広島に戦争博物館を!
先日の中国新聞で市内南区にある「旧陸軍被服支廠」の活用が決まらず、計画が13年間も凍結しているという記事が掲載されていました。この建物は『土の記憶』にも登場してもらったのですが、1913年に建設された鉄筋コンクリート赤煉瓦造り2階建てで、のべ床面積はなんと約2万1700平方メートルもあります。戦時中はここで軍服、軍帽、ベルトなどを製造、保管しており、数百人の女子挺身隊や動員学徒が働いていたと言います。私が会った在韓被爆者の女性もここで働いていたことがあると話していました。被爆建物でもあり、爆風で曲がった鉄の窓の扉が、原爆のすさまじさを物語る貴重な証拠にもなっています。確か塀の一部は広島平和記念資料館にも展示されていると思います。峠三吉の詩『倉庫の記録』はこの建物が舞台で、被爆した日から8日目までの生々しい被災者の様子が描かれています。8日目の中に「がらんどうになった倉庫。歪んだ鉄格子の空に、きょうも外の空地に積みあげた死屍からの煙があがる。」とあります。
戦後から1995年までは学校や寮、倉庫などとして利用され、以降は県が管理しているようです。博物館や美術館などの構想などが持ち上がったようですが、耐震改修費試算が約150億円以上と高額で採算などを考えると難しいとの理由で実現できなかったようです。問題は保存工事もされていない状態で利用が凍結され、取り組みすらしていないことです。完全放置状態です。このままでは峠三吉が見つめた歪んだ鉄格子は状態維持さえ危ぶまれます。
そこで私なりの提案を。まず一部だけでも改修補強工事をして戦争博物館にしてはどうでしょうか。建物は4棟ぐらいあると思いますから、その内の1棟だけなら負担も重くありません。博物館は軍都広島時代を中心に、倉庫及び図書室として戦後補償裁判などの裁判資料までも閲覧できるようにします。裁判資料の保存公開は以前から広島では話が出ていましたが、なかなか本格的な取り組みには至っていません。裁判資料は膨大であり、且つ非常に貴重な内容のものばかりです。戦争被害者である原告の生の声がありますから、一般に利用できるならかなり有益です。近くには旧糧秣支廠や宇品港などがありますから軍都廣島のフィールドワークなどができるよう案内人を置くと、さらに効果的な平和学習ができます。また余裕があれば残りの建物は思い切って、広島を訪れた方たちのための宿泊施設に改築するのはいかがでしょう。全てを残さなくてもいいのです。外観の一部でも残し、中身は全く別のものでも構いません。立派な施設ではなくてゲストハウス的なものでいいので、世界中から集まってくる方たちを安価で泊めてあげられるような施設にするのはどうでしょう。交通の便に関しては、ミニバスやレンタル自転車などを設置すればいいと思います。軍都廣島と被爆地ヒロシマを肌で感じてくれるに違いありません。戦争資料館と広島平和記念資料館のセットでより深く平和の尊さを訴えることができるのではないかと思います。戦争遺跡はやはり戦争の悲劇を伝えることが一番の役目だと思います。いかがでしょうか?
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