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2007年11月 8日 (木)

ある少年のおいたち

 「出会い」は人間だけではなく、時には場所であったり、物であったり、言葉であったりと、様々な場面で「出会い」がありますよね。私は出会いに意味を感じてしまう方です。その時の自分にとって必要、もしくは大切だから出会いがあるのではないかと思うのです。先日、素敵な本と出会いました。それは高史明著『生きることの意味 ある少年のおいたち』です。
 ある日、出先で偶然に友人と会い、この本の話を聞きました。彼女は「とてもよい本なので、まだ読んでいなかったら読んでください」と言っていましたが、後からわざわざ本を送ってくれたのでした。この本は1974年に「ちくま少年図書館24」として刊行されたものでしたが、いただいたものは文庫本になっていました。内容は在日コリアン二世として生まれた作者が過ごした少年時代の自伝です。今、私がお聞きしている在韓被爆者や在日コリアンの方たちと同世代で、山口県という場所やアジア太平洋戦争中に少年期を過ごしたという時代背景は読んでいて、とても親近感が沸き、知り合いの方々と重ね合わせるようにして読みました。
 朝鮮人部落に住み、父親と兄との3人で生活していた主人公は、小学校という外の世界に出ていくことで「朝鮮人」という意識の芽生えと共に、様々な葛藤が始まります。朝鮮人であるがゆえの出来事は時には「死」を突きつけられる苦悩の日々の連続でした。「なぜ自分たちが日本にいるのか」「朝鮮人はなぜ貧乏なのか」「なぜ父親は朝鮮式の呼び方で自分を呼んでいたのか」ことあるごとに悲しみや苦しみと共に「疑問」が沸いてきます。自分と対比して考えると、小学生の頃の自分は「死」など考えたこともありません。当時の主人公の父親は今の私よりずっと年下だったはずです。そう考えると、わずか小学生で考えなければならなくなった主人公は、私から見るとすでに大人ですし、主人公を深く温かい愛情で育てていた父親は人間として立派に生きている気がします。
 解説は鶴見俊輔氏が書いていました。「私はこの本を、九歳の息子(とりわけ早熟というわけではない)からつよくすすめられて読んだ。この本について、熱心に私に話してくれた。私はおとな(それも老人)として、この解説を書いているが、それは、この本はおとなが読んでもおもしろいという証言であって、この本の主な読者は少年少女であり、その人たちには、ちがう読み方があるだろう。それを知りたい。」と書いてありました。私は驚きました。9歳の子どもが感銘を受けたことにです。決して明るい内容ではないのに親に勧めたのですから、思いを共有したかったに違いないのです。高史明氏はむすびに出会いは生きることの糧であると説きそのために大切なことは「(略)人はいつも、自分を見つめるように他人を見つめ、他人を見つめるように自分を見つめながら、その心を豊かにして、その目を澄んだものにしておくことが大切です。」と書いています。高史明氏の言葉は大人の私にも大切で必要なものです。「言葉の力」をまた実感しました。もし子どもの時にこうした本を読み、このような文章に出会っていたらと思うと悔しい限りですが、今だからこそ出会えたのかもしれません。Hちゃん、素敵な本をありがとう。

 

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