2020年7月28日 (火)

中国新聞被爆者アンケートを読んで~2世の役割大。支援者も頑張らねば。

被爆75年目のあの日がやってきます。去る7月20日の中国新聞で全国被爆者団体アンケート調査の結果が掲載されていました。被爆者団体の高齢化により解散する団体も増えつつある中、見開きにわたった内容は色々と考えさせられました。

 

今回のアンケートは中国新聞が全国にある被爆者団体を対象に独自で行ったもので、107団体中105団体から回答を得た結果です。依頼したほとんどから回答を得ていることに、被爆者団体として今まで確実に活動を続けてこられてきた様子を伺うことができます。

 

まず定期的に活動できている団体は76.2%あり、核兵器廃絶に向けた署名活動、証言活動、慰霊祭、訴訟支援などを中心に行っているようでした。「被爆体験記の出版」32.5%、「被爆2世との連携と支援」60.0%もあり、被爆を次代につなげていく重要な活動を積極的に行っていることも見えてきました。被爆者団体の解散、統合が年々増えている中、7割以上の団体が継続して活発に活動を行っていることに正直、驚きました。

 

一方、活動できていない団体は会員の高齢化や被爆者以外の担い手不足ということが主な理由でした。加えて約24%が「活動資金不足」を挙げていました。被爆者の少ない地域でのこうした理由は当然ですし、被爆者以外の他との連携、協力が必至だと思いました。被爆者は戦争犠牲者ですし、放射線の被害者、様々な病気を持つ患者でもあります。視点を変えて全く別の分野や世界まで目を広げてみると、新たな協力者や同志が現れるように感じます。

 

アンケートでは被爆者団体の中に2世の会員がいると回答した団体は約7割あり、組織内部に2世組織の存在は5割近くもあります。2世組織がない団体でも半数近くが作りたいと思っているようです。こうしてみるとやはり、被爆者運動に2世は欠かすことにできない重要な役割があることがわかります。被爆者は自身の子どもたちに対して積極的に活動を促すことは難しいかもしれませんが、ご自身がどういう思いで、どういうことをやってきたかを話すだけでもいいのではないかと思います。2世ができなければ3世が動くかもしれないのです。あまり話をしていない被爆者が多い印象があります。私が個人的に2世の方に期待するのは、やはり被爆1世の苦労を目の前で見て育っているからです。父や母が何に苦労してきたか、兄弟姉妹、親戚がどう生きてきたのかを体験的に知っているからこそ、被爆者を語ることができるのです。もちろん2世として生きてきた今までの思いは相当あると想像しますので、今は無理かもしれないけれど、関心だけは持っていただければと切に願います。

 

コロナ禍で活動に影響があると8割以上が回答していました。高齢であり持病を持つため感染リスクがより高まる危険性から被爆証言などの活動ができなくなっている現状は、被爆証言を聞きたい方々にも残念な状況です。インターネットでの証言会など行えると、直接集会場に行く必要もないですし、見ている方々とも会話ができるので、やはり何らかの工夫をして継続していくことが必要なのではないでしょうか。

 

最後に「平和記念式典の平和宣言で、広島市長は日本政府に核兵器禁止条約への参加を求めるべきだと思いますか」という質問には95.2%の団体が「思う」と回答しました。松井広島市長、被爆2世としてどうか被爆1世の念望を伝えてください。被爆2世としての思いを世界中に届けてください。

 

 

 

 

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2020年7月27日 (月)

「狂夏の烙印~在韓被爆者になった日から」上映会が立川市であります。 ぜひご覧ください。

「狂夏の烙印~在韓被爆者になった日から」が立川市で上映されます。立川市生涯学習推進センター柴崎学習館さんが主催の平和人権講座「戦後75年ロードショー」で上映していただくことになりました。

 

平和人権講座「戦後75年ロードショー」は7月31日から8月15日まで開催されます。「沖縄 第 1 部一坪たりともわたすまい」「教えられなかった戦争・フィリピン編侵略・開発・抵抗」「対馬丸 さようなら沖縄」「蒼い記憶 満蒙開拓と少年たち」など、ドキュメンタリーからアニメまで、様々な映画が企画されています。小学生から見ることができるのも魅力です。

 

そうそうたる映画の中に愚作「狂夏の烙印~在韓被爆者になった日から」を入れていただき恐縮ですが、2000年以降の在韓被爆者の状況を描いた作品はテレビを除いてはほとんどないと思いますので、在韓被爆者に関心がおありの方はぜひご覧いただければと思います。

在韓被爆者運動の黎明期を知る方々のインタビューやマスコミに出ることのない被爆者の方の証言、韓国のヒロシマと呼ばれる陜川(ハプチョン)の様子など、あまり見ることのできない、聞くことのできない映像だと自負しています。

 

日韓関係が厳しい今、やはり大切なことは互いを知ることだと思います。日韓は一時期、同じ国でした。日本の植民地となった朝鮮半島の人々が何を思い日本にやってきたのか。広島で何をしてきたのか。そして戦後なぜ帰っていったのか。戦後どう暮らしてきたのか。その間、日本は何をして何をしてこなかったのか。日本と韓国は共通の歴史があるのです。在韓被爆者はその歴史の1ページです。

 

 

平和人権講座「戦後75年ロードショー」

日時:8 2 ()午前 10 時~11 35

「狂夏の烙印・在韓被爆者になった日から」

場所:■場所:立川市柴崎学習館 ■無料■定員25

申込 :7/25~柴崎学習館☎042-524-2773

協力:立川市原爆被害者の会

主催:立川市生涯学習推進センター柴崎学習館

 

 

 

 

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2020年6月23日 (火)

原爆症訴訟二審は一部勝訴。被爆者の救済は誰がするのか。

昨日22日、広島高裁で原爆症訴訟の判決が出ました。この裁判は被爆者が心筋梗塞などの病気で原爆症申請をしたのに国が原爆症と認定しないのは不当であるとして却下処分の取り消しなどを求め被爆者が訴えたものです。原爆症の認定は原爆の影響により病気となった被爆者に対し、国が定めた特定の疾患に対して医療特別手当を支給する制度です。これまで集団訴訟により国は認定要件を徐々に緩和し、積極的に認定するように行ってきました。しかし同じ病気でも原爆症と認められる被爆者と認められない被爆者がいるため、このような訴訟をおこしたのです。

新聞によると今回の訴訟は「病気が放射線に起因するか」「医療が必要な状態と認められるか」が争点だったようです。5人を却下処分の取り消し(勝訴)、6人の請求を退ける(敗訴)という結果になりました。6人の敗訴理由は『「発症に影響を与える程度の放射能に被爆したといえるか疑問。喫煙などの発症した可能性を合理的に否定することはできない」6月23日中国新聞』ということでした。弁護団は『「発症のメカニズムが分かっていない中、喫煙など他の原因を重視しすぎている」6月23日中国新聞』と強く憤っていたようです。

国が基準としている特定疾患は、悪性腫瘍、白血病、副甲状腺機能亢進症、心筋梗塞、甲状腺機能低下症、慢性肝炎・肝硬変、放射線白内障などです。被爆者はこうした疾患にかかると原爆症認定されやすいので申請しますが、実際はどんな病気でも申請することは可能です。そしてこれらの病気に罹ったからといって申請した被爆者が全員、原爆症認定されるわけではないのです。つまり国が定める基準というのは非常に分かりにくいのです。

私は過去数回、原爆症認定申請のお手伝いをしたことがあります。在韓被爆者や在日コリアンの方々ばかりでしたが、いずれもいわゆる国が認定した特定疾患にかかる前に多くの病気にかかっていました。被爆者は常に病気と共に生きていました。そして大病を罹ったのです。ほとんどの被爆者は大病に罹らなくても病気と闘っています。以前にも書きましたが、例えすぐ病気が発症しなくても数十年後になって出てくるということも稀ではないのです。「被爆者は体に爆弾を抱えているようなものだ」という言葉を聞いたことがあります。私もそう思います。今回の訴訟で「病気が放射線に起因しない」という判断を裁判長が下すのはやはり無理があるのではないかと思います。

敗訴した被爆者は上告を検討しているようですが、高齢で大病を患っている被爆者が長期の裁判に耐えられるのか非常に心配です。被爆者を救済する目的の制度のために被爆者が苦しめられているというのはどう考えてもおかしなことです。

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2020年6月14日 (日)

コロナ禍で被爆75周年の平和記念式典が変わるようです

昨年12月から新型コロナウイルス感染症は世界中で猛威をふるい、今だ収束のめどがたっていません。日本でも4月に緊急事態宣言があり自粛要請がありました。このコロナ禍で様々な行事が中止や延期になっていますが、被爆75周年を迎える今年8月6日の式典も様変わりしそうです。広島では8月6日当日、市内各地で様々な団体による慰霊祭が開催されていますが、縮小や中止などの決断が余儀なくされているようです。そして世界から参列する「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」も大きく形を変えることが分かりました。

 

広島市のHPによると式次第や所要時間は例年と変わらず8時から850分の予定のようですが、会場の様子が大きく変わります。ソーシャルディスタンスを守る形にするため一般席を設けず、公園内への入場規制もあるようです。式典参列者の席は例年の1割ほどの最大880席で、公園内の混雑した光景もなくなります。これがどういう感じになるのか想像しにくいというのが正直な思いです。

招待客は内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長、外務大臣、 厚生労働大臣で、海外からは国際連合事務総長、駐日大使などが候補に挙がっています。被爆者や被爆者遺族は被爆者 6 団体から推薦された方や被爆者代表、遺族代表、都道府県遺族代表などが挙げられています。去る6月5日には国連のグレテス事務総長が参列する意向を示し、訪問ができない場合もビデオメッセージを送るということが広島市から発表されました。他の国の来賓の方々はまだ分かっていません。このまま新型コロナ感染症が収束しなければ、他国の来賓者の参列は難しいと思います。ビデオメッセージに意味がないとはいいませんし、やむを得ないかもしれませんが、被爆地に来て放つ言葉の重み、献花はやはり特別な意味を持つと思います。

 

また平和宣言の内容も変わるかもしれません。平和宣言の文案を検討する懇談会委員の間でコロナ禍についての言及があったようです。6月6日の中国新聞によると、懇談会委員から「新型コロナウイルスは自然の脅威だが、核兵器は人間の作った脅威で自らの意志で除けると訴えるべき」「感染拡大で自国第一主義が広がっていることへの警鐘が必要」といった意見が出たといいます。コロナ禍という世界が直面している脅威と核兵器廃絶は命を救うために各国が協力しあわなければいけないものです。懇談会委員の方の言う通り、核兵器は人間が自らの意志で排除できます。今は新型コロナウイルスですが、新たなウイルスが出てくる可能性も予想されています。人類は核兵器という無駄なものに時間もお金も労力も費やす暇はないのです。コロナ禍は核兵器社会にとって一つの分岐点になるかもしれません。

 

平和記念式典は海外の来賓にとっては非核平和の意思表示であり、被爆者や遺族にとってはお葬式の意味を持っています。一般の参加者は被爆地に来て核兵器のおぞましさを体感できる機会となります。今年は新型コロナウイルス感染拡大予防のため仕方ありませんが、参列者の限定はとても残念です。平和宣言は世界の核兵器廃絶が大前提です。それを踏まえて、その時々の世界情勢下で平和の真の意味を唱えることが未来の来るべき惨禍に対して重要なメッセージとなるはずです。世界中の人々の価値観が変わりつつあるコロナ禍において、松井市長には反戦を謳い核兵器廃絶が一刻も早く行われなければいけないことを、具体的に力強い言葉で世界に訴えていただけるよう願っています。

 

 

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2020年3月26日 (木)

春風に吹かれて碑巡りはいかがですか?

広島もそろそろ桜のシーズンで、外に出て花を愛でる季節になってきました。新型コロナウイルスで自宅待機している方も多いと思います。いまのところ日本では密閉された空間・人が密集する場所・人と密接する場面などがクラスター感染の発生リスクが高いと言われています。ですから外で人と接することがない散歩でのコロナウイルス感染リスクは比較的、低いのではないかと思われます。気分転換に春の日差しを浴びて川岸を歩きながら碑巡りはいかがでしょうか。

 

広島で被爆した方々の慰霊碑は平和公園を中心に市内各地にあります。平和公園では碑にまつわるエピソードを聞く碑巡りのフィールドワークが盛んです。また平和公園以外にも市内各地に慰霊碑があり、毎年8月6日には地域に慰霊祭が行われています。今回は韓国人原爆犠牲者慰霊碑以外の外国人の碑を2つご紹介します。

 

1つめは中区加古町の本川岸にある「祈平和BRASIL」です。これはブラジル広島県人会・在伯長崎県人会・在ブラジル原爆被害者協会・ブラジル相互協会が1990年に建てたものです。広島は移民を多く出し、被爆後もブラジルに渡った被爆者が数多くいます。碑はブラジルの国土がかたどられ、平和の象徴である鳩が1羽とまっています。碑文には「ヒロシマの悲劇を再び繰り返さないという決意と世界の恒久平和への願いをこめて この碑を広島日伯協会を通じ ひろしまの地に贈る」と書かれています。ブラジル在住の広島県人会や長崎県人会などが募金して碑を造り、広島市に送ったもののようです。第二の故郷ブラジルの地と故郷広島を思う気持ちが伝わります。

 

2つめは中区大手町の元安川岸にある「興南寮跡」碑です。これは「南方特別留学生」として広島文理科大学や広島高等師範学校に留学していた東南アジアの留学生が住んでいた寮の跡碑です。日本は大東亜共栄圏の占領戦略の一環としてブルネイやマレーシア、インドネシア、ビルマ、フィリピンなどから地元の有力者の子弟を集めました。日本の占領地で指導的役割を担ってもらうための人材育成として国費で日本に招いたのです。広島には20数名の留学生が来ていたようです。86日、原爆により寮は消失し、留学生も被爆しました。ブルネイのペンギラン・ユソフ元首相も南方特別留学生として広島文理科大学に来ていました。ユソフ元首相は講義中に被爆し、救助活動も行ったようです。帰国後は英国の保護領だったブルネイで首相になり、駐日大使も務めたようです。ブルネイ唯一の被爆者で、2016年に94歳で逝去されました。ユソフ元首相は広島での被爆体験を子供たちに語っていたといいます。またマレーシアから来ていたニック・ユソフさんは広島文理科大学の学生で興南寮で被爆し亡くなりました。ニック・ユソフさんは今も五日市の光禅寺の御墓でひっそりと眠っています。

 

在外被爆者は厚労省の手帳取得者数によると約2,966人(20193月現在)に上ります。その大半は韓国におられますが、30カ国近い国々にお住まいです。新しくなった広島平和記念資料館には日本人以外の被爆者のコーナーも少しですが設けられています。なぜ日本人以外の方々が被爆したのか。日本がおこした戦争で犠牲にならざるを得なかった方々の存在を、被爆被爆したのは日本人だけではないことを私たちは忘れてはいけないと思います。

 

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2020年3月25日 (水)

新型コロナウイルスのパンデミックで平和活動も中止に

今年から本格的に世界中で大流行となっている新型コロナウイルス感染ですが、平和活動にも影響が出てしまいました。今月17日の中国新聞に「NPT会議派遣を中止 日本被団協「原爆展」時期変更検討」の見出しで記事が掲載されていました。内容はNPT(核拡散防止条約)再検討会議に行くはずだった被爆者を含む代表団の派遣を中止し、原爆展も開催時期の変更を考えているというものでした。

 

NPT(核拡散防止条約)再検討会議は、核兵器の不拡散に関する国際条約であるNPTを加盟国が集まり検討するというものです。5年に1度、条約によって定められた核軍縮や不拡散の現況などを見据え、最終的には核兵器廃絶を目指します。2020年の今年は再検討会議の年にあたり4月~5月にかけてニューヨークで開かれる予定です。再検討会議には毎回、日本から被団協や被爆者なども参加しており今回も行く計画でした。しかし高齢であり持病のある被爆者が新型コロナウイルス感染のパンデミックの渦中に行くことに際し、命を守るためとして派遣中止を16日に決めたのです。核兵器の恐ろしさを身をもって体験されている被爆者の方々の再検討会議での活動はどれほど大きいものなのか想像に難くありません。NPTの本質を担っている方々です。今回の派遣中止は苦渋の選択だったと思います。

 

この新聞記事のあと、ニューヨーク州が自宅待機の措置を行いました。NPT再検討会議も間違いなく延期になるでしょう。私たちはウイルスとの闘いに勝たなければいけない状態ですし、今後も起こりうる状況なのですから、人類は核兵器保有や戦争から今すぐ脱却すべきだということを強く認識すべきです。同17日の中国新聞記事によると被団協などで構成されている「核兵器廃絶日本NGO連絡会」は核兵器禁止条約の批准を要請する活動を国内で始めたとありました。50カ国の批准まで、あと15カ国です。戦争とは違いますが今回のコロナウイルス感染のパンデミックで1つの国が機能不全になった場合、他国に及ぼす影響が計り知れないことを私たちは体験している最中です。今後の影響も計り知れません。NPT再検討会議が開催された場合、日本は存在感を出すべきです。最初で最後の戦争被爆国となるべく日本は核兵器の残酷さを世界中の人々に伝えるべきですし、核兵器禁止条約の批准に向けてどこの国より日本が大きな旗を振るべきです。

              

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2020年2月27日 (木)

世界最大の被爆遺構。広島市内にある戦争遺跡の行方

軍都廣島時代の戦争遺跡であり、原爆に耐えた被爆建物の旧陸軍被服支廠の保存をめぐって昨年から広島では議論が繰り広げられています。貴重な遺構ですが劣化や耐震性の問題などにより住民や通行人に被害が及ぶ可能性があるということで解体の話が数年前から出ていました。補強するにも費用が高額になるため当初は解体の方向で進められていましたが、このたび解体が見送られることになりました。一安心ではありますが、解体が先送りになっただけで中止になったわけではないためまだまだ予断を許さない状況ではあります。

 

旧陸軍被服支廠は明治時代に建てられた南区にあるレンガ作りの建物で、当時のまま現存するものは4棟あります。広島県が3棟、中国財務局が1棟それぞれ所有しています。原爆の爆風により曲がった鉄の扉など被爆のすさまじさをそのまま伝え、被爆建物の中では一番規模の大きい遺構です。つまり世界最大の被爆建物というわけです。市民団体や被爆者団体は原爆を伝える貴重な遺構であると保存を要望し、署名活動や関連行事などを開催し市民や県内外に保存をアピールしてきました。署名は2700人にものぼり広島県民の被爆建物に対する思いの強さが表れました。その成果としてこの度の解体先送りとなりました。

 

かなり前に本ブログでも旧陸軍被服支廠の利用について書いたことがあります。その際は「戦争博物館にしてはどうか」ということを書きました。博物館は軍都広島時代を中心に、倉庫及び図書室として戦後補償裁判などの裁判資料も閲覧できるようにするものです。裁判資料は膨大であり、且つ非常に貴重な内容のものばかりです。戦争被害者である原告の生の声がありますから、一般も利用できるといいと書きました。また近くには旧糧秣支廠や宇品港などもあるため、軍都廣島のフィールドワークができるように博物館に案内人を置き、ピースツーリズムの拠点とすると歴史を身近に感じられるのではないかと思いました。

 

以前は建物を一部だけ残してはどうかと書きましたが、世界最大の被爆建物なので、そのままの状態で残すことに大きな意義があると今は思います。4棟保存となると補強費用及び維持費用が膨大になります。そこでまず世界にこうした原爆遺構がある事を知ってもらうことが重要です。カープの市民球場のように樽募金やクラウドファンディングなどで、世界中の注目とお金を集めることが最初かなと思います。広島からの平和発信基地としての戦争博物館は、原爆で終焉した第二次世界大戦の遺構という世界唯一のものとなります。原爆ドームほどまだまだ知られてはいませんから、旧陸軍被服支廠にも来てもらえば、原爆ドームからの流れで広島市内の美しい街並みも知ってもらえると思います。原爆ドーも当初は取り壊しの方向でしたが、強い市民の声で保存となり現在は世界遺産です。旧陸軍被服支廠も同じように保存そして世界遺産となるように政治家の方々どうか議論をお願いします。

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2020年2月25日 (火)

今、在日コリアンの子供たちは何を思っているのか。在日朝鮮学生美術展を見てきました。

旧日銀広島支店で開催されている「在日朝鮮学生美術展」(~2月29日金曜日まで)に行ってきました。絵画や造形物、写真など小学生から高校生まで、全国の朝鮮学校の生徒の作品が展示されていました。48回を重ねるこの美術展は東京、名古屋、大阪、福岡、札幌など全国各地をまわる巡回展で、広島は2月22日から開催されています。美術展のHPを見ると「ウリハッキョでは今、在日3世、4世たちが取り巻く環境を諸共せずたくましく学んでいます。在日朝鮮学生美術展は、そのような民族学校の場で学ぶ子供たちの大事な表現発表の場として毎年定期的に行われてきました。ウリハッキョにおいては、マニアル化された表現技法や技術取得に囚われることなく、感じたモノを素直に等身大で表出する事に大きな比重を置き幼稚園から高級部まで一貫した美術教育が実践されています。」と書かれています。私は今回、初めて拝見しましたが、今の日本に生きている在日コリアンの子供たちが何を思っているのか垣間見ることができた気がしました。

 

実はSNSである学生さんの作品のことは知っていました。「Café:Freedom of expression」というインスタレーションのような作品で、箱のような空間の中に作者がいて見に来た客と直接対話するというものです。この箱のような囲いの外側には在日コリアンに対してのヘイトクライムの言葉が張り出されています。読むに堪えられない言葉が羅列されていますが、それは恐らく作者自身が書いたものと思われます。どんな思いでこの言葉を書き写したのかと想像するだけで、なんて残酷なのだろうと胸が痛みます。しかし作者はヘイトクライムを芸術作品に仕上げ、見る者私たち日本人に強烈なメッセージを伝えます。今回、この作品は写真のみの展示でしたが、それでも見ていて胸が潰されそうでした。作者の勇気と表現力は素晴らしいものでした。

「고마워ありがとう」という作品も写真のみでしたが印象的な作品でした。亡くなったお爺様が着ていたであろう衣服が何着も展示されていました。ラフなものからオシャレなものまで、日本で生きてこられた生前の御爺様がそこにはおられました。生で作品を見たら、私は泣いてしまうかもしれないと思いました。

北朝鮮に行った時のことを表現した絵もありました。「混ざり溶けあう」というタイトルの作品は太極の赤と青が細い線で混ざり合っているもので、真っ白なキャンバスに描かれた大作です。その明るさと美しい色合いでひと際目を惹かれました。説明文には、初めて行った祖国で懐かしさと暖かさを感じたこと、板門店で韓国との分断を実感したことが書かれていました。そして「統一と平和を願い、人々が踊り混ざり合い、1つの大きなものとなる様子を表現してみました。」と作品に込めた思いを綴っていました。

 

学生さんたちは在日コリアン4世、5世の方もいるかもしれません。日本で生まれ育った子供たちが日本を自分の居場所として感じられないというのは、日本人の私から見ると余りにも寂しいですし、そう感じさせているのは私たちだと思うと情けなく憤りを覚えます。在日コリアンの方々は日本人と共に生き、日本の歴史を刻んでこられたのです。そしてこれからも、日本の未来を共に作っていく方々です。日本人は在日コリアンの方々に対しどれだけ心を寄せてきたのか。「在日朝鮮学生美術展」は日本人に静かに語りかけてきます。

 

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2020年1月28日 (火)

被爆二世裁判、継続中です。

被爆75年が経つ現在、被爆者の子どもたちによる裁判が続いています。被爆二世に対し国が支援をするよう求めているものです。去る1月14日は広島地裁で第10回の口頭弁論が行われました。長崎でも同様の裁判が行われており、ほぼ同じペースで進んでいます。二世裁判に関しては以前から当ブログでもご紹介してきましたが、なぜ裁判が行われているのかというと、現在二世に対して行われている健康診断は不十分であり、病気が発症しても国からの援護が何もないためです。

 

被爆者援護法では直接被爆した人以外にも原爆投下後2週間以内に救援活動、医療活動、親族探し等のために市内に入った人や、救護・死体処理をした人も被爆者手帳を出し、被爆者としています。原爆が投下された後に身体に原爆の放射能の影響を受けるような事情の人を対象としているのです。被爆二世は「原爆の放射能の影響を受けるような事情の人」であると原告は訴えているのです。つまり二世は現行の援護法の対象になるのではないかということです。しかし国は被爆二世の遺伝的影響を認めていません。そこで裁判により被爆による遺伝的影響があることを明らかにし、被爆二世を「第五の被爆者」として認めさせて二世援護の制度化を目指しているのです。

 

長い被爆二世の運動の成果により、東京都や神奈川県、大阪府吹田市など全国の自治体で援護措置として医療補助がなされていますが、それはあくまでも自治体としての施策です。同じ二世で住む場所によって援護が違うというのはおかしな話であり、そもそも国が制度化していないため自治体が行っているというのが実情なのではないでしょうか。70歳を超えた被爆二世も大勢おり健康不安は年々高まってきていますが、被爆二世がどのくらいいるのか人数すら把握しようとしていないのが国のスタンスです。苦しんでいるからこそ二世は今まで運動し国に訴えてきました。裁判は最終手段です。裁判では遺伝的影響に関して各国の研究結果を提示しています。今後は具体的に原告本人や周囲で何が起こっているのかを示していくようです。

 

二世は親の被爆者の苦労を共に背負いながら生きてきました。全国被爆二世団体連絡協議会のHPには裁判にあたって「被爆者や被爆二世の現実を知らない人達に、被爆者や被爆二世がどのように原爆被害の恐怖と闘いながら、自らの人生に誇りを持って生きてきたかを知って欲しい。」という一文があります。二世ならではの体験からこの言葉が出ているのだと思います。今後裁判を通して、被爆者と被爆二世がどう生きてきたのかが示されると思います。原爆は被爆者だけに被害を与えるだけではないことが、この裁判で明らかになることでしょう。被曝の遺伝的影響という世界中のヒバクシャにつながる裁判でもあります。これからの被爆二世裁判に注目していただきたいと思います。

 

 

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2020年1月27日 (月)

새해가 밝았습니다!올해도 열심히 하겠습니다.

韓国ではお正月といえば旧正月の方が一般的だと思います。今年は先週25日が元旦で、前後数日間がお正月休みだったようです。ですからタイトルの言葉は新年の言葉として「新年があけました。今年も一生懸命頑張ります」と書きました。

さて今年は被爆後75年という区切りの年です。75年間で核兵器は年を追うごとに増加し、2019年現在で世界中に約1万3865個という数が保有されていると推計されています。たった1発の原爆でヒロシマとナガサキはその年に21万人以上が死亡し、不負傷者や入市被爆などで被ばくし、原爆後障害により死ぬまで苦しんでいることを世界の核保有国の指導者は知っているのでしょうか。原爆の被害とはどういうものなのか。まずヒロシマ、ナガサキに来て被爆の実相を知ってほしいと切に願います。被爆者の話を聞いてほしいと望みます。

 

被爆者は二度と自分と同じ被爆者をつくってはいけないと、辛い気持ちをこらえて証言しつづけてきました。しかし近年、証言される方は少なくなってきているのが現状です。このような中、嬉しいことに若い方による被爆体験が引き継がれ、新しいアプローチで被爆の実相が発信されています。高校生が描く原爆の絵や原爆投下前の町のバーチャルリアリティー化、廣島のあの日をデジタル化しインターネット配信しているヒロシマアーカイブ、市内のバーやカフェで行われる被爆証言など今までにない方法であの日を伝えようとしているのです。被爆者ではない方による継承はかなり難しい作業ですが、それをぽんとやってしまう若い方の活動をニュースで知るたびに頼もしいなあと思います。今年は私も頑張って、私なりの方法で記録を残していきたいと思います。本年もどうぞよろしくお願いします。

 

 

 

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