2019年7月17日 (水)

86の広島からの平和宣言に注目です

蝉が鳴きはじめました。そしてもうすぐ今年もあの日がやってきます。8月6日の平和記念式典です。毎年読み上げられる広島市長による平和宣言は注目されていますが、今年は特に関心を集めています。というのも、日本政府に対して、核兵器禁止条約の署名・批准を求める文言を盛り込む方針であることが分かったからです。

平和宣言は核兵器廃絶と恒久平和への願いを世界に向けて発信するメッセージです。そこには広島市民、被爆者の思いと願いが込められています。広島市のHPによると、広島市民の平和への願いから1947年から平和祭が行われることになり、式典の中で浜井信三市長が平和宣言を行ったことが始まりのようです。

歴代の広島市長は時代に合わせながら、ご自身の思いも込めて文言を作ってきました。特に1991年の平岡敬市長の平和宣言は画期的な内容でした。日本の侵略戦争と植民地の人々への謝罪が含まれたものとなったからです。「日本はかつての植民地支配や戦争で、アジア・太平洋地域の人々に、大きな苦しみと悲しみを与えた。私たちは、そのことを申し訳なく思う」との言葉には、平岡市長ご自身が関わってこられた数多くの朝鮮半島の被爆者たちへの思いが込められていたと思います。

今年の平和宣言に関しては被爆者団体や反核団体などが松井市長に対し、核兵器禁止条約の署名・批准を日本政府に求めるよう強く要望していました。7月13日の中国新聞によると「1日も早い廃絶を目指して禁止条約を推進する被爆者たちの声を重んじ、政府による署名・批准を「被爆者の思い」と明言する方向。」と書かれていました。12日には有識者や被爆者の懇談会において文案が了承されたということなので、内容はほぼ決定されているということでしょう。1945年から74年間、被爆者が願い続けてきた核廃絶禁止条約が発効されようとしているのです。被爆地である広島市長が平和宣言で言わないでいつ言うのかと思います。

 

浜井信三市長の初めての平和宣言をご紹介して、今回は終わりたいと思います。

「今われわれが為すべきことは全身全霊をあげて平和への道を邁進し、もって新しい文明へのさきがけとなることでなければならない。この地上より戦争の恐怖と罪悪とを抹殺して真実の平和を確立しよう。ここに平和塔の下、われわれはかくのごとく平和を宣言する」。

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2019年6月21日 (金)

映画「主戦場」を見ました。

ミキ・デザキ監督のドキュメンタリー『主戦場』を見ました。慰安婦問題をテーマに、慰安婦問題とは何なのかを直球で描いたドキュメンタリーです。慰安婦の方々が出てくるわけではありません。慰安婦をめぐり日本とアメリカ、韓国でどんな立場の人々がどのように考え、どう伝えているのかがまとめられています。「人数」や「強制連行」「性奴隷」などについて研究者や活動家、ジャーナリストがインタビューで答えています。言葉と言葉の応酬でつないでいるため、122分という長さですが時間があっという間にすぎてしまいます。社会問題を取り上げていますが、チラシに書いてある「スリリング」という通り、誤解を恐れずいうと面白い映画でした。

 

監督は日系アメリカ人で、内容は自身が抱いた慰安婦問題にまつわる疑問を日本、アメリカ、韓国で研究者や活動家、ジャーナリスト、政治家など様々な人に会い、質問を投げかけていくというものです。取材人数27人という数に感心しましたし、やはり最大の特徴である保守派の登場に興味を覚えました。日頃、ネットでは言動を目にしますが、はっきりと本人の口からその言葉を聞くと、やはりインパクトがあると感じました。慰安婦問題で対立する意見を持つ両者を取材することは日本にいる日本人のインタビュアーではできなかったことだと思います。日系アメリカ人という立場が取材の成功に導いたのだと感じました。

 

映画は先に上げた「人数」「強制連行」「性奴隷」といった論争を監督ならではの検証と分析で、慰安婦問題が抱える問題や保守派の詭弁をあぶりだしていきます。監督が情報を集め、知り得たことをまとめて、反証させながら伝えていくのです。個人的には顔を見て聞くに堪えられない発言もありましたが、思想の根本が垣間見えたことは日本で起こっている慰安婦問題を考える上で重要なことだと思いました。また私自身が知らなかったことも多くありました。特にアメリカの地方議会で話し合われている内容など初めて聞くものでした。本作品は慰安婦の何についてなぜ議論しているのかが、ざっくりと理解できるようになっていると思います。何も知らない人が見ても、なんとなく分かるような作りになっているので、議論に置いてけぼりになることはないと思います。

 

私自身の立場としては、人数はわかりませんが、慰安婦は「強制連行」された女性であり、「性奴隷」だったと思っています。強制連行とは、騙されたり、売られたりした女性も含まれます。理由は個人に仕事の内容の選択ができなかっただろうし、仕事を辞める自由がなかったと思われるからです。慰安婦問題を考えるきっかけにと思わずにエンターテインメントとして『主戦場』を楽しみ、その上で慰安婦問題を知るきっかけになればいいなあと思います。ちなみに監督は広島大学に留学経験があるようです。中国新聞の記事によると広島での経験が人生を変えたとインタビューに答えていました。

 

 

 

 

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2019年5月30日 (木)

日本の被爆者援護の根幹について書かれた意義深い論文~ 『原爆被害者対策基本問題懇談会(基本懇)についてー何が語られ、「報告」はどのようにつくられたか』田村和之・広島大学名誉教授

私は戦争犠牲者に関して受忍論はどうしても認められません。国民が戦争を望んだわけではないからです。『賃金と社会保障№1730』に掲載された田村和之先生の『原爆被害者対策基本問題懇談会(基本懇)についてー何が語られ、「報告」はどのようにつくられたか』を拝読しました。日本の被爆者支援がどういう理念で行われてきたのか経緯が詳細に書かれています。被爆者援護法の核心部分が分かる非常に意義のある論文だと思いました。

 

被爆二世裁判を傍聴する中で、この原爆被害者対策基本問題懇談会(以下、基本懇)のことは聞いてはいましたが、本論で基本懇の全体像が見えてきました。読み終わって最初に感じたことは、在韓被爆者の孫振斗が起こした裁判がいかに重要であったのかということでした。そして、この孫振斗裁判まで被爆者支援について理念なく行ってきた国の姿勢に驚きました。加えて、そもそも被爆者は国にとって戦争犠牲者であることを認めたくない存在だったということも明らかになりました。

 

本論は「はじめにー基本懇とは」「基本懇の設置経緯と目的」「基本懇における主な議論」などの章に分かれ、基本懇は何のために設置され、何が話され、どのように報告されたのかが、達意に述べられています。公開された会議の速記録を基に、田村先生は被爆者支援に対する国の考えや、基本懇委員の思想を検証し、論考を進めていきます。

 

基本懇の始まりは在韓被爆者裁判でした。孫振斗裁判で最高裁が「原爆医療法が国家補償の趣旨をもつ」と下した判決により、被爆者援護の法律を再検討することになったのです。政府が被爆者援護の基本理念を明らかにするという目的で基本懇は設置されました。構成メンバーは「斯界の権威」と目される人物たちでした。基本懇では「原爆の人体影響」や「原爆による特別の犠牲」などが14回に渡って議論されました。基本懇と厚生省との攻防や各委員の思想など、田村先生は開示されている文書から読み解いていきます。そして基本懇から出された報告書が現在までの国の被爆者行政の指針になったとしています。

 

田村先生は末筆で、基本懇で「在外被爆者対策を視野の外においたこと」と、斯界の権威が集まっているにも関わらず「被爆者と原爆被害に関して不正確な認識や誤解に基づく発言があったこと」に言及し、これは問題であると結んでいます。

 

そもそも国は被爆者に対して積極的な支援を考えていませんでした。第五福竜丸事件によって国際問題化し、被爆者の対策を考え始めたという経緯があります。まず原爆医療法ができ、その後から社会保障的な「特別措置法」ができました。この2つの法律が1本化された被爆者援護法が施行されたのは1995年です。戦後50年近く経ってのことです。在外被爆者支援はご存知のように2000年以降です。田村先生は被爆者に対し国家補償であると認めると他の戦争被害者にも補償が広がるのを国や自民党が恐れていたと分析します。最高裁の判決をも認めない被爆者援護法とはどういうものなのか。是非、論文をお読みいただければと思います。

 

 

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2019年5月12日 (日)

ドキュメンタリー映画「アイたちの学校」を見ました。

私はこれまで札幌と広島の二か所の朝鮮学校にお伺いしたことがあります。広島では文化祭などのイベントにも伺ったことがあり、美味しい朝鮮料理を頂いたことが記憶にあります。札幌も広島も学生さんたちは礼儀正しくて仲が良さそうでした。父兄も含めて皆んなが家族のようで微笑ましく、羨ましく思いました。GW中にドキュメンタリー映画「アイたちの学校(髙賛侑・監督)」を見ました。日本全国にある朝鮮学校の歴史を描いたものです。朝鮮学校のドキュメンタリー映画はこれまでも「ウリハッキョ」や「60万回のトライ」を拝見し、これで3本目となります。今回は前2作とは少し違い、朝鮮学校の歴史がしっかりと描かれていました。

本作の朝鮮学校の舞台は大阪です。1910年の日韓併合から始まる朝鮮半島と日本、現在の朝鮮学校に繋がる歴史が分かりやすく述べられていました。特に「423阪神教育闘争」に時間が割かれており、当時の社会状況や在日コリアンの方たちの熱い熱い思い、日本側の理不尽な対応や差別が丁寧に映し出されていました。現在係争中の高校無償化裁判は戦後から何も変わっていない日本社会が浮き彫りになっており、日本人として考えさせられました。上映後はトークイベントがあり、この日は朝鮮学校の教員と卒業生が登壇しておられました。劇場にはかなり人が来られていましたが、上映後ほとんど席を立つことなく、最後まで話を聞いておられました。

子供たちから教育を奪う権利は誰にも無い筈です。ましてや自分のルーツである朝鮮半島のことを学ぶ場所を他民族の日本人が取りあげることが許されるのでしょうか。他民族社会の日本は、これまでも異文化を尊重し吸収して日本をつくりあげてきたのではなかったのかと思います。教員の方は「朝鮮学校は在日にとってなくてはならない場所。守らなければならない場所」だと訴え、映画の中では朝鮮学校から東大に入った男性が「朝鮮学校を自分を肯定してくれるものを入れてくれる袋だ。絶対なくてはならないもの」と言葉を強めました。朝鮮学校で人権教育を行っておられる司会進行の日本人の方が「子供たちから今も差別を受けていることを聞き驚いた」という言葉にぎょっとさせられました。日本人が朝鮮学校を知ることは、日本社会がどんな社会でできているのかを知ることになると思います。是非、ご覧いただきたい映画です。

 

 

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2019年4月29日 (月)

「被爆者はどこにいても被爆者だ」朝鮮半島被爆者の支援者集会に参加してきました

韓国の原爆被害者を救援する市民の会・広島支部主催の「被爆者はどこにいても被爆者だ」が先週25日に市内で開催されました。これは先日リニューアルオープンした広島の原爆資料館に韓国の被爆者・郭貴勲さんが資料を提供し、来広することになっていたため、郭貴勲さんに記念講演をしていただこうと企画されたものでした。しかし残念ながら、郭さんのお体の大事をとって来日はならず、当日はビデオレターでの講演となりました。集会は大盛況で、大勢の方が参加されました。今回は集会の様子をご紹介します。

 

会は2部構成になっており、1部では郭貴勲さんのビデオレター、2部は韓国の原爆被害者を救援する市民の会・会長の市場淳子さんによる「在韓被爆者の現状について」、在朝被爆者支援連絡会議・役員の金子哲夫さんによる「在朝被爆者の現状について」、それぞれ講演がありました。

 

ビデオレターでは郭貴勲さんが流暢な日本語でお話をされていました。徴兵され被爆して帰国するまでの体験が、まるで昨日のことのようによどみなく語られ、被害者にとっての経験は歳月とは無縁のものなのかもしれないと感じました。郭貴勲さんの御見事な日本語はよく存じ上げていますが、日頃、日本語を使う機会がほとんどないはずなのに、お変わりなく流暢で本当に驚きました。

 

2部での市場淳子さんのお話は韓国の原爆被害者を救援する市民の会(以下、市民の会)の活動についてでした。市民の会の設立目的は「韓国の被害者支援」「日本政府に植民地支配の謝罪と賠償をさせること」だったといいます。加えて「日本社会において、日本政府が植民地支配の反省をしないことを認識させること」でした。在韓被爆者支援の一環として裁判を行い、裁判で勝ち取った末に日本からの支援を受けることができるようになりましたが、まだ「謝罪と賠償」は残っています。市場さんは「初心に立ち返って運動をしていかなければいけない」と締めくくりました。

 

金子哲夫さんによる「在朝被爆者の現状について」では、昨年の訪朝報告と厚生労働省との交渉について話されていました。在朝被爆者支援連絡会議は去る4月22日、厚生労働省に対し在朝被爆者支援について要望を行いました。要望内容は在朝被爆者について「日本政府が無策であったことへの謝罪と基本的な方策を明らかにすること」や、「人道上の立場から緊急の方策を講じること」などで、北朝鮮政府との協議を求めました。しかし厚生労働省の回答は、「北朝鮮に居住している被爆者であっても被爆者援護法が適用されている」ということでした。確かに中国の北朝鮮領事館を介せば、手帳申請や手当申請ができるかもしれません。しかしそれができないため、在朝被爆者支援連絡会議ができ、日本から政府に要望しているのです。金子さんは「厚労省は国交断絶のことをいうが、人道支援であれば援護法に関係なく支援できるはずだ。共和国の被爆者の願いも被爆者援護法の適用ではなく、人道的支援なのだ。今までも施行規則の中でやってきているので、変えようと思えば変えられる」と、日本政府の柔軟な対応を強く訴えていました。

 

熱心に話を聞く方々の姿に、このように歴史の事実を知ろうとする方々がすこしずつ増えれば、日韓関係も変わってくるのではないかと感じます。またこうした集会を韓国でも行うことができれば、何か新たな道も見えてくるかもしれないと思いました。

 

 

 

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2019年4月 9日 (火)

日韓で被爆者の歴史の共有を。市民が国境を越え新しく日韓の団体結成。

日韓の関係は政治的には混迷混乱が続き、なかなか収束に向かいそうにありません。せめて互いの国民同士はよい関係を築きたいと思うのですが、ネットでの感情的な意見を見ると、簡単にはいかないように感じてしまいます。実際に韓国人とつきあったことがあるのか、お話ししたことがあるのか疑問に感じることもしばしばあります。私が今まで出会った韓国の方々は人情が厚く面倒見がよくて、おつきあいすると楽しい方たちばかりでした。韓国に行って、嫌な体験はほとんどなく、むしろお世話になることが多かったというのが私の経験です。ですからまず韓国の方とつきあってみる、会って話してみることが理解の第一歩だと感じます。

私がお世話になっている「韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部(以下、市民の会)」は今月19日、韓国の被爆者団体である「韓国原爆被害者協会大邱支部」と交流団体を作ることが分かりました。市民の会は韓国原爆被害者協会と40年来のつきあいがあり、在韓被爆者が来日した際のお世話や被爆者手帳申請のお手伝いをしたり、在韓被爆者裁判では全面支援を行うなど、深いつながりがあります。在韓被爆者裁判の結果、被爆者援護法における在外被爆者と日本在住被爆者との差がほとんどなくなり、まだ課題は残りますが市民の会としては大きな役割が一段落したところでした。そこで以前から韓国と姉妹提携を結ぼうと言う話が出ており、今回の4月の訪韓で新しく団体を作ろうということになったようです。

残念ながら私は参加できませんが、広島からは10人程度、韓国では30人程度が参加し、集会や交流会などを開くようです。広島側にも日本人や在日コリアンの被爆者がおられます。被爆体験の共有や継承、被爆者問題など、日韓の被爆者や支援者が互いの知識の交換をするようです。

日本と韓国の歴史が重なる被爆者の証言は日韓にとって、とても貴重なものです。被爆者の平均年齢は日本では82歳、韓国でも79歳と被爆時は幼い方が多くなり、被爆証言ができる方々が少なくなってきています。さらに被爆者数も年々少なくなっています。こうした中、市民同士がつながり経験を共有し広げていくことは、まさに日韓の歴史の共有になります。地道ですがこういった活動が今後の日韓の歴史を伝えていくなかで重要になっていくと思いますし、互いの誤解を解いていく一助になっていくと思います。市民の会の皆様どうかお気をつけて行ってらしてください。

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2019年3月25日 (月)

無言の語り部たち②~被爆樹

  広島の街を歩くと、至る所で見られる被爆した樹木たち。普段はあまり身近すぎて、ついつい見過ごしてしまいがちですが、気が付くとふと立ち止まって見入ってしまいます。力強い生命力とともに美しさを感じる被爆樹は、人を惹きつける魅力があるのです。原爆による傷跡はケロイドのようにも見え、「よく頑張りました」と、思わず幹をさすりたくなります。あの原爆に耐え、風雪に耐え、猛暑に耐え、豪雨に耐えてきたのです。被爆者の生と死、めまぐるしく変わる街の景色を見守ってきたのです。被爆樹は原爆の被害者として広島市民と共に生きてきたのです。
 広島市の被爆樹リストは90カ所近くがあげられています。そのほかに民間などが管理する樹木も数多くあり、合わせると市内には170本ほどの被爆樹があるようです。ソメイヨシノやツバキ、ウメ、フジ、イチョウ、クスノキなど種類も様々です。被爆当時からそのままの場所に生えている木もありますが、移植されたものもあります。私が知る限りでは被爆樹と分かるプレートがついていますから、判別するのはそう難しくないと思います。ネットでも被爆樹の場所が分かるサイトがありますので、被爆樹を探すことは意外に簡単です。
 先週、広島も桜の開花が発表されました。市内の江波山は花見の名所として有名ですが、ここにも被爆樹のエバヤマザクラがあります。散歩するのにとても爽やかな気候になってきましたから、被爆樹を目当てに花見や散策はいかがですか。凛として空に伸びる被爆樹は、被爆の歴史を語ってくれるかもしれません。

 

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2019年3月21日 (木)

無言の語り部たち①~旧陸軍被服支廠の再利用

 桜の開花宣言が各地で発表されました。散歩が楽しい季節になってきました。いつもの街を少し違う角度から眺めてみるのはいかがでしょうか。
広島市内には被爆建物があります。原爆を受け、そのまま現在も残されている建物のことです。その被爆建物の中でも大きな規模で被爆時の姿をそのまま留めているものに旧陸軍被服支廠(南区出汐)があります。レンガ造りの重厚な趣は当時の陸軍がいかに膨大な予算を使って建設し、運営していたのかが一目で分かります。広島では近年この建物を平和学習の場にする計画が持ち上がっています。
 旧陸軍被服支廠では、かつて軍服や軍靴を製造していました。戦時中は在韓被爆者の方たちも働いていました。被爆後は避難所となり、被爆当時の様子は峠三吉の詩にも描かれています。広島市内に残る被爆建物が次々と壊されたり移築されたりする中で、当時の場所にそのままの姿で建っていることはとても貴重です。古い記事で恐縮ですが、今年1月6日の中国新聞の記事では「2017年度の来場者は1102人」と書かれており、多くの方が関心を示していることがわかります。また建築物としても価値が再考され、同記事では「巨大なコンクリートの屋根裏はほかに類がない。」と専門家からも注目を集めている様子が書かれていました。
 活用にあたって一番の課題は建物の耐震問題です。4棟が現存していますが、1棟当たり約33億円もの耐震費用がかかるようなのです。現在、建物の所有は広島県で、費用をどう集めるのか、具体的にどう活用していくのかといった検討は進んでいないようです。建物として本来持っている魅力が十分にありますから、平和学習としての資料館や民間企業による商業施設など、様々な方面の役割を併用すれば、人を呼ぶことができるでしょう。建物が活用されれば当然地域の活性化にもつながります。こうした被爆建物を活かしていくのも、やはり人ですから、旧陸軍被服支廠の再活用を広島市民一人一人が考えていく必要があります。そしてそのためには、まず多くの方が被爆建物を見に行くことが先決ではないでしょうか。行けば活用されていないもったいなさが、よくわかると思います。被爆建物は広島の財産です。是非、多くの方にご覧いただきたいと思います。

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2019年2月26日 (火)

被爆2世裁判でのこと

去る2月12日、広島地裁で被爆2世裁判の7回目の口頭弁論がありました。原告側から準備書面が出され、国側から出された書面の反論がなされました。弁護団の話しでは、このように裁判が長引くことは通常はないようです。被告である国が書面を準備する時間をしっかりと設けていることで長引いているようです。被爆2世への遺伝的影響について否定する科学的根拠を調べているようですので、今後裁判で何か明らかになることがでてくるかもしれません。科学的根拠が判明すれば、それは2世にとっても嬉しい知らせになります。

裁判終了後の報告会では原告から自分たちの体験談も話されました。生まれてすぐ亡くなった兄弟がいる、若い時に死んだ2世がいるといった身近な経験が次々と出てきました。広島や長崎のような被爆地にいると、被爆者や被爆2世があまりに多すぎて当たり前になっていることが、実は当たり前ではないということも考えられます。裁判とは関係なく、2世の具体的な体験を数多く集めることも、今後の課題となってくるのではないでしょうか。

2世裁判とは直接関係のない話ですが、気になったことを一つ。前回から広島の裁判所に入る際、入念なセキュリティーチェックが入るようになりました。航空会社のようなゲートと金属探知機での身体検査です。この度、次のようなことがありました。ペースメーカーをしている方が、事前の申請通り別の場所から入ろうとした際に体に金属探知機をあてられたのです。事前に申請をさせているということは裁判所は知っているということです。にも関わらず、こうしたことが起こりました。一歩間違えば身体に影響が出る大きな問題です。また歩行が困難な原告は法廷まで行くために、非常に辛い思いをして行くことになりました。なぜなら入り口が1カ所になってしまったために、遠回りを強いられているからです。その方は足の痛みをこらえながら必死に法廷に向かいました。裁判中に刃物を持ち込んだという例があり、こうしたセキュリティーチェックは必要なのかもしれませんが、利用者の身体に苦痛をもたらされるようなことがあっていいとはいえないと思います。今後も裁判は続き、傍聴する方も気を付けなければいけません。効率だけを考えるのではなく、もっと利用者の身になったセキュリティーチェックはできないものでしょうか。

 

 

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2019年2月14日 (木)

集会で感じたこと~韓国での裁判などについて

ご紹介した前2つの集会では韓国で判決が下った元徴用工などの裁判や戦後補償についてのお話が弁護士の先生からありました。日韓条約についての解説もあり、日韓による解釈の違いの理由が見えた気がしました。

例えば日韓条約が朝鮮半島の分断をそのままにする形で結んだこと。国交正常化につながったけれども植民地に対して日本は合法、韓国は不合法としながら、互いが玉虫色の解釈をしたこと。日韓協定は賠償ではなく経済協力であることなどです。こうした日韓相互のずれをそのままにして現状が解決するのは困難だと感じました。さらに日韓条約を結んだ方々の思いを知ることができないことも小さくない原因になっているのではないかと思いました。そして日韓条約の見直しや作り直しは難しいのではないかと話されていた弁護士の先生の言葉に、国民や市民として何ができるのか厳しい現実をつけつけられた気がしました。

 

また植民地支配についての賠償が世界的な問題となっていることも話されていました。戦後補償については他国との違いを話されていました。ドイツではフォルクスワーゲン社やシーメンス社は社史を作る際に労働組合と作り、その過程でナチスドイツ時代に自分たちの会社が何をしてきたのかを調べ直し、戦後の解決に向けていったそうです。カナダ政府は日系人強制収容の補償をする際、日本に来たということでした。日本政府や日本の企業の労組にこうした動きはないようです。このたびの韓国大法院の判決を機に植民地支配について日本政府は、植民地支配の賠償について考えなければいけないし、考える必要があると話されていました。

 

今であればまだ当時のことを間接的にでも知る方々からお話をお聞きすることができます。すでに数多くの方が多方面から植民地時代について調べておられるとは思いますが、さらに違う角度からの調査もしていただければと思います。何度も書いていますが、日本政府も日本人も歴史の事実を真摯に見つめ、伝えていく。そして被害者について何をすべきか考えていく。そして韓国と話し合いをする。このことに尽きるのではないかと思います。

 

 

 

 

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