2023年12月 9日 (土)

よいお年をお迎えください

今年は終わりの見えないウクライナ戦争に加え、10月イスラエルとパレスチナの間に大規模な紛争が起こりました。107日、ハマスがガザ地区からイスラエルへの攻撃を始め、それに対抗してイスラエルが空爆で応酬したのが始まりでした。イスラエルのパレスチナ自治区への攻撃は虐殺といっても過言ではないほどの状況となっています。イスラエルの攻撃は民間人しかも女性、高齢者、子どもといった非戦闘員が多くの対象となっており、爆撃する場所も民家、病院、学校と生きていくうえで欠かせない場所をハマスのアジトだとして攻撃しています。四面楚歌のパレスチナ自治区は水や食料品、医療品といった生命維持に必要なものが枯渇状態で、幼い子どもや赤ん坊の痛ましい姿や破壊された町の景色と、SNSに流れてくる画像は見るに堪えないものばかりです。絶望するパレスチナの人々に対して何もできない自分を悲観しています。世界中で戦闘停止、パレスチナへの人道支援の大規模なデモがおこり、SNSでの抗議も続いています。一刻も早い停戦を願ってやみません。

 長崎の被爆二世の二審裁判はいよいよ来年2月に判決がでます。遺伝的影響を訴えるための専門家への尋問はなかったため、一審の資料を判断材料にするようです。今のところどうなるかは全くわかりません。長崎についで広島も判決がでます。被爆二世への援護につながる判決がでるよう祈っています。

 今年はほとんど活動できず、ブログも更新できませんでした。来年は活動を再開できればと思っています。

みなさん、お体ご自愛下さい。そして、よいお年をお迎えください。

 

War is over

If you want it

War is over  Now

Happy Xmas (War Is Over)」ジョン・レノン&オノ・ヨーコ

 

 

|

2023年1月 6日 (金)

謹賀新年 本年もよろしくお願いいたします

2023年が始まりました。昨年は2月にロシアによるウクライナ侵攻により戦争が勃発しました。そして今も続いています。日本ではコロナ禍が継続し、人々の生活は今もコロナ禍前には戻っていません。失うものしかないコロナ禍が続いているのです。ウクライナの戦争もコロナも一国だけの問題ではなく世界中を巻き込む大事象です。今年はどうなるのでしょうか。考えると不安が募りますが前を向いていくしかありません。今を頑張ることで乗り切っていきましょう。

 

昨年1212日、長崎地方裁判所で被爆2世裁判の一審判決がありました。結果は原告の敗訴。長崎の被爆2世が負けました。被爆の影響を訴える被爆2世に裁判所がどのような判断をくだすか、判決はマスコミの注目を集めました。報告集会でも会場いっぱいにマスコミが押し寄せました。判決結果はその日のうちにテレビやネットニュースなどで配信されました。

 

当日は私も傍聴席にいました。開廷前に5分間のマスコミの撮影があり、その後開廷しましたが、なんと裁判は1分間ほどで閉廷しました。裁判長が読み上げた判決が数行だったからです。弁護団は別紙の判決文を読み込み報告集会で説明しました。冷静に解説してはいましたが弁護団の強い憤りは伝わってきましたし、支援者としても全く納得がいかない判決内容でした。判決は2世への援護に関して消極的なものでした。2世が被爆時に存在していないということで、被爆者とはならないという論理のようでした。裁判では被爆2世は生殖細胞による遺伝的影響があると訴えてきました。しかし裁判官は体細胞のみでの被爆しか被爆の判断基準にしなかったようなのです。なんのために専門家が法廷に立ったのか、これでは意味がありません。裁判官が理解できるまで、何度でも専門家が法廷に立てるのでしょうか。

長崎の被爆2世たちは1223日控訴しました。当然だと思います。広島でも2月に同様の裁判の判決があります。これからも裁判を見続けます。

 

 

|

2022年9月 7日 (水)

コロナ禍の広島2022②平和記念式典

翌6日の平和記念式典は今年も招待された参列者のみしか式典に参加できませんでした。私のような一般人や遺族であっても招待されていない人々は周辺にいるしかなく、残念な式典となりました。

式典が開催される原爆慰霊碑周辺はロープでとり囲まれ、市役所職員が人の鎖のように立ちはだかっていました。8月6日の慰霊をしたいという人々が全国各地から集まってきています。観光客と思われる人がロープに近づき写真をとろうとした際に、上司と思われる人が職員に向かって「近づかせるな」と怒鳴っている姿をみた時には、失望を禁じえませんでした。そこから慰霊祭の舞台まで簡単に見える距離ではなかったからです。安倍元首相の銃撃事件のあとですから厳重なのは仕方ないとしても、観光客を威嚇するような部下への叱責はいかがなものかと思いました。招待客以外は絶対に中には入れないという高圧的な感じです。そうであれば公園内総ての地域を立ち入り禁止にすればよかったのです。こうした緊迫感のある状況で平和記念式典が開催されたのです。

午前8時前に私は原爆ドーム前にいました。ドーム前ではいくつもの団体が集会を行っているからです。宗教団体や平和団体などが一塊になってそれぞれの集会を開いています。その中の一つに参加しました。そこでは815分に「ダイイン」が行われます。黙とうの代わりに1分間、地べたに寝ころび死者に思いをはせるものです。最初に見た時はとても衝撃でした。まるでそこで亡くなったかのように人々が思い思いの姿で倒れています。実際、原爆が投下された時は、ここにいる何百倍もの人々が横たわっていたのだと思うと、恐ろしさが募ってきます。核実験後のドーム前での座り込み行動と同じく静かな抵抗と激しい怒りを訴える行動です。

同じ時刻、式典では黙とう・平和の鐘に引き続き、広島市長による平和宣言、放鳩、子供たちによる平和への誓いが行われます。今年の松井市長は、日本政府に対して核兵器禁止条約の締約国会議への参加と、一刻も早い締約を促しました。こうした核兵器廃絶に向けた具体的な強い姿勢を広島市長がとることは今までにないことではなかったかと思います。これは松井市長が被爆二世であることや平和首長会議の広島開催などが考えられますが、平均年齢が84歳を超え、いまだに心身や生活に苦しみが続く被爆者を市長が身近に感じているからに他ならないと思うのです。77年間、被爆のトラウマを心に抱え、体に放射線のダメージを受け続けている被爆者を広島の人々は見ています。生活状況を知っています。多くの死を経験しています。ロシアによるウクライナ侵攻で、核兵器の使用をにおわすような戦争に広島は立ち上がったのだと思うのです。

コロナ禍の広島は今年も人々の平和への強い希求であふれていました。二度と核兵器を使わせない、戦争反対という広島の願いは、様々な形で世界に向けて発信されていきました。

 

 

|

コロナ禍の広島2022①韓国人原爆犠牲者慰霊祭

今年もコロナ禍のため、広島の平和記念式典は入場者を規制しての開催となり、前5日に行われた韓国人原爆犠牲者慰霊祭は例年通りに開催されました。2つの慰霊祭について、ご報告します。

 

 8月5日に開催された在日本大韓民国民団広島県地方本部主催の「第53回韓国人原爆犠牲者慰霊祭」は午前10時から平和記念公園内にある韓国人原爆犠牲者慰霊碑前で行われました。国歌斉唱などの国民儀礼の後、死没者の名簿が慰霊碑に奉納されました。今年は16名が新たに加わり2,802名の被爆者の名前が納められました。在日本大韓民国民団広島県地方本部団長は追悼辞で「併合と戦争の歴史の中で不幸にも大切な命を奪われた韓国人原爆犠牲者の御霊に哀悼の意をささげます。英霊たちの犠牲と先輩方の努力が無駄にならぬよう、世界平和のために努力していくことを改めて約束します」と誓い、平和と命の尊さを次世代に伝えることが使命だと述べました。式典には被爆者の遺族や民団関係者、関係団体など約130人が参列し、韓国人の原爆犠牲者への哀悼の意を捧げていました。

 

今年の死没者名簿の中には在日コリアンの被爆証言者であった李鐘根さんが含まれていました。慰霊祭目前の730日、盲腸癌のため93歳で急逝されたのです。

李鐘根さんは韓国原爆被害者対策特別委員会委員長として国内外でご活躍されていた方でした。亡くなる数日前まで慰霊祭に参加されることや被爆証言などの打ち合わせをされていたようです。突然のことでご家族はもちろんですが民団関係者始め鐘根さんを知る方々は相当驚いたようです。慰霊祭には鐘根さんの娘さんお二人が来席されていました。献花では娘さんが鐘根さんの遺影を胸に大きな花束を慰霊碑に捧げていました。ご存命であればそれは鐘根さんが務める予定でした。

 追悼辞では在日本大韓民国民団広島県地方本部団長や在日本大韓民国民団中央本部団長、駐広島大韓民国総領事のすべての方が鐘根さんの逝去について触れていました。司会の方が鐘根さんの名前を呼ぶ際、涙ぐむといったこともありました。式典終了後には娘さんたちの周りを取り囲むように、マスコミを含め多くの方が挨拶にいき、鐘根さんがどれほど慕われていたのか、改めて実感しました。

私は逝去のニュースをネットで見つけ、すぐ知り合いに電話し詳細をお聞きしました。鐘根さんが盲腸癌であったことや奥様を今年初めに亡くされていたことなどをお聞きしながら、なぜもっと早くに連絡をとり鐘根さんから話をお聞きしておかなかったのかと後悔の念にかられました。いつもお元気で会えていたため、それがずっと続くとどこか安心していたのです。鐘根さん不在の慰霊祭で本当に鐘根さんはこの世にいないのだと感じ、カメラで撮影しながら悲しくなっていた時、娘さんに抱かれた遺影の中でお洒落な鐘根さんが笑っていました。私の知る鐘根さんの笑顔でした。私は生前の鐘根さんを撮影していました。鐘根さんは「イトウさんあとは頼むよ」と言われたような気がしました。悲しみと継承への思いを強くする被爆77年目の慰霊祭となりました。

 

|

2021年10月 5日 (火)

リモート集会で被爆二世運動の可能性を感じました

昨年からリモートの集会が増え、私もちょこちょこ参加するようになりました。先月9月12日に神奈川県原爆被災者の会二世・三世支部が主催する「被爆二世問題・運動の歴史と今後の展望」というリモート講演会があり参加しました。日本国内のみならず、ヨーロッパやアメリカなど海外からの参加もあったようで最高の視聴時には200人以上が参加していたようです。今回はリモート集会の報告と感じたことをご紹介します。

 

「被爆二世問題・運動の歴史と今後の展望」は2部に分かれ、1部は森川聖詩氏(神奈川県原爆被災者の会二世・三世支部副支部長、広島平和文化センター被爆体験伝承者)による「被爆二世問題・運動の歴史と今後の展望」、2部ではゲストスピーカーからの発言でした。ゲストスピーカーは「京都被爆二世三世の会」世話人、個人被ばく線量計データの利用の検証と市民生活環境を考える協議会代表、毎日新聞広島支局の記者、広島市原爆被害者の会二世・三世部会の方で、それぞれの活動紹介をされました。1部も2部も充実した内容でした。コメント欄には多くの方が質問やご自身の知識などを残され、とても勉強になりました。

 

森川聖詩氏による「被爆二世問題・運動の歴史と今後の展望」では、森川氏が行ってきた長年の二世活動と二世問題とは何かなどについて語りました。ご自身も病弱だった森川氏は1969年に2世の声を集めた本を出版し、2世が抱える問題を社会に訴えました。70年代に神奈川県で被爆者援護の運動があり、2世の定期検診実施などの要求が組み込まれました。しかしその後、東京都議会で被爆者への差別発言などがあり、森川氏は関東被爆二世連絡協議会をつくり2世活動を本格化させます。以降、会報の発行や厚労省交渉など関東で活動してきました。日本被団協の代表としてNPTへの参加や広島平和文化センター被爆体験伝承者として被爆体験も伝えています。NPTで読む予定だった文章がとても印象的でした。少し長くなりますが抜粋してご紹介します。

「被爆二世は、社会的な偏見と差別に苛まれてきた。若い頃、結婚や就職において被差別体験のある人もいる。結婚し子どものいる人も、被爆三世である子どもの健康や差別の問題とこれについての不安、子どもが結婚している場合でも被爆四世である孫が健康な体に生まれるかどうかという不安なども抱えている。このように核兵器の特徴と人類の生存を脅かす恐ろしさの一つは、次世代以降にも深刻な被害が及んでいくことだ。そしてそれは戦争だけでなく核実験、核兵器製造に必要なプルトニウムを抽出するための原発の稼働に必要なウラン採掘への従事や原発内で働くなどの被曝労働、原発事故による周辺地域住民の被曝等により、すでに世界中に核被害は広がっており、しかも、その被害、影響は次世代以降に及んでいると思われる。核被害者が保障される社会の実現とあらゆるかたちの核の廃絶は、決して切り離すことのできない両輪であることを強く訴えるものである」。

核被害を被爆2世だけにとどめず世界に目を向けたヒバクシャ運動を森川氏は展開しています。

 

ゲストスピーカーの発言ではこれからの2世活動の道しるべとなる活動報告がなされました。「京都被爆二世三世の会」は同会が行っている被爆2世3世健康調査アンケートについて、「個人被ばく線量計データの利用の検証と市民生活環境を考える協議会」は福島県伊達市で調査された論文の撤回までの経緯について、「広島市原爆被害者の会二世・三世部会」は黒い雨裁判の意義についてなどが紹介され、2世調査の重要性や被ばく線量と人体に与える影響などが伝えられました。毎日新聞広島支局の記者の方は黒い雨訴訟について取材したなかで感じた被爆2世との相似点を話されました。「2世は被爆者援護法を受けるべく人たちではないかと考えている。援護法の基本は疑わしきは救済だ。科学的知見によりその結論に疑義が生じたならば、被爆者に該当するという結論を導く方向で用いるべきである」と被爆2世への国からの救済を訴えました。

 

ネットさえ繋がれば参加できるリモート集会はコロナ禍が過ぎても今後さらに増えるでしょう。原爆での被爆2世は世界にいるヒバクシャの2世3世たちの先をゆく方々です。世界とつながることで原爆の被爆2世たちが注目され、その役割が大きくなる可能性があります。日本の被爆2世3世たちに求められることも増えていくかもしれません。いつでも世界と瞬時につながるネット社会は沢山の協力者や仲間を増やしていくでしょう。今回のリモート講演会では研究者や活動家も参加されていたようです。リモート集会という新たな形は新しい運動形態の可能性を大いに秘めていました。

|

2021年9月 9日 (木)

コロナ禍の86ヒロシマ その③

まだまだ収束のゴールが見えないコロナ禍ですが、世界的規模での環境の変化がコロナ感染症の要因の一つにもなっているということを知りました。85日、広島市内で開催された「8・6ヒロシマ平和へのつどい2021」では、生物多様性と脱軍備というテーマで講演会が開かれ、そこで「感染症」についての関連性が指摘されました。

 

2010年名古屋で「生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)」が開催され、国際条約である「愛知目標」が合意されました。これは国際社会が協力して生物多様性の損失を止めるため2020年までに達成しようと掲げた目標です。この目標達成に従い2030年、2050年へとつなげていく予定でした。しかしコロナウイルス感染症の世界的な流行により202010月に中国で開催予定だった締結国会議は延期。今年以降も延期が続き世界的に重要な戦略計画が停滞しているのです。

 

そもそもなぜ国際的な生物多様性条約が必要なのかというと、生物資源が人間社会にとって必要不可欠なものだからです。ご存じのように近年の生態系の破壊や気候温暖化等により生物の大幅な減少が世界的な規模で深刻化しています。生物資源や遺伝資源は食品や医療品などのバイオテクノロジーやバイオ産業の発展のためになくてはならないため国際的な取り組みが議論されたのです。そして包括的な保全と持続可能な生物資源利用のため1992年に「リオ地球サミット」で国際条約である「生物多様性条約」が採択されました。その後の2010年には日本の名古屋で会議が行われ20項目の愛知目標が定められたのです。

 

2020年9月、報告書「地球規模生物多様性概況」が発表されました。残念ながら日本は愛知目標20項目のうち完全に達成されたものは一つもありませんでした。部分的には達成されたものもありましたがわずか6項目のみでした。その6項目のうちの1つは「少なくとも陸域及び内陸水域の17%、また沿岸域及び海域の10%の保護地域などにより保全」で、部分的での達成となっています。もし辺野古や上関の海が埋め立て工事などせずに自然のままの姿で保存されれば、日本における沿岸域や海域の保全の範囲が大きく広がるのではないかと予想されています。愛知目標が達成されるかもしれないのです。辺野古や上関の海にはそこにしかいない生物が生息しています。もしこのまま埋め立て工事をすれば、まさに種の絶滅にもつながりかねず、生物多様性が保全されるどころか失われてしまいかねないのです。愛知目標の次の目標では「少なくとも陸域海域の30%を保護区にする」という草案が出されています。現在よりさらに厳しい基準です。脱軍備、脱原発は生物多様性の観点からも重要な意味を持つのです。

 

2019年の「地球規模生物多様性概況 政策決定者向け要約」には生物多様性の低下が感染症の危機を広げコロナ禍のような事態が起きることへの懸念が記述されていたといいます。人間が行う開墾や生息地の分断、抗生物質の過剰投与が野生動物や家畜、植物に影響を与え、感染症が増える可能性があるというのです。

またIPBES(生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学-政策プラットフォーム)の専門家は20204月の論文で「これはほんの始まりにすぎない。将来のパンデミックの可能性は非常に大きい。人に感染することが知られているタイプの未確認のウイルス 170 万種が、哺乳類や水鳥にまだ存在していると考えられている。これらのいずれかが次の「疾患 X」になる可能性があり、それらは、COVID-19 よりもさらに破壊的で致命的な可能性がある」と書き、生物多様性の減少が、COVID19 とは異なるウイルス感染の確率を高めている可能性があると指摘しているのです。

 

講師の方は「2020年に当面の生物多様性の減少を食い止める方策を決めようとしていた重要な年にコロナ事態が発生した事実は重い。生物多様性を減少させ続ける人類文明の在りようを根本的に見直すことが必要だ。社会システム全体を根本的に再編成する必要がある」と強く訴えていました。生物多様性の減少の視点から脱軍備、脱原発を考えていくことは戦争だけではない人類の危機を食い止めることにつながるかもしれません。

 

|

2021年8月28日 (土)

コロナ禍の86ヒロシマ その②

8月6日はテレビ中継される平和公園だけで慰霊祭が行われているわけではありません。広島市内にある数多くの慰霊碑の前で関係者が集い慰霊祭を行っています。平和公園内にある韓国人原爆犠牲者慰霊碑の前では例年前日に慰霊祭が行われます。今年の韓国人原爆犠牲者慰霊祭も8月5日に開催されました。慰霊祭は1970年に本川橋の西詰に韓国人原爆犠牲者慰霊碑が建立された時から開催され、1999年に平和公園内に移設後も継続して行われてきました。今年で52回目となりました。

 

慰霊祭は在日本大韓民国民団広島県地方本部による主催のもと粛々と行われ、今年はあらたに13名が加わった2786名の死没者名簿が慰霊碑に奉納されました。コロナ禍の影響で昨年と同じように規模は縮小されましたが、招待客を招き一般も参列できました。報道によると180人ほどが集まったようです。

 

李英俊団長は追悼の辞で「原爆によって多くの韓国人が犠牲にあったという事実に心の痛みは耐えられません。犠牲者のみなさま、どうか安らかにお眠りください」と哀悼の意を表しました。この言葉は在日コリアンの方々にとって心からの思いです。朝鮮半島出身の被爆者が大勢いる事実は徐々に知られてはきましたが、近年までほとんどの日本人は知らなかったからです。

 

韓国人原爆犠牲者慰霊碑の建立のきっかけは、朝鮮半島の人々の原爆犠牲者が大勢いるにもかかわらず、韓国人の慰霊碑がないのはおかしいという一人の在日コリアンの男性の思いが発端でした。その男性の息子さんは原爆の犠牲となりましたが、息子さんの名前はある慰霊碑に日本の名前つまり本名ではなく通名で記されていたのです。日本に植民地支配され、日本名の使用を半ば強要され、亡くなってからも本名を名乗れずにいる息子を悲しく思うのは当然のことです。一人の男性の思いを受け、民族を超えて様々な人々が力を結集させ、韓国人原爆犠牲者慰霊碑が建立されました。韓国人原爆犠牲者慰霊碑の中におさめられた本名での被爆者の死没者名簿は韓国人として生きて亡くなった証となっているのです。8月5日に慰霊祭が行われるのは韓国では故人が生きていた日の夜に祭祀(チェサ)が行われることが由来だと言われています。6日が被爆した日なので本来は前日の5日の夜に行うのですが、それができないため午前中に行うことになったようです。

 

韓国人原爆犠牲者慰霊碑は亀のような形をした台座に龍の彫刻が彫られた螭首という装飾が施されている独特の形をしています。日本ではあまりみない形状に老若男女問わず訪れた人々は立ち寄り慰霊碑を眺め説明板を読みます。そしてその場を去る時、再度、慰霊碑を眺めていきます。碑は何も語りませんが、朝鮮半島の人々に起こった悲劇を人々に伝えているのです。原爆によって多くの韓国人が犠牲にあったという事実を日本人が知ることは、日韓の歴史を知ること、日本人が朝鮮半島の人々に何をしたのかを知ることです。朝鮮半島の人々に被爆の悲劇をもたらしてしまった日本の責任を知ることなのです。

 

 

|

2021年8月26日 (木)

コロナ禍の86ヒロシマ その①

2021年コロナ禍の平和記念式典は昨年同様に入場規制の中で行われました。一般席は設けず招待者のみの参列となりました。式典の前後は公園内へ入ることができませんので式典中は規制外で黙とうを行ったり、スマホで式典の様子などを見ている方々が大勢いました。今年は心なしか去年より規制外にいる方が多いような気がしました。昨年来広できなかった方が来られていたのかもしれません。本来であれば全国各地はもとより世界中から集まるのですから、やはり今年も寂しい86となりました。

平和記念式典は市民代表による市内各地から集められた水の献水、原爆死没者名簿の奉納、広島市長や遺族代表の式辞など従来の流れで進められたようです。しかし今年の松井・広島市長の平和宣言はいつも通りではありませんでした。日本政府への強い要望が込められていたのです。詳細はぜひ広島市のホームページでご覧いただければと思いますが、少し抜粋してご紹介します。

 

平和宣言で松井市長は「被爆後に女の子を生んだ被爆者は、「原爆の恐ろしさが分かってくると、その影響を思い、我が身よりも子どもへの思いがいっぱいで、悩み、心の苦しみへと変わっていく。娘の将来のことを考えると、一層苦しみが増し、夜も眠れない日が続いた。」と語ります。」と生涯続く原爆の影響を訴えました。原爆は過去のことではなく、76年経った現在まで続く苦しみであることを最初に語ったのです。

そしてコロナ禍の世界状況から「今、新型コロナウイルスが世界中に蔓延し、人類への脅威となっており、世界各国は、それを早期に終息させる方向で一致し、対策を講じています。その世界各国が、戦争に勝利するために開発され、人類に凄惨(せいさん)な結末をもたらす脅威となってしまった核兵器を、一致協力して廃絶できないはずはありません。」と核兵器廃絶は現実のこととして可能であることを語りました。

さらに「日本政府には、被爆者の思いを誠実に受け止めて、一刻も早く核兵器禁止条約の締約国となるとともに、これから開催される第1回締約国会議に参加し、各国の信頼回復と核兵器に頼らない安全保障への道筋を描ける環境を生み出すなど、核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかりと果たしていただきたい。」と核兵器禁止条約の締約国となることを日本政府に強く求めたのです。

 

現在未来まで続く被爆の障害、為政者がその気になればできる核廃絶、そして日本政府がすぐしなければいけない核兵器禁止条約の締約国と、宣言の内容は説得力があり力強いものでした。8月6日に被爆地である広島市長が世界に訴える意味は決して小さくありません。一つ希望を言わせてもらえるならば、松井市長ご自身が被爆2世であることを宣言の中に加えていただきたかった。被爆2世の言葉として世界中の人たちはさらに深く感じ取ったのではないかと思います。被爆者の平均年齢は83歳になりました。被爆当時は7歳くらいです。人生のほぼすべての時間、原爆を背負って生きてきました。被爆者が存命していることを、どのような思いで生きてきたのかを私たちは知る必要があると思います。

 

|

2021年1月26日 (火)

核兵器禁止条約が発効されました。시작이 반이다(始まりは半分)!

 2021年1月22日に核兵器禁止条約が発効されました。世界はいよいよ本格的な核兵器廃絶への道を歩み始めました。翌23日、地元紙である中国新聞では1面トップ記事で扱い、2面から4面までと、24面、28面、29面と大きな段組で関連記事が掲載されました。コロナ禍で集会などが中止になっているさなかですが、市内では条約発効の喜びにわく被爆者や市民団体の姿がありました。記念パレードや平和の集い、キャンドル集会、被爆者の映画公開など、コロナウイルス感染症に配慮しながらも広島の人々は思いを分かち合いました。また広島市長や広島県知事もメッセージを寄せ、広島の思いを訴えたのです。22日の各局のテレビ番組でも特集が組まれていました。被爆者はまさか自分が生きている間にこのような日が来るとは思わなかったと話していました。被爆から76年、広島にとって大きな喜びに満ちた日となったのです。

 中国新聞には条約の全文が掲載されていました。前文は特に読みごたえがありました。世界で運動してきた被爆者たちの役割がいかに大きかったかが伝わるものでした。被爆者の苦しみや、被爆者が長年にわたって核兵器廃絶に向けて闘ってきた成果が盛り込まれたのです。条約により被爆者はヒバクシャとなり、世界の共通語となりました。被爆者の思いが世界中に広がり、そしてこれからも広がるのだと感じました。その部分を一部抜粋します。

 

「核兵器廃絶への呼び掛けでも明らかなように、人道の原則を推進する市民の良心が果たす役割を強調する。国連や国際赤十字・赤新月運動、その他の国際・地域の機構、非政府組織、宗教指導者、国会議員、学会ならびにヒバクシャによる目標達成への努力を認識する。」

 

 条約発効でも世界中から核兵器を失くすには長く困難な道のりが待っているでしょう。しかし韓国には「시작이 반이다(始まりは半分)」という諺があります。「何かを始めたらそれは半分成し遂げたと同じこと」という意味です。核兵器禁止条約の発効はまさに核兵器廃絶の道筋をつけました。今はまだまだ細い道ですが、いつか王道になる日が来ると信じています。現在、批准した国は51の国と地域です。日本政府はこの条約に批准し、世界の国々、特に核保有国に対して核兵器は二度と使わせないという強い意志を表すことが始まりだと思います。核兵器は国民が持つものではありません。私たち国民は国が核兵器をもたないよう、核の傘に守られるという矛盾がないよう、これからも政府に働きかけなければなりません。

 

 

 

 

|

2020年12月31日 (木)

よいお年をお迎えください

2020年はコロナ禍から始まりました。

不穏な状況が1年間続き、

まだ収束に向かわないばかりか、ますます悪くなる一方です。

人間の行動によって状況が良くも悪くもなるというウイルス感染症は

人間の知恵が試されているようです。

 

辛い状況の中でも今年は核兵器禁止条約の発効が決まるという世界的にも歴史的にも大きな出来事がありました。

いよいよ1月には核兵器のない世界への未来がスタートします。

この条約も国家としての知恵が試されています。

いまは戦争被爆国の日本が批准していないという、とても残念で情けない状況です。

日本の批准が核兵器禁止条約にとって世界のスタンダードであることを是非とも認識していただきたいと思います。

来年こそ日本も条約に批准し、核兵器のない戦争をしない世界のリーダーとして日本が知恵を出す役割になることを願っています。

 

まだまだ世界中で新型コロナウイルスは猛威をふるっていますが、

ワクチンの開発も期待が持てます。

来年は核兵器でもコロナウイルスでも死ぬことがない、

平和な世の中がくるよう祈っています。

 

みなさま、よいお年をおむかえください。

 

イトウソノミ

 

 

|

«初の黒い雨地域拡大検討委員会が開かれました