北海道に生まれたこと
祖父の生まれ育ちは愛知県で、先祖代々続いた家でした。そんな祖父が北海道に来たのは戦争と深い関わりがあったかもしれません。帰省した際、親から聞いた話です。
祖父と祖母、親たち兄弟は1945(昭和20)年8月15日を青森で迎えました。北海道の開拓団の一員として向かう途中でした。そこで玉音放送を聞いたようです。祖父は1925(大正14)年、いわゆる日中戦争が始まる前に陸軍の第15師団の輜重兵として入営しました。1928(昭和3)年に済州島を経由して6月に青島上陸。中国内陸部に行ったようです。そしてその年の8月には日本に戻って来ました。行くときは大阪港から出発したようですが、帰りは広島港でした。恐らく検疫するため似島に寄ったのでしょう。祖父が広島に来たことがあることを初めて知りました。帰国後、愛知県の地元に戻った祖父は教員をし、同じ教員仲間の祖母と家庭を持ちました。
日中戦争、アジア太平洋戦争が勃発し、戦争は激化の一途をたどります。そんな中、空襲で町が焼かれてしまい、祖父は一大決心をします。北海道の開拓団として安土桃山時代から続いた家から出ることでした。祖父は3人兄弟の末っ子で男は一人しか居ません。恐らく姉たちからは猛反対にあったと思うのですが、それでも妻と自分の子どもたちと一緒に北海道に渡ることにしたのです。実は祖父は召集令状を受けていました。しかし北海道開拓団として入植する者は兵役が免除されたというのです。自分はもちろん周囲にも農業経験者はいません。しかし祖父は山間地域の開拓の道を選びました。入植後試行錯誤しますが、やはりうまくいかず、結局は教員となり定年まで勤め、北海道で生涯を終えました。
祖父が中国の戦場で何を見て、何をしてきたのかは今となっては家族は知りようがありません。親も戦争の話は聞いたことがないと言っていました。しかし慣れない開拓、農業をするために北海道に来た理由の一つは、戦争に行きたくなかったからではないかと親は言うのです。今、生きている方々には誰にでも親や祖父母がおり、戦争をくぐり抜けています。戦争で人生が大きく変わった方々が大多数でしょう。祖父が北海道に来なければ私はいなかったことを考えると、複雑な気持ちになります。
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