戦後補償解決への光明。強制連行で西松建設が中国人の元労働者に補償。
戦時中、広島に強制連行された中国人の方たちが強制連行した西松建設を相手に賠償を求め最高裁で敗訴しましたが、勝訴した西松建設側が基金を設立し金銭補償をする条件で10月23日、中国人の原告たちと和解しました。
この西松建設の裁判は、1944年に中国から広島県安芸太田町の安野発電所に強制連行され過酷で危険な労働を強いられたとして、中国人の元労働者たちが西松建設に損害賠償を求め98年に広島地裁に提訴したものです。一審では原告側の請求が棄却され、二審では逆転勝訴となりましたが、2007年の最高裁で「日中共同声明で中国国民は裁判での賠償請求権を失った」として敗訴しました。しかし西松建設側と原告との和解を付言していたことを受け協議を続け、この度ようやく和解が成立したのです。
西松建設は2億5000万円を信託して基金を設立し、その中から補償金や所在不明労働者の調査、工事現場の記念碑建立などの費用にあてるようで、補償金額は一人あたり100万円以下になるようです。中国新聞(24日付)によると西松建設側は「(違法献金事件など)不祥事を踏まえ、新生西松建設となるべく、過去の諸問題について見直しを続けてきた。その中の大きな課題として、強制連行があり、最高裁判所の付言に対し、どう応えていくのかという問題があった。」と話しており、謝罪も和解事項に盛り込まれると見られています。
安野発電所で働いていた中国人の方の中には広島で被爆し、死亡した方もいます。働いていた収容所内での抵抗行為で広島市内の刑務所に収監されていたのです。寒い冬にも関わらず草履にセメント袋姿で労働をし、むしろでの寝起きでした。いつも飢えていたといいます。そうした過酷な労働状況の中での抵抗行為だったようです。被爆の中、生き延びて中国に帰国しましたが、被爆者として被爆者健康手帳を持つことができずに死亡した方もいるようです。
24日付の中国新聞には「自主的な賠償に乗りだした西松建設の対応は、戦後補償問題の解決に新たな道筋を示した。」とあり、日本が残してきた戦後補償解決へ向けて大きく前進したことは間違いないようです。しかしこれはあくまでも企業レベルでの話しであり、国としての対応ではないことも考える必要があると思います。
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