トラトラトラ 12月8日
12月8日は日本軍が真珠湾を攻撃した日です。この時、真珠湾に密かに特殊潜航艇が5艘潜入しました。特殊潜航艇の役割は海底からの魚雷攻撃。海の特攻隊でした。特殊潜航艇の乗組員は計10名でしたが、全員が戻って来ることはありませんでした。空からの攻撃と比べて、この特殊潜航艇での攻撃は失敗しましたが、この乗組員たちは「軍神」と呼ばれたのでした。実は当時、乗組員のうち1名は捕虜となっていたのですが、その1名には「軍神」の名前が付けられないどころか、最初から9名の乗組員であるという発表になりました。
この特殊潜航艇は広島県の大浦崎という場所に開発製造基地がありました。1942(昭和17)年、呉海軍工廠は極秘裡に特殊潜航艇製作専門の工場を建設。翌年から特殊潜航艇の生産、搭乗員の養成、特攻兵器の研究、開発を行いました。ここで特殊潜航艇「蛟龍」を完成させ、人間魚雷「回天」も実用段階まできていました。
現在、この基地があった場所は公園となっており、碑が建立されています。この基地跡には何度か訪れていますが、この碑から離れること数十メートル先に特殊潜航艇基地の地下壕があります。ここはかなり特殊な形状になっていて、もう終わりかなと思うような広い空間に大人一人が身を縮めてようやく入ることのできる小さな穴が空いています。この穴を通り抜けると、再び巨大な壕が現れるのです。広島の強制連行を調査する会の調べでは組み立てや充電、格納場などがあったようです。潜水艇を作るだけあって内部の広さはかなりなものです。碑には「搭乗員の養成が始められ受講者は艇長、艇付、合わせて約2600名内、戦死者は439柱に及んだ、」と記され、養成以外でも研究、製造などに人が必要ですから、相当数の人数がこの基地にいたことになります。
私は戦争で死ぬのは戦場より別の場合が多いのではないではないかと思っています。碑には記されていませんが、この特殊潜航艇の訓練中、死亡者は少なくなかったといいます。特に人間魚雷と呼ばれる「回天」の訓練は過酷を極めていたようです。
同会の聞き取りによると確認までには至っていませんが、ここの地下壕を掘ったのは朝鮮人である可能性が出てきています。「朝鮮人がたくさん働いた」という聞き伝えがあるからです。この地下壕を掘っていた方々の中にも亡くなった方がいないとは限りません。しかしそうした方々の死は何一つ痕跡がないまま現在に至っているのです。「戦死」という言葉の裏にある真実と「戦争による死」の事実は、今でも隠されたままが多いのではないかと思っています。
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