか。在韓被爆者の方の中でも、ごく一般的な話が中心です。私がお会いしお聞きした話の中でよく聞いた内容を元に選んでいます。特別な話しも重要ですが、在韓被爆者の方が見て「当時はそうだった」と納得していただきたいからです。今のところ8人ほどの被爆者のお話をまとめようと思っています。実は映像に収めている方はもっと多いのですが、今回は帰国後について紹介したかったため、絞らせていただきました。私が帰国後にこだわるのは、広島にいた時よりさらに苦労をされているからです。戦争というのは終戦になったからといって、人々から苦しみを全て取り除くわけではありません。特に被爆者は放射能の影響からくる心身への苦痛から生活苦を強いられ、さらには差別などの社会的苦痛も味わっています。韓国語を話せない方々も当時はたくさんいました。私は学校に行っていない方はもちろんのこと、文字の読み書きができない在韓被爆者を数多く見ています。日本にいる被爆者も差別はあったと思いますが、韓国の被爆者は加えて「日本帰り」という差別にも遭っていたのです。その苦痛は図りしれません。
「戦争は今も続いている」当たり前のように言われ続けている言葉を私は在韓被爆者の方々を通して実感しました。戦後補償なしには終戦は迎えられないからです。そして日本の在韓被爆者への対応を見るにつけ、日本の国の姿が見えてくるような気がするのです。
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