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2007年11月16日 (金)

唐辛子のある路地で

 昨日は戦時中、朝鮮人徴用工の宿舎があったという場所と戦中戦後に在日コリアンの方が多く住んでいた地域に行ってきました。先週の日曜日に在日コリアン2世の方を取材し、フィールドワークまでしていただいたので、その場所の撮影をしに行ったのでした。
 先日、話しをお伺いした2世のRさんは活動家として生涯をかけて頑張っている方です。なぜ自分たちが日本にいるのか、まずその歴史を知ってほしいと言って、日韓併合以前からの歴史を話されました。予定していた時間よりかなり長くなり、一度の取材ではどうにもこうにも終わらない状態になってしまい、再度取材をすることになりました。それぐらいRさんは訴えたいことがたくさんあったのです。こちらもお話しを聞けば聞くほど質問が出てきて、在日コリアンの方々について私自身いかに知らないのかを思い知らされました。
 今回は衝撃的な話をお聞きしました。それは被爆者の方からは必ず聞いていた内容だったのですが、噂にしかすぎないかもしれないと思っていた事柄でした。被爆者の方に帰国の理由を尋ねるときまって「なぜ帰国したのかというと、日本人が朝鮮人を殺すという噂が広まったからです。怖くて日本にいられないので帰ったんです」という答えが返ってきました。しかしこれには「朝鮮人が日本にいては困るから日本人がそのような噂を流して帰国を促したのではないか」という説もあり、私は両方ありかなと思っていたのです。しかし今回の取材でその噂が事実であったことを確認したのでした。
 戦後すぐ広島市内近郊のある町で、戦争帰りの青年が近くに住む在日コリアン一家を殺そうとした殺人未遂事件があったそうです。動機は「朝鮮人だから殺す」ということだったそうです。母親が「善良な人々を殺すなんて」となんとか引き留めたので事なきを得たのですが、殺されそうになった一家は事件後早々に帰国したということです。このことは近所にも知れ渡ったそうで、当時の様子を知る人が近年まで生きておられたそうです。この他にも犯人は分かっていませんが、朝鮮人が殺される事件が次々と起こったそうです。Rさんは「当時、朝鮮人が殺されたからといって、警察が真剣に犯人を探すとは思えない」と話していました。警察が犯人を真剣に探さなかったかどうかは分かりませんが、戦後の混乱期です。真実はどこにあるのか分かりませんが、朝鮮人が殺されそうになった、また殺されたことは確かだったようです。帰国した被爆者たちの間で流れた噂は根も葉もないことではなかったのです。
 私たち日本人から見ると敗戦後、朝鮮半島の方々からみると解放後になりますが、在日コリアンの方々にとって戦後は解放された喜びを感じると同時に日本での苦労の始まりとなりました。ある方は「解放前は差別をあまり感じた事はなかったけれど、日本人じゃなくなったとたんに差別を強く感じるようになった」と話されていました。昨日、撮影した場所にはそう多くはありませんが、今も在日コリアンの方々が住み続けています。「李」「崔」「金」といった韓国の名字の他に日本名が書かれている表札がかかっています。路地には唐辛子が干してあり、焼肉店や韓国の食材店もあります。昔をしのばせる廃屋もあり、同胞が片寄せ合って生きてきたことをしのばせました。1世の苦労を知らない4世、5世もいる時代ですが、今だに本名を名乗っていない在日コリアンが大勢いるのはなぜなのか、日本人の私たちが考えるべき事だと思います。

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